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「死にたい」のに早く結婚して子どもが欲しかった。

『死ぬまで生きる日記』を読んだ。

日常生活はほとんど支障なく送れる。「楽しい」や「嬉しい」、「おもしろい」といった感情もちゃんと味わえる。それなのに、ほぼ毎日「死にたい」と思うのはなぜだろう? カウンセラーや周囲との対話を通して、ままならない自己を掘り進めた約2年間の記録。

Amazonより

作者は10歳から「死にたい」という発作がでるようになったらしい。本を読んでいて疑問に思ったのは「死にたい」と思いながらも、なぜパートナー(旦那さん)と結婚して、子どもを2人産んだのだろう?

普通の感覚として「死にたい」と思いながら(そもそも普通の人は「死にたい」と思わないものらしいけれど)、人と関わり深い付き合いをするのはなぜか?守らなければいけない対象(子ども)をつくるのはなぜか?という疑問。

だがしかし、私も昔は「死にたい」と思いながらも「早く結婚して子どもが欲しい」と思っていた人間であった。

正確には覚えていないけれど、私が「死にたい」と思うようになったのも10歳前後だったと思う。

「死にたい」と思いつつも、それを実行しようとしたことはない。ただとにかく辛い現実から逃げたくて、何か嫌な事があると「死にたい」と思っていた。

そんな私がなぜ早く結婚して子どもが欲しいと思っていたのか。

詳しい話は割愛するけれど、私は家族がイヤだった。早く家を出たいと思っていた。長女ということで厳しく育てられ、ヒステリックな母親に怯えて暮らしていた。父は弟に甘く、私は誰にも甘えられなかった。

だから自分の理想とする家庭を作りたい、親とは違う、自分の家族がほしいと思っていた。

そして子どもに関しては、子どもを産み育てれば、子どもがいることで生きる理由になると思ったから。
今考えるとかなり悍ましい理由で子どもを欲しいと思っていたなと思う。

子どもを産み育てている過程で「この子のために頑張らなきゃ」「この子のために死ねない」って思うのは良い。だけど産む理由が自分の存在価値を見出すためなんて、子どもに寄り掛かった人生は、子どもはもちろん自分のことも不幸にしてしまう。

子どもに依存し、子どもにも自分に依存させてしまう。
子どもには親がいなくなっても1人で生きていける強さを身につけさせる(自立させる)のが親の役目。
だから依存関係があってはいけない。

私は就職と同時に親から離れて一人暮らしを始めた。離れて暮らしても親とは色々あった。(その色々はここでは割愛)
だけど自分の力で親の呪縛から解き放たれた。親元から離れて約10年経った頃、ようやく「死にたい」と思わなくなった。

今は旦那と猫2匹との暮らし。
旦那とも話し合って子どもは作らないと決めた。いわゆるDINKSである。

「死にたい」と思わなくなってからも子どもが欲しいと思ったことはあったけれど、子育てに自信がないのと、自分のことでいっぱいいっぱいなので、今は子どもが欲しいと思わなくなった。

そんなこんなで私は子どもを作らないという選択をしたけれど、「死にたい」と思いつつ子ども2人産もうと思った経緯を知りたいなと思ったのである。

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