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病気の一枚 51

2023年8月の私です。

本編に入る前に・・・ここ最近、私のnoteへ来てくださっている皆さま&いつも読んでくださっている皆さまへ。いつもの皆さまにはいつもの記事ですが、最近来てくださっている皆さまには、ちょっとびっくりかも、と思うので、この前置きを書くようにしました。

私、この病気の事を、今は月1回で書いています。最初の頃は、まあ、自分の人生で、こんな経験することって、2度とないしな、と思って書いていました。でも時がたつにつれて、記事を読んでくださっている皆さまにコメントをいただくようになり、この病気に対して、病気を経験した人にも、現在進行形で治療をしている人にも、経験していない人にも、何か伝えられる、伝わる事があれば、と、少しずつ思うようになってきました。

特に大きな事は何も考えてなく、どなたかが言われた「ろうそくの灯」のように小さな小さな明かりを灯し続けていければ、と思っております。
私の定時連絡のようなモノだと思っていただければ、いいかなと思っております。

2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年2020年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法(タモキシフェン)が始まった。

2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしていたが、少し症状は軽くなってきた。それでも、腕を休ませながらの勤務。仕事は本格的に復帰していたが、7月から再発治療による副作用のため、再び休職に入った。

2023年1月に再発。右肺の胸膜に遠隔転移判明。診断は『右肺の胸膜播種』。現時点でガンに対する自覚症状はない。べージニオ&フェソロデックスを用いて再発治療中。

最初のがん告知から、3年10ヶ月。
手術して、3年9ヶ月。
最初の抗がん剤治療が終わって、3年3ヶ月。
再告知&再発治療が始まって、7ヶ月。

今月は、再発治療を開始して半年経ったので、その辺を書き出していたら、また長くなりました・・・うん、長い。

いったん休薬。

今月も月一回の診察&筋肉注射(フェソロデックス)を受けに病院へ行った。いつもどおり、嫌だな~と思いながら採血されて、待合室で先生に質問することをまとめながら、名前が呼ばれるのを待って、診察室に入って告げられたのは、
「うーん・・・白血球値が下がっててね・・・」
うっ・・・あんまり聞きたくなかったっす、そのセリフ・・・。

まあ、極端に下がっているわけではなく、基準値より少し下回っているらしい。血液検査の結果を見ながら、主治医の先生とこれからどうするか、話し合いが始まった。
下がっている原因は、今飲んでいる分子標的薬ベージニオの副作用で、骨髄抑制が起きているので、感染症に感染したら重症化しやすいと。
でも、このままの治療でいきたいので、2週間休薬しませんか?と先生からの提案。

「休薬」この言葉を聞くのは2度目である。1度目は、ベージニオを飲み始めてすぐの頃。副作用の下痢がひどくて、休薬。そして、今回。「不安」の2文字が頭の中にむくむく現れて膨らんでいく。
でも先生いわく。腫瘍マーカー値は落ち着いているから、今は白血球値を上げるべく、いったん休薬した方がいいと思うと。そっか。値が上がれば、また治療再開できるのか。

減薬という方法もあるけど、効果の割合が減ってしまう。
 ベージニオ 150mg → 9~10割
       100mg → 7~8割
        50mg → 5~6割
という効果になるらしくて、今はベージニオ100mgを服用中。

患者さんそれぞれの考えがあって、方法があって、個人差があると思うが、私はさらに減薬するより、いったん休薬して白血球値を上げようという結論に至った。

だがしかし。
フェソロデックス(筋肉注射)は今日やりましょうということで、休薬でテンションが下がっている上に、注射嫌いなので、さらにまたテンションが下がる私に、先生は元気づけるかのように、にこやかに「いってらっしゃい」と見送ってくださった。

でもしかし。
休薬ダメージが大きすぎたのか、何かしらの緊張の糸がぶつんと切れたらしく、注射治療を受けた後、大粒の涙が止まらなかった。私にしては珍しく、わんわん泣いた。数分泣いて、泣き止んで、落ち着いた瞬間から、少し爆睡して、今月は処置室を後にした。そっと寝かせてくださった看護師さん、ありがとうございます。

