墓石に何を刻むか
お世話になっている憲政史の倉山先生から「墓碑銘に何を刻むか」という問いをいただいたことがあります。
子どもたちにも「何をした人として生き、死んでいくか」を考えさせることを心掛けていますが、急にそんな問いかけをしても理解してもらえないと思ったので、偉人の生き方を通して伝えました。
今回、世のため人のため未来のために生きた医者「野口英世」と、その母「シカ」を道徳の教材として取り入れたので、共有させていただきます。
「夜な夜な猪苗代湖に化けものが出るっつー話だ」
村の人たちにこんな話が出るようになりました。
「それでは確かめに行ってみっか」
夜になるのを待って、手に棒を持った男たちが恐る恐る湖に行きました。
「シー、物音がするぞ」
月が雲間から出て、湖面が一瞬明るくなりました。
「あれ! シカさんじゃねーか」
「昼間は野良仕事とをしてるから、エビ取りは夜になっちまーだし」
と湖のなかで、エビ取りをする野口シカが話しました。
シカは、自分のせいでわが子、清作(後の野口英世)に大火傷させて不自由な体にしたことを悔やみ、農業以外の仕事もできるよう清作を学校に出すために学費を稼いでいたのでした。
清作は母のその姿を見て、「おっかさんは男勝の仕事をしているのに、おれがこのくらいのことすんのは当たり前だべ」と一生懸命勉強しました。
やがて清作は、医師の試験に合格すると英世と名前を変えて渡米し、医学の研究成果を上げてノーベル賞の候補になりました。
そんな英世のもとに地元の友人から一通の手紙が届きました。それは、シカの体が弱っていることや今会わないと二度と会えないことなどが書かれた手紙でした。同封してあったシカの年老いた写真を見て、英世は15年ぶりの帰国を決意しました。
立派になった英世を見てシカは、
「立派なお前の姿を見れたし、龍宮城に行った浦島太郎のようで大変幸せだよ。心残すことはねえー」
と、感謝したのでした。
それから3年半後、英世が黄熱病びの研究で大きな成果を上げて、南米のエクアドルからアメリカに到着したとき、英世はシカの死を知らされました。
悲しみのあまりホームにひざまづいた英世は、シカから「世のため、人のためにつくしなさい」といわれた言葉をじっとかみしめていました。
その後、人の命を守るために一生懸命に働くことを心に誓った英世は、周囲の反対にもかかわらず黄熱病の研究でアフリカに渡って研究に没頭します。しかし、研究中に黄熱病に感染して、世界の人々に惜しまれながら、51歳でこの世を去ったのでした。
母の言葉を受けて、「世のため人のため未来のため」に生きた野口英世の生き方は、どうでしょうか?
ニューヨークにある英世の墓石には、「日本の猪苗代に生まれ、アフリカのゴールドコーストで死亡。科学に献身して、人類のために生き、人類のために死す」と刻まれています。
さて、あなたは墓石になんと刻まれた人となりたいですか?