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夕焼けの一枚 1

映えって何よ?

いきなり反抗的態度から始まったが、別に悪態をつこうとしているわけではない。ただ、ここ数年の「映え」ブームで、観光地や飲食店などの映えスポットでは、いろんな人がいろんなモノをいろんな角度から、いかに映えるかを目指して写真を撮っている。

私も例外ではない。と、最近思うようになってきた。というのもちょっとだけ「映え」を意識するようになってきたのだ。どうしたら、この景色を自分のカメラに収められるか?と。どうやったら、この景色を見た時の想いを収められるだろうか?と。そして、どれだけ伝えられるだろうか?と。

ちなみに、私自身は、自分が写真に写ることは死ぬほど大っ嫌いで、履歴書などの証明写真以外は、よほどのことがない限り撮影者に徹する。幼い頃から家族写真を撮るにしても、旅行先で友達と写真を撮ろうと言われても、周りがドン引きするぐらい写ることを拒んできた。

でも、いまから数十年前。

学生を卒業して社会人生活も数年経った頃、都会で働く機会があった。そしてそれまで写真を撮るということやカメラにほとんど興味がなかった自分が、デジタル化の波に押されて、大きな電気屋さんでデジカメをふと買ったのだ。カメラの世界ってどんな感じなのかなと思って。ちなみに、買ったデジカメは安いcasioのコンパクトタイプのデジカメだったように記憶している。

カメラを買ったその日から、残したい風景があれば一枚、面白いモノ見つけたら一枚、いろんな一枚を写していった。自分が撮られることが嫌いなので、人物は頼まれない限り撮らない。カメラ自体はそれから3、4回ほど代替わりをして、やがてスマホでも画質のいい写真が撮れるようになってきたので、デジカメを持たなくなってしまった。

デジカメでカメラを撮っている頃は、とにかく構図とか光の加減とかそんなことは気にせず、ひたすら撮り続けていた。なんせ、小さな好奇心だけでカメラを手にしたので、自分の思うがままに撮り続けた。それは今でも変わらない。

撮った。

そんなカメラも写真も水たまり程度の浅い知識しかない私だが、初めてのデジカメの時から追いかけているものがある。夕焼けだ。寒い季節になると、夕焼けを求めて海へ行ったり、山へ行ったり・・・。だが、なかなか満足のいく一枚は撮れない。まだまだ修行が必要だな。修行の前に知識やろうもん、という声も聞こえてきそうだが。

そんな中、先日、私の一枚をnoteで紹介いただいた。

tamakoさんは、思うまま、気ままな、かる~い私と違って、社会人生活1年生の時に一眼レフカメラを購入されたそうだ。もうそれだけですごいなあと思った。私も一眼レフ購入を考えなくもなかったが、結局いまだ手を出せずにいる。でもtamakoさんは、またこれからカメラとちゃんと向き合おうとしている。その気持ちも素晴らしい!でも、tamakoさんは「まだ見習い中です!!」とおっしゃっているが、この記事の紅葉の写真、緑から赤へと季節が変わる感じが出ていていいなあと思っている。

tamakoさんの記事のタイトルにもある「調和」という言葉。何事にも通用する。写真のみならず、人間関係や社会生活、家庭などなど。なかなか難しいテーマではあるが、写真に関してはこれからも思うままに撮っていきたいと思う。そのうち調和のとれた一枚がいつか撮れるだろう、きっと。私も修行しよう。

っていうか、ずっと修行の身だな~、うん。

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