今は、人込みを避け、できるだけ生モノも避け、手洗いうがいをしつこいぐらいしている。本当はコーヒーもよろしくないのだろうが、飲みたいもの飲みたいし、食べたいもの食べたいし、正直少しだけ嗜んでいる。

ベージニオを半年服用した身体。

ここからは、再発治療が始まって、半年経って、身体に現れた変化を振り返ってみたいと思う。

脱毛。
2~3ヶ月前から、頭の脱毛がひどくなっている。手ぐしで髪をかき上げると、指の隙間にごっそりと髪の毛がもれなくついてくるのだ。最初の抗がん剤治療の時に全部抜けた時ほどではないけれども、どれくらい抜けるものなのか、数分手ぐしで髪をといて、抜けた髪を集めてみると、直径は五百円玉ぐらいの大きさになった。
でも、このボリュームが髪を洗うたびに抜けていく。少なくとも2ヶ月はこの状態がずっと続き、休薬に入った今も量は少し減ったものの、髪は抜け続けている。
ウイッグはいらないという話ではあるが、ここ数ヶ月で誰が見ても分かるぐらい薄くなった。以前、使用していたウィッグやケア帽子はまだ保管しているので、来月、美容室で相談する予定。

吐き気。
調子が悪いと、3,4日に1回ぐらい、調子が良くても2週間に1回ぐらい吐き気がやってくる。いちおう吐き気止めを処方してもらっているので、それを飲んでしのいでいる。

喘息。
今年の春に発症。内科と耳鼻科に数ヶ月通院して、今は落ち着いている。が、CT検査時に、アレルギー発症を防ぐための薬を飲むはめに。

胸。
今回再発したのは右胸。最初の腫瘍は、右胸の乳首の下に小石みたいな腫瘍。なので、右胸を全摘したが、その右胸の胸膜に「胸膜播種」という、腫瘍が膜に散らばる形で再発。でも、自覚症状は何もない。
治療を受けて腫瘍マーカーが基準値内におさまっている今も自覚症状はない。

肝臓。
最初の抗がん剤治療の時は、γ-gtという肝臓の値が悪く、肝臓の薬をずっと服用していたが、今回も治療が始まってから半年経って、肝臓の数値が上がってきている。が、先生いわく、問題ない範囲らしい。なので、経過観察中。

胆のう。
CT撮影時に、少し炎症が見られるとのことだったが、ご飯を食べることができてるなら、問題ないでしょう、とのことで、こちらも経過観察中。
ちなみに、3月に健康診断で胃カメラを飲んだ時に、胆のうの壁が少し厚いけど、今のところ問題ないそうだ。

右腕のリンパ浮腫。
最初の腫瘍で、右胸と同時に右脇の下のリンパに腫瘍が転移していたので、手術で14個ほど除去。それから数ヶ月してリンパ浮腫が発生。現在に至るわけだが、目立つほどのむくみは見受けられないものの、相変わらず右脇の下は感覚がないし、調子に乗って右腕を使うと、夕方、脇がゴムバンドで締め付けられるように痛くなる。毎日朝晩のマッサージは欠かせない。

爪と指の皮。
今月に入ってから、手の爪が弱くなったような感じがする。そして、伸びるのが遅くなっている気がする。
また、指の先端の皮がボロボロむけている。むける時の痛みはない。副作用かどうかは、私は分かっていないが、あんまりひどくなるようであれば、先生に相談したいと思っている。

子宮関係。
半年に一度婦人科を受診して子宮頸がん、子宮体がんの検査を受けている。今のところ異常なし。
生理は最初の抗がん剤を受けた時に、2回目の抗がん剤治療後に、完全に止まった。

下痢。
ベージニオの一番の副作用である下痢は、飲み始めた頃は1日7~8回ぐらいあったものの、減薬して1日5~6回ぐらいに減った。休薬した今は、1日2~3回ぐらいに減っているが、出る量は変わらないし、相変わらず食べたモノは原形をとどめて出てくる。
食事制限はグレープフルーツや皮の厚い柑橘類以外は、特に制限がないものの、なんとなくカレーは避けていた。でも、ネットで同じベージニオを服用している方のブログで、スープカレーを食べていたという一文を見た。ちょうどその頃カレーを食べに行こうと誘われていた。よし!と気合を入れて、スープカレーを食べてみた。結果、翌朝、いつもと変わらない液体状の便が出てきたのであった。

