20200209登山

【登山】山に登り続けるたったひとつの理由~南アルプス百名山制覇物語【前半】

こんにちは。

ここ2年くらいテレビをほとんど観なくなってしまった。今までは年末大晦日1年に一度だけ観ていた紅白歌合戦もレコード大賞も全く興味がなくなった。

ニュースもネット、どうしても観たいテレビはスマホアプリで観ている。自分のペースで観ることができないテレビは自己中心的な生活をしている私にとって不都合極まりないモノでしかなくなってしまった。

グレートトラバースとの出会い

そんな私が5年前ごろから毎回楽しみに見続けているシリーズのテレビ番組がある。それが「日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse3~」である。

プロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんが単独で日本の山々に人力のみで挑む「グレートトラバース(Great Traverse) 日本百名山ひと筆書きシリーズ」である。NHKBSプレミアムで現在も不定期放送中である。

日本百名山・日本二百名山・日本三百名山を繋ぐ人力旅として2014年からスタートしたこのプロジェクトも第3弾として2018年1月1日鹿児島県屋久島を皮切りに2020年2月9日現在も北海道の利尻島を目指して現在も北上中である。

そのルートは10,000㎞を超える距離と想定され、期間は約1年6カ月の予定どころか2年を経過した今もなお挑戦中である。

人力とは出発地点から到達地点まで、陸路はすべて徒歩とスキー、水路はシーカヤックとパックラフトを利用する正真正銘の「自分自身の力」なのだ。日本にこのような人がいることが誇りというかもう凄すぎて絶句するのだ。

2014年、前人未到の挑戦として、南は鹿児島県屋久島から北は北海道利尻島までの「日本百名山ひと筆書き~Great Traverse~」7,800kmの旅を208日と11時間で達成。2015年には、北海道最北端宗谷岬から鹿児島県の佐多岬までの新たな100座を、同じく人力のみで繋ぎあわせる「日本2百名山ひと筆書き~Great Traverse2~」約8,000kmの旅を222日で達成した。グレートトラバース公式HPより
随筆「日本百名山」を著した深田久弥氏が厳選した100座、その「日本百名山」に入らなかった46座と「深田クラブ」によって選定された54座を合わせた「日本二百名山」とされる100座、そして1978年に日本山岳会により選定された、深田氏の「日本百名山」に200座を加えた「日本三百名山」とされる300座。その百名山、二百名山、三百名山の合計301座(※)を、プロアドベンチャーレーサー田中陽希が人力のみで繋ぎ合わせる旅。日本列島を鹿児島県の屋久島から北海道の利尻島へ北上するルートは10,000㎞を超える距離と想定され、期間は約1年6カ月を予定している。陸路は徒歩とスキー、海路はシーカヤックやパックラフトを使用する。今までの挑戦とは異なり“冬”の山を 登ることになるため、アドベンチャーレーサーとしてのプロフェッショナルな体力とスキルが求められる挑戦である。グレートトラバース公式HPより

田中さんの居場所や動画や日記は随時HPやSNSで知ることができる。今は田中さんと放送班どこにいるだろう。

私が南アルプスに惹かれる理由

登山においてその山が百名山であるかどうかはあまり気にしていない。確かに百名山というのは深田久弥が認めた山であるから感慨深く登らせていただくのだが、百名山というブランドを意識することはあまりなくなっていた。しかしグレートトラバースを観るうちに、やっぱり百名山は別格だと思わされる機会が多くなっていった。特に南アルプスの縦走シーンは心に響く感動作だった。あの感動が蘇る。雷鳥を初めてみたのも南アルプスだった。

それに南アルプスの百名山は全部で10座しかないにもかかわらず、その一つ一つの山のスケールが大きすぎるのだ。とても一気に北から南まで一気に縦走することは熟練の登山経験者でない限り困難である。

南アルプスは北アルプスと比べて女性的で岩場も少ない。ただし北アルプスのように山小屋が整備されていたりするわけではなく割と人が少ないため、縦走するにはそれなりの装備が必要だ。そんな秘境の南アルプスに私は心が惹かれていた。

1.塩見岳から光岳まで(大学2年登山サークル夏合宿)

19歳でバイト先の人から誘われて何の気なしに入ってしまった登山サークルの初めての夏合宿が「南南アルプス大縦走」だった。たまたまサークルの打ち上げで飲んでいたところ誘われた。まだサークルに入ってから半年くらいしか経っておらず、経験値も浅く装備も人から借りたものを使っていた。体力づくりもそこそこに学校の勉強とバイトに明け暮れていた。特に装備を揃えるのは大学生にとって非常に困難で、登山靴1足買うのに3万円、ザックに2万円、雨具(レインウェア)に2万円、寝袋に2万円、その他ヘッドライト、マット、ザックカバー、非常用品諸々最低限揃えるのに必要な装備はトータル10万円を超える。

