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病気の一枚 50

2023年7月の私です。

本編に入る前に・・・ここ最近、私のnoteへ来てくださっている皆さま&いつも読んでくださっている皆さまへ。いつもの皆さまにはいつもの記事ですが、最近来てくださっている皆さまには、ちょっとびっくりかも、と思うので、この前置きを書くようにしました。

私、この病気の事を、今は月1回で書いています。最初の頃は、まあ、自分の人生で、こんな経験することって、2度とないしな、と思って書いていました。でも時がたつにつれて、記事を読んでくださっている皆さまにコメントをいただくようになり、この病気に対して、病気を経験した人にも、現在進行形で治療をしている人にも、経験していない人にも、何か伝えられる、伝わる事があれば、と、少しずつ思うようになってきました。

特に大きな事は何も考えてなく、どなたかが言われた「ろうそくの灯」のように小さな小さな明かりを灯し続けていければ、と思っております。
私の定時連絡のようなモノだと思っていただければ、いいかなと思っております。

2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年2020年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法(タモキシフェン)が始まった。

2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしていたが、少し症状は軽くなってきた。それでも、腕を休ませながらの勤務。仕事は本格的に復帰していたが、7月から再発治療による副作用のため、再び休職に入った。

2023年1月に再発。右肺の胸膜に遠隔転移判明。診断は『右肺の胸膜播種』。現時点でガンに対する自覚症状はない。べージニオ&フェソロデックスを用いて再発治療中。

最初のがん告知から、3年9ヶ月。
手術して、3年8ヶ月。
最初の抗がん剤治療が終わって、3年2ヶ月。
再告知&再発治療が始まって、6ヶ月。

今月は、気になることを話し出したら、止まらなくなりました・・・。

喘息は収束。

「収束」としたのは、ずっと続いていた症状が、今月に入ってひとまず収まったので。でも、またいつ出るとも限らないので、油断はならないらしい。まあ、また何か気になることがあったら、いつでもおいで、と先生方に言われ、内科と耳鼻科はいったん卒業した。

だが、今度は喘息が発症したことにより、別問題が発生した。
今月は3ヶ月に1度のCT検査があるのだが、検査前に薬を飲みなさいと看護師さんいわく。っていうか、先月会計待ちをしている時に、看護師さんが慌ててやってきて、私を別部屋へ連れて行き、ドタバタで説明が始まったのである。

喘息持ちの患者さんが造影剤を使ったCT検査を受ける時は、造影剤によるアレルギー発生をおさえるための薬を飲まなければならないらしく、私に処方されたのは、メドロール錠。なんだかとても強そうな名前のステロイド薬だなと思いながら、服用方法の説明を聞いて、唸ることになる。
「検査の12時間前と、検査の2時間前にそれぞれ16錠飲んでくださいね」
「・・・えっ!?16錠も!?」
「1粒はものすごーく小さいから飲めると思いますよ」
そっか小さいなら・・・いや、そういうことじゃない。1回16錠って、なんだか飲める気がしないんですけど・・・うーん、途中7錠ぐらいで飽きてしまいそうだ。

撮った!

メドロール錠自体は、確かに小さかった。直径2,3ミリもあっただろうか?飲んでいる途中で、小さすぎて、途中で飽きるというより、紛失しないかヒヤヒヤしながら飲んだ。
検査12時間前は自宅で飲んだので、まだ落ち着いて飲めたが、検査2時間前は病院の待合室でコソコソ飲んだので、薬が転げ落ちていかないか、必死だった。はたから見たら、きっと怪しかったに違いない。

そう。CT検査を受ける日は半年に一度の婦人科の受診、検査も入れていたのだ。だから、婦人科の待ち時間に、コソコソとメドロール錠を飲むはめになったのである。
婦人科は、エコーと子宮頸がん検査である。それを受けた後にCTだったので、朝一番に病院へ来てまず婦人科を受診してくださいねと念を押されていた。

こうして、婦人科の検査も終わり、CT検査の造影剤を注入するための小さなチューブを静脈に入れる時に、右腕はどうか?いや、リンパ浮腫起こしてるからだめっす。そしたら、左の肘裏は?最近、血管が見当たらないらしいっす。じゃあ、左手の親指の付け根は?拷問ですかっていうぐらい激しく痛かったので、ここだけは絶対やめてほしいっす。と、例によって静脈探しで大騒動しまくり、結局いつもの手の甲に落ち着いた。

造影剤を入れたので、CT撮影後はCT室の手前のスペースで、並べられた椅子に座り15分間様子を見る。その間に、初めて造影剤を入れたというおじさまと、たわいもない話で盛り上がった。
「いやあ、一杯ひっかけたごたぁ感じやねぇ~」
確かに造影剤が入ると身体がしばらくポカポカと温かい。冬はカイロ代わりになっていい感じなのだが、夏は・・・と思っていたら、このおじさまの感想。なるほど。ちょっと一杯というのは、こういう感覚なのか。

検査を無事終えて、病院の外へ出たら、まぶしい日差しがあった。背伸びがてら、ぱちり。

こんにちは~!あ、ちょっと待っててね。

診察室に入るなり、乳腺外科の主治医の先生は、タイミングよくかかってきた携帯電話を取っていた。まあ、メモ帳やらおくすり手帳を準備する時間ができてちょうどいいやと思って、準備をしていたら、電話が終わった。

