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文学フリマに行った話

日本人は(っていうと括りが大きすぎるけど、まぁ傾向として)、謙遜というか、控えめな人が多いじゃないですか。


「私なんかが」とか、「つまらないもので恐縮ですが」みたいな。


今回は、文フリに行ってきて、自分のつくったものを、ひいては自分自身を、我武者羅に信じてもいいんだって思った話です。

* * *

文フリなんぞや、というのはこちらを見てもらうとして。

11月24日、第三十三回文学フリマ東京において、私、人生初の売り子さんとして参戦してきました。


彩ふ読書会という、素敵な読書会の、素敵な有志の方々による、素敵すぎる本が発刊されたからです。

改めてですがお疲れ様です。そしておめでとうございます。


執筆や編集には参加していないくせに、彩ふの末席に属する身として(これも謙遜的な表現ですね)アタイもなんか活動したいんや!!!と思い、飛び込んだ次第です。

売り子としての活躍は全然できなかったわけですけど、、、

* * *

場があったまってきた13時から14時くらいにかけて、一緒に売り子さんをした方と連れ立って、文フリ会場をぐるっとひとめぐりしてきました。

なんと4,000人以上の方が参加されていたらしく、会場内はかなりの混雑具合です。

そんな中、ずらっと並ぶ出店者の方々が、通路を歩く参加者の方々にどんどこ声を掛けています。

参加者側も、自分の性癖を満たす本を求めて、歩いたり立ち止まったりしながら進んでいきます。


自分もてくてく歩いたり止まったりしながら、

浮かんできたのは、彩ふ読書会含めた、出店者への憧れの念でした。


自分のつくった作品を、自分で売り込む。訴求する。

その姿には、「つまんないと思われたらどうしよう」とか、「自分なんかの本がほんとに売れるかしら」とか、そういった謙遜は、影も形も見当たりませんでした。

「自分のつくったものは本当におもしろい。だからぜひ見て」

そういう場でした。


作品づくりというのは、楽しいだけじゃありません。知ってます。

むしろ苦しいことばっかりです。無力さを痛感することばかり。


きっと出店者の方は、魂込める思いで、苦しさと楽しさを8:2くらいで味わいながら、それでもこの日に向けて作品をつくったんだと思いました。

私はいま、なんとかクリエイティブなことができないかアレコレ試しては、発信する前から「こんなんで大丈夫かしら、、」と不安に駆られます。このnoteもそう。

でも出店者の方は、やる前からの不安なんかとっくに通り越して、集客・販売というずっと先のステップにいる。

いいなぁ。率直にそう思いました。

* * *

ヘルニア悪化の予兆を察知し(笑)、早めに撤退させていただいて、

帰りの電車の中で、ずっと熱量の余韻に浸っていました。


自分が本気でつくったものは、本気で訴求できる。

その姿勢は、謙遜や謙虚とは程遠く、でも見ていて心地のよいものでした。


私も書いちゃおうかなぁ。なーんにも浮かんでこないけど。

そう思うようになっただけ、ちょっと成長した気がします。気がするで終わったらだめですけど。


文フリ、お疲れ様でした。



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