腹痛。
下痢止めを服用して、下痢が再開する時に、お腹が張って腹痛に見舞われるのだが、下痢の時に腹痛を伴うこともあり、発生のタイミングはいたって不明。

倦怠感。
これもまたタイミングがよく分からないが不定期にやってくる。数時間もじっとしていればよくなる時もあるし、2,3日だるくてだらだらと休む時もある。下痢と並んで嫌な副作用の一つである。

体重。
治療を開始してから半年。結局6キロ痩せた。ベージニオを服用する前に飲んでいたタモキシフェンのせいで、もともと少しぽちゃっとしていたこともあり、標準体型に戻ってちょうどよかったかなと思っている。
でも、これ以上痩せないように、今は食いしん坊能力を発揮して、ご飯摂取中。

栄養。
先月までは、鉄分が足りないと鉄分サプリを処方されたり、その前はタンパク質が足りないと言われ、あの手この手を使って、栄養摂取中。

旦那。
再発が分かってから、一度、一緒に先生の話を聞きに行った。
いつぞやか、倦怠感が出て、吐き気があって、食欲もあまりなかった時は、卵豆腐や果物ゼリー、茶わん蒸し、山かけ蕎麦を買って来てくれて、
「うわわぉ~!すごい~!どうしたとっ!?」
と、ひとしきり感激感動していたら、
「最初の抗がん剤の時の定番食やったやん」
と言って、淡々と冷蔵庫に食材を入れていた。
そうだった。最初の抗がん剤治療の時は、治療後1週間はだるさが続いて食欲がなかった。それをしっかり覚えていたのだ。
再発を一番冷静に受け入れているのは、実は旦那かもしれない。

仕事。
7月から完全に休職中。
一番の原因は下痢である。ひどい下痢が始まると、仕事を中断してトイレに駆け込まざるを得ない。念のためナプキンタイプの紙おむつもしていたが、それだけでは間に合わない。他の現場の方にも迷惑がかかる。
5月に喘息を発症して、だんだんひどくなり、仕事を遅刻早退する日が続き、ドクターストップがかかり、やがて休職へ突入。
正直、休職は本意ではなかったが、悔しい。
今は休んでいるにしても、これから、どうするか、どうなるかは、いろんなところと相談しながら、こちらも、ぼちぼち考えていきたい。

たくさん出てきたが、これらの副作用、症状、状況を調整しながら、まだまだ再発治療をぼちぼちと続けていくつもりである。

撮った。

実は、最初の抗がん剤治療を始めた頃、ほぼ同時期に急性骨髄性白血病を発症して、抗がん剤治療を同じタイミングで始める父と話したことがあった。抗がん剤治療を無事に終えて、二人とも動ける状態になったら、お寿司を食べに行こうと。

父のお気に入りのお寿司屋さんが天草にある。治療中は二人とも生モノは禁止されていたので、治療が終わった後の目標の一つにしていた。
しかし、父はそう約束して数ヶ月後、この世を去った。私は残った。

再発するまで、お寿司屋さんに行きたいと帰省のたびに話していたのだが、母の気持ちの整理がつかず、足が向かないままだった。
でも、今夏、やっと家族で行くことができた。私も正直どうなるか分からないが、後悔は一つでも残したくない。その思いが強かった。

お寿司屋さんの店の雰囲気も、大将も、お寿司も、何も変わっていなかった。あの時のままだった。美味しかった。楽しかった。
食べ終わって、帰りに海を見に行ったら、虹がうっすらと海にかかっていた。最高だ。

さあ、果たして、来月は白血球値がどのくらい回復しているだろうか?




追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったらも50もご覧ください。



いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、44から再発治療が始まります。




記事を書くための栄養源にします(^^;)