「ごめんなさい。お待たせしました」
「あ、いえいえ~」
「えっと、CTやったね。CTは、胆のう腺筋腫症の疑いが出てるけど、最近ご飯が食べられないっていうことがある?」
「いいえ、むしろ食欲が増えた感じがしますが」
「まあ、疑いだから、あんまり気にしなくてもいいよ。あ、乳がんの方は再発なかったから、問題なしね」
「よかった~」
「で、血液検査やけど、腫瘍マーカーも正常値内やし、ヘモグロビンは・・・鉄分飲んでる効果がプラス0.2出てるしね」
「え?0.2だけ?先生、鉄分も飲みよるし、レバーとかほうれん草も食べよるんやけど・・・」
「そうね・・・すごい努力されてるのは分かるんやけど、ヘモグロビンが激的に上がるってことは、そうそうないのよね・・・」
「そうですか・・・」
「でも、問題はないから、このままの治療を続けましょうね」
「このままというと・・・ベージニオ飲んで、お尻に注射・・・ですよね?」
「そうですね」
「・・・てことは、今から注射???」
「うん・・・・・・ファイト!!!」
先生は、今月もにこやかに私を見送るのであった。

フェソロデックスとベージニオ

フェソロデックスはベージニオと併せて使うと効果があると言われている、どろっとした薬剤。ベッドにうつ伏せになって、中臀筋という、お尻の頂点から少しズレた部分に、左に1本、右に1本、計2本、時間をかけて打つ。
だいたい2分ぐらいかけて打つらしいが、私の場合、2分だと、注射後や翌日、足に激痛が走り、歩くのがつらくなる。なので、ゆっくりと、倍の5分かけて打ってもらっている。少しでも注入速度が速くなると、すぐ痛みが走るのだ。

分子標的薬ベージニオ。こちらは飲み薬。1日2回、朝と晩に飲む。主な副作用は下痢。ここ数年で開発、認可された薬である。
私の場合、最初は150mgからスタートしたものの、副作用の下痢がひどくなって、今は100mgに減薬している。だが、減薬しても、下痢の頻度は変わらないし、相変わらず食べたモノはほぼ原形をとどめて排泄される。最近のびっくりした排泄物第1位は、前日の夕食で食べた野菜炒め(キャベツ、ほうれん草、もやし、ニラ、キノコ類)が翌日午前中に、そのまま出てきたことだ。

どちらも、今のところ、私のがん細胞を抑えるのに、十分役割を果たしている。しかし「がん細胞は学習する」という主治医の名言を忘れてはならない。この治療が永久に続くのかというと、そうではないのだ。

余命を考える。

いくら治療が順調だからといって、自分の余命があとどれくらいあるのか?ということを考えない日は正直ない。
再発してから今まで、はっきりと余命宣告はされていない。だが、主治医には、もしその時がきたら、絶対はっきり言ってほしいと話している。

仕事も休職になってしまった今、この治療とどれくらい付き合うことができるのか?そして、残された時間が他の人より短いのであれば、自分はどう過ごしたらいいのか?これも考えない日はない。

今年5月の初めにNHKの『100カメ~”余命”と向き合う人』という番組を見た。これは余命を告げられた人の周りにカメラを設置して、それぞれの日常に密着した番組だ。がっつり見た。今でも余命のことを考える時に、録画した番組を見る。

同じ立場の他の人たちはどうしてるのだろう?自分が手術や抗がん剤治療で入院していた時の友人の中にも再発した人がいるが、彼女は進行が早かったので、途中まで連絡を取っていたが、もう今は連絡を取っていない。ただ亡くなったかどうかも不明のままだ。
あの時の友人で、再発治療を受けているのは、おそらくまだ自分だけ。だから余計にこの番組に興味を持ったのだ。

そして、いま現在受けているベージニオの治療が何年続くのか知りたくて、ネット検索もしている。ネット検索は、あんまりしない方がいいよ・・・と、ずっと言われ続けているが、やっぱり検索してしまう。

病気や治療には、もちろん個人差があるので、自分がネットで見聞したとおりになるとは限らない。それは百も承知である。
でも、見る人、読む人、みんな外見は健康な人と、なんら変わりがない。普通に健康な人の生活に溶け込んで暮らしている。何度も言うが、「私はガンです」と言わない限り、がん患者であることは分からない。

しかし、健康だろうが、病気だろうが、時間は限られている。今は特にそう思う。だから、どんな環境になろうが、今を楽しみながら生きていきたい、心ゆくまで楽しみたい。

楽しみながら生きていきたい、と言いつつも、体調がいつ急変するか分からない。いつ点滴や酸素などの管を身につける日々がやってくるのか分からない。もしかしたら、この先何十年も急変しないままかもしれない。
もちろん、その時の自分の体調と相談しながら、主治医と相談しながら、家族と相談しながら、ぼちぼちいきたいと思う。

まあ、これからもいろいろ考えると思うけど、
今の時間を存分に楽しみながら過ごしたい…な。



追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったら49もご覧ください。



いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、44から再発治療が始まります。


記事を書くための栄養源にします(^^;)