はぎつかい 一話
一面の萩だった。どこもかしこも萩、萩、萩。すべての萩が空の上から枝垂れている。あぜんとしている僕に、君は言った。
すごいでしょ。
うん、すごい。
すごいよね。
うん、すごい。
僕はすごいしか言えなかった。口をぽかんと開けたまま、上を向いて歩いた。
時々、顔戻さないと。のどとか口とか、からからになるから。
慌てて僕は顔を正面に戻した。ごっくんとつばを飲み込む。ちょっと飲み込みにくかった。はなうたがかすかに聞こえる。前を歩く、いつもの君のスニーカー。アイボリーのキャンバス地に散るピンクのハートマークが、萩の花に見えてきた。僕らは長く長く垂れ下がる萩のカーテンを、かき分けるようにして進む。ここに着いた時に僕らを包んだ萩の香りは、もう鼻に慣れてしまって、いまやあるのかないのかわからない。
ねえ、ここ、なんなの。
知らないよ。いいとこでしょ。
うん。でもさ、ここ、なんなの。どこなの。
わかんない。
わかんないのにさ、なんで来れるの。
んー、来たいって思えば来れる。
僕はちょっとの間考えた。
じゃあさ、最初はどうやって来れたの。
最初はねえ、夢で来た。そんで、すごくいいとこだったから、また行きたいって思ったら、来れたの。
じゃあ、ここは夢の中なの。
知らない、違うと思う。帰るときに、萩が服にくっついてるときあるから。
現実ってことか。
知らない。わかんない。
話しながらも歩いた。行けども行けども、萩の終わりは見えなかった。不意に、すぐ隣に枝垂れているのに、萩そのものには触れていないことに気づいた。君も枝を手でよける仕草を見せていない。僕よりちょっとだけ背の低い、君の頭の向こうに目を凝らすと、君が進むのに合わせて、萩の枝が、両側に開いているように見えた。
これ、動くの。
なにが。
萩がさ、ぶつからないように、動くの。
ああ、道を開けてくれるの。
道。道なんてあるの。どこに行くの。
道はないんじゃない。行くとこに行くだけ。
だから、行くとこってどこ。
行ったとこが、行くとこでしょ。
君と話していても、全然埒が明かなかった。でも不思議といらいらはしなかった。僕は立ち止まって、萩の花に顔を近づけて、そっと右手で花を、左手で葉をつまんだ。やわらかくて、しっとりしている。
本物なんだね。
当たり前でしょ。
君は振り返った。すごく誇らしげだった。両手を広げて、目をきらきらさせて、大声で言った。
これぜーんぶ、本物の、本物の、萩なんだよ。
ざっと萩たちがざわめいて揺れた。まるで空全体が、空気全体が、世界全体が、さざめいているようだった。
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