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なんで播州赤穂?「おじさん喫茶」という生き方。

おてんとさん。

御崎のバス停の真ん前に「あらじん」という喫茶店があります。カフェではありません。

大体バスが30分おきに来るので、「ちょいと珈琲でも飲みながらバス待ち」というのにちょうどいいんです。このビミョーな雰囲気に抵抗がなければ(^^) ↓↓↓

あらじん②

僕はまったく抵抗ない派、どころかむしろ「この手の喫茶店」(カフェじゃない)好き派なので、初めて赤穂に出会った時にフラっと入ったんです。

以来、約7年?赤穂・御崎に行くたんびに「あらじん」さんをのぞくようになりました。だって、1人で行ってもちっとも退屈しない・寂しくない。あまりにここのマスターがしゃべりまくるもんですから(^^)むしろ、1人でゆっくりしたい場合は別の店がいい(^^)

合の手をそれなりに入れてれば、地域情報から日本いや世界の政治まで、塩の作り方からリクルートの話までまぁなんでも色々よく知ってるしよくしゃべる(^^)たまにビミョーな知識の時はちょっと目を泳がせつつ、でも次に行ったら「あれ気になったから調べたんですよー」なんて。

あんまりしゃべるもんだから、僕としゃべっているうちに後から入ってきた別のお客さんも貰い事故みたいに巻き込まれて、結局3人・4人でマスター8割客2割でしゃべってるみたいな展開になります(^^)とはいえ、そんなにしょっちゅうお客さんが入ってくるわけではありません(^^)

正直、これでやっていけるん?って思ったから聞いたこともあります。

「ま、意外に食べていけるんですよー、この辺って」てな話でした。

さて、昨年しばらくぶりにあらじんさんに行ったときのこと。カンバンみたら「おじさん喫茶」って!

あらじん①

「マスター、おじさん喫茶って前から書いたーった?」

「いや、つけたしたんですわ」

「へー、どしたん?」

「いやー、ここはカフェちゃう!って言うとかんと『WIFIつかえますぅ~??』とか若い女の子に聞かれたりするんですわ。あの子ら世の中みんなスタバやとおもてるんすわ~。」

要は、マスター的にややこいお客は来んといてってことですね。

今、御崎にはきらきら坂とか、恋人の聖地とか若い子たちが訪れる場所が出来てきてますから、むしろ商機到来!てな感じかと思いきや。。。(^^;

さらに、この間行ったら「来んといて」に拍車が。。。

あらじん③-1

↑↑ この地図で他の店にたどり着ける気がしません(^^;

が、「ここは、きっさてん!シニア向けのきっさてん!!」「若者・女性・おしゃれな人は、よその『カフェ』に行ってくれ!!」という心の叫びが聞こえてきます。

さらに、

あらじん④-1

おてんとさん、これどういう意味でしょう?

「店内一組」?って、ほな貸切やん!ほんま?

それとも団体で来て何テーブルも占拠せんといてーってことかな?

そもそも「シニア向け違ったん?お子様連れって。。」

残念ながらこの間は休業日だったので、マスターに聞けずに「もんもん」を抱えたまま東京に帰ってきました。。。

いずれにしても、マスターは一生懸命「うちにフィットしないお客様は来ないで下さい。がっかりさせたくないし、こっちもがっかりしたくないから」と集客ならぬ散客活動をしている訳です。

10年前の僕からしたら「商売すんのにそれでええのん?」。

その頃の僕は、お店に入ったらつい「客単いくらで、席数何席で、回転率これくらいで収支こんくらいやな」なんてすぐ頭の中グルっとしてましたから。店やる=儲ける・儲かる?がその頃の僕の自然な発想でした。

でも。赤穂と出会って、マスター見てて、会社辞めて、自分の活動を始めて、僕のモノの見方も徐々に変化しています。特に「時間の扱い方」について。

もちろん、マスターも日々の生活の糧を喫茶店から得ているわけですが、必要以上の無理をしない。「お客様」「儲ける」ありきで「自分の時間」を無理な活動に投下しない。むしろ、「自分の心地よい時間」の最大化と「必要十分な生活の糧を得る」ことのバランスを探り続けているように見えます。

これ、「在り方」としてありやなーと。有名な「漁師とコンサルタント」の話をリアルな感覚で思い出しました。おてんとさんも知ってますよね?こんな話 ↓↓

『メキシコの海岸沿いの小さな村に、MBAをもつアメリカのコンサルタントが訪れた。
ある漁師の船を見ると活きのいい魚が獲れている。

コンサルタントは聞いた。

「いい魚ですね。漁にはどのくらいの時間かかるのですか?」
「そうだな、数時間ってとこだな。」
「まだ日は高いのに、こんなに早く帰ってどうするのですか?」

「妻とのんびりするよ。一緒にシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しみ、それで、寝ちまうよ。」
それを聞いてコンサルタントはさらに質問をした。
「なぜもう少し頑張って漁をしないのですか?」
漁師は聞き返した。

「どうして?」と。
「もっと漁をすれば、もっと魚が釣れる。それを売れば、もっと多くの金が手に入り、大きな船が買える。そしたら人を雇って、もっと大きな利益がでる。」

「それで?」と漁師は聴く。

コンサルタントは答える。

「次は都市のレストランに直接納入しよう。さらに大きな利益がうまれる。そうしたら、この小さな村から出て、メキシコシティに行く。その後はニューヨークに行って、企業組織を運営すればいいんだよ。」
「そのあとはどうするんだ?」漁師はさらに聞いた。
コンサルタントは満面の笑みでこう答えた。

「そこからが最高だ。企業をIPOさせて巨万の富を手に入れるんだ。」
「巨万の富か。それで、そのあとはどうするんだい?」と漁師は最後に質問した。
「そしたら悠々とリタイヤさ。小さな海辺の町に引っ越し、家族とのんびりシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しむ。のんびりした生活を送れるのさ。」

漁師はため息をつき、やれやれ、という顔で一言を付け加えた。

「・・・・そんな生活なら、もう手に入れているじゃないか。」』

自分の人生の時間を、どんな質感で満たしていくか?幸せの感じ方は人それぞれ。上の物語の、社会に大きなインパクトを与え得るコンサルタントの生き方も本人がそれを「我が人生」と感じていれば素晴らしいと思うし、漁師の生き方も素晴らしいと思う。自分の「幸せ観」に忠実に、現実との接点を探っていく生き方を僕自身がしたいなーと感じていることに気づかされます。

そんな感覚で周りを見ると、赤穂・御崎のあたりにはそれぞれの基準でそんな生き方をしている面白い人が点々といて。

カフェSANPOUさん、桃井ミュージアムさん、IMAISOUさん、いくつかの赤穂緞通の工房、森の家&森の庭さんなどなど。

多少「クセ」のある、でも自分の基準を大事に生きている人たちが赤穂御崎というこのエリアを共有していることも僕を惹きつける何かなんだろうなーと感じています(^^)

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