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拝啓、あの日の先生へ

「我慢って、美徳じゃないからね」

これは、私が高校1年のとき、塾の先生に言われた言葉だ。

その先生は、大学2回生(たぶん)の女性で、可愛くて面白くて、多感な女子高生のしょうもない悩みだの愚痴だのを笑って受け入れてくれる、やさしいひとだった。

マンツーマンの数学の先生だったけど、なにかにつけ友達と揉める私にとって、塾の時間は毎回カウンセリング同然になっていた。高い費用を払っていた親にはちょっとごめんと思うけど、当時の私にはどうしても必要な時間だったのだ。

その日も、たぶん私がまたなにかしら愚痴を言ったんだと思う。「どうせ私が我慢すればいいんでしょ」とか、いじけたことを。

そして上のセリフだ。我慢は美徳じゃない。

当時の私は大真面目に、我慢はすればしただけ偉いと思っていた。
体調が悪いけど部活に出る。部員の仲は悪いけど部活に出る。ギスギスした空気の仲、ちっとも上手くならないけど弓を引く。うまい子ばかりが贔屓されていても、下手な自分に発言権がなくても、弓道部に居続ける。

しんどいことを続けることが、立派なことだと思っていた。
そうしたら、いつかプレゼントみたいに素敵な結果が待っているんだ、と。

なかば信仰のようにそう思っていたものだから、先生の言葉は、おなかの奥に響くような衝撃をもって私のなかに落ちてきた。その衝撃をすぐに受け止められるほど当時の私は柔軟ではなかったけれど、それでも衝撃の余韻みたいなものはずっと長いこと残っていた。

それからも塾という名のカウンセリングはしばらく続いたけれど、高校1年の終わりごろ、先生は大学近くに引っ越すことになって、先生ではなくなってしまった。最後の授業が終わったあと、ぬいぐるみと手紙を貰ってさめざめ泣いたことを覚えている。
大人になった今考えても、私の人生で、いちばんの理解者だった。

どうでもいいけど、散々愚痴聞いてもらったあんたがプレゼント贈れと、今書きながら過去の自分に思っている。

* * *

多様性の尊重が叫ばれるようになって久しい。
変わるのはいいことだと思う。けどきっと学校という小さな社会には、いわゆるカースト制度がまだ根強く残っているんだろう。

勉強ができる子、できない子。
体育が得意な子、そうじゃない子。
友達が多い子、少ない子。少ない子は暗い子、ダメな子。

あぁもう、文系も理系も、運動部も文化部も、派手も地味も、どうだっていいじゃないか。気の合う人と仲良くしようぜ。

そう言えるようになったのは、私が大人になって、そして少ぅしだけ変わったからだろう。

* * *

先生がいなくなっていよいよ心の澱の吐き出し口を失った私は、でも相変わらず「我慢」を続けた。気の合わない仲間と、居心地悪く思いながらも部活を続けた。ずっと、あの言葉が引っかかっていたけれど。

あるとき、気が付いてしまった。自分が言いたいことをすべて封じ込めて、明るくにこにこしていれば上手に場が回ることに。

人は楽なほうへ流れる生き物だ。
自己主張するより黙っていたほうが揉めなくて済む。揉めなければ体力も気力も消費しなくて済むし、なによりみんな楽しそう。
その日から、私は徹底的に猫を被って生きることにした。それが正解だと信じて疑わなかった。

様子がおかしくなったのはそれから半年ほど経った、高3の夏だった。

朝起きられない。なにも手につかない。過去の過ちを悔い続ける。死のうとする。呼吸することすら申し訳ない。

それが抑うつと呼ばれるもので、きちんと改善すべきだったのだと今ならわかる。が、当時はそんなこと知らなかった。本気で心の奥底から、自分が生きるに値しない人間だと思っていた。

我慢は、美徳じゃない。

無理をし続けることは、正解でもなんでもない。
だって、なにが本当に”無理”なのかすらわからなくなってしまうから。

* * *

多様性が叫ばれるようになった。
私はあのときの抑うつを上手く治せなくて、まるで折れた骨を無理矢理くっつけるみたいにしたせいで、かはわからないけど、躁うつ病になった。
もしかしたら障害者だって思う人もいるのかもしれない。自覚はあんまりないけれど。それはちょっとだけ怖いことだ。

でも昔よりも気持ちが楽なのは、社会が寛容になったからとかそんなんじゃない。私が、居心地の悪い場所をちゃんと避けるようになったからだと思う。
嫌だったら辞めるのだ。仕事も、人付き合いも。

それと、高校生の私はきっとわがままだった。相手の気持ちを汲まないと、たぶんどこにいたって居心地は悪い。
散々お世話になった先生へなんの贈り物もしなかったような、そういう気遣いの足りなさが、人付き合いを上手くやれない一因だったのだろう。

こうやって解決法を考えて身につけるほうが、絶対的に効率的だ。
我慢なんかするよりも。

先生はたぶん、私にそういうことを言いたかったんじゃないかと思う。
当時はわからなかったけど。

ねぇ先生。おかげさまで、私、どうにか元気にやってますよ。

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