見出し画像

【日記】日本人は真面目すぎる 私は真面目をやめてしたたかに生きていく

 日本人は真面目過ぎるというのは定説であるけれど、特にコロナ渦でそれが顕著になった気がする。日本人であるが故の真面目過ぎる他者批判と自己責任論がメディアで繰り返されている。正直またかよって嫌になってくる。

 もっと軽く考えていいんじゃないか。誰もコロナどころかインフルエンザどろか風邪だって引きたくない。37度を超える熱だって身体が辛くてしんどいのは承知なんだから。

 マスコミはネタを探しに奔走しているし、ネットは承認欲求の塊のような呟きで溢れているし、何をそんなに騒ぎ立てる必要があるのか理解ができない。

 とりあえず情報という情報をシャットアウトしてのほほんと一日寝て起きて寝て、という自分本位の生活をしてみたら緊張感が少し解れるんじゃないかと思う。

 亡くなる人はどんな病気に罹っても亡くなるし、家から出たところで交通事故に遭ってあっけなく逝ってしまうかもしれない。先日私も安全確認を怠りうっかり自宅から車を急発進してしまい、危うく大事故を起こす一歩手前だった。(相手のタクシーのクラクションがなかったら追突していた)

 日本人は自分を責めすぎる傾向にある。特に何の落ち度もない人ほど自分を責める。責めなくていいのに、と思うがそれがその人のいいところでもあるから何とも言えない。

 私はコロナ解雇で整理された人間だが自分を責めたことはない。責めて何かいいことがあるのだろうか。整理対象になった原因探しをして自分の首を絞めてどうするのだろうか。

 終わったことなんだから振り返らない。蒸し返さない。そんな目に遭った自分を可哀想だと自己憐憫に浸らない。
よかったじゃん、そんな会社と縁が切れて。

そうやって今だけ見るようにしたら心が軽くなった。

 海外を放浪していた頃、特に東南アジアやインドをふらふらしていた頃、「コイツら、なんて不真面目に生きてやがるんだ」とある意味感心の連続だった。いや、そのくらい図太いメンタルがないと人間は生きていけない。

 日本人は騙されやすいという図式が定着しているから、すぐにぼったくられそうになる。まさに現地人との闘いの連続。時間にはルーズだし、嘘を重ねる。それでいて反省もせずテキトーに過ごしている。悲壮感がまったくない。物乞いは乞うことを「仕事」として割り切っているので情に厚い人は恵みのコインを与えるが案外タフに生きている。そう、したたかなのだ。

 そのしたたかさと図太さがあれば生きやすくなると感じたのは20代前半の頃だ。繊細メンタルの父親の元に生まれた私ももれなく繊細メンタルの血が流れているが、底から這い上がる力も持っていると自負している。

 いろんな世界を見ていくうちに日本人で良かったと安堵するとともに、もっとテキトーに図太く自己中心的に生きていってもいいんじゃないかと思う。

 これは自分が歳を重ねて図太くなったのか、何かに吹っ切れたのかわからないけれど、悶々と悩んだり意味もなく自分を責めるということに何の価値もないことに気付いたからだ。

 そのほうが楽だし省エネだと思っている。そんな日記を今湘南の海の近くで書いている。我ながらフットワークの軽い暇人。

 明日もゆるく生きて明後日はちょっと本気出して歯医者に行ってきます。では、最後まで読んでいただきありがとうございました。


ありがとうございます!あなたに精一杯の感謝を!いただいたサポートはモチベーションアップに。これからの社会貢献活動のために大切に使わせていただきます。これからもどうぞよろしくお願いします。