バイトは常に3つ、4つ掛け持ちしていた。朝は7時から9時まで大井町駅前(他にも色々)でティッシュ配り、10時から17時まで神田にあるイベント制作会社の事務、18時から22時まで柴崎にある印刷会社でデータ入力のバイトをしていた。

ハードだけれど目標があったので遣り甲斐があった。他にも単発でイベントスタッフとして働き日給1万(飲み代タダ付)というバイトや工場で部品の組み立て作業、アパレル販売、デパ地下の総菜売り場でも汗だくになって働いた。

大学2年の夏休み。総勢10名の大合宿。荷物は一人15キロ。テントを背負う男子は20キロをゆうに超えていた。とにかく水や食料が重い。これらは消費されるので徐々に軽くなっていくが、それでもゴミは持ち帰らないといけない。

登山中は感動というよりも山を舐めるな!という洗礼の数々だった。塩見岳は思った以上に岩場が多く腰が引けた。それにいつも天気が悪くガスに覆われていた。

塩見岳、悪沢岳、赤石岳すべて天候に恵まれなかった。初めて経験する3000メートル級の山々は酸素が薄くて息切れが激しい。幸い高山病にはならなかったが、その気圧の低さには体が順応するのについていけなかった。

寝場所は決まってテント。ずっと天候が悪かったため避難小屋に泊まった日もあった。8月の夏とはいえ標高が高く夜は非常に寒い。眠れない日々と疲労と空腹が続く。「眠れない」と言って眠い目をこすりながら話につきあってくれた縁の下の力持ち的な同級生の存在がありがたかった。

縦走を続けて5日目の朝、快晴に恵まれた。既に疲労困憊だったが心は晴れやかだった。ようやく聖岳の山頂で晴天をバックに笑顔で集合写真を撮った。これまでの疲れなんて全て吹っ飛ぶ瞬間だった。

聖岳から光岳、終わりが見えてきた。もう体全体足もガクガクだ。当然縦走期間はお風呂にも入れない。口癖は「温泉に入りたい」だった。みんな異口同音に「温泉!温泉!ビール!ビール!」口ぐさむことが何よりの楽しみだった。

光岳から下ったところは林道だった。なんとこの林道を42キロも徒歩で歩かないといけない。予定表には書いてあったが絶望した。1日かけて歩けるのか。携帯電話を持っている人もいたが基本的に電波が繋がらない。先行組がジャンボタクシーを手配してくれたおかげで、42キロの林道歩きからは解放することができた。

あの山々の頂、仲間の笑顔、山々の緑と常に見える富士山、強風の中断崖絶壁で立ちすくむ私、みんなで食べる山ごはん、レトルトカレーじゃんけん。全てが今でも鮮明に記憶している大切な思い出だ。まだ登山初心者の私が南アルプスを5座も縦走できたのは仲間の支えがあったからだ。

2.仙丈ヶ岳、鳳凰三山(社会人2年目)

大学を卒業しても私は山登りを続けていた。一人で行くことも多いが、地元の社会人サークルに入って色々な職業・年代の人とあちこち山に登る生活をしていた。

会社に入って山登りをしている人はいたが、ガチガチに登っている人をあまり知らなかった。そんな中60名いた同期の中で私とやたら気の合う人がいた。山に興味があるというわけではなかったが、行動力のある人だった。すぐに意気投合してよく一緒に遊びに行った。

ある程度山にも慣れてきたところで、鳳凰三山と仙丈ヶ岳にその友達と登りに行った。行きも帰りも東京から原付バイクで向かった。私は50cc、彼女は110cc、同じカブでも馬力が違う。

鳳凰三山は不思議な山だった。3つの頂はそれぞれ表情が違う。薬師岳から観音岳、薬師岳(オベリスク)の順に登った。観音岳から地蔵岳に向かう途中にある賽の河原にはたくさんの地蔵が並んでいた。地蔵岳からは、北岳や、甲斐駒ケ岳、八ヶ岳など名だたる名山が拝むことができた。

地蔵岳から青木鉱泉への下りは急坂だった。足がガクガクする。アップダウンを繰り返していた膝が悲鳴を上げていた。そんな中見覚えのある人が先頭に立って集団で登ってくるの見た。登山界で知らない人はいないといっても過言ではない山と渓谷社の「ヤマケイ」でおなじみの日本が誇る登山家の岩崎元郎さんだ。岩崎さんは何も言わず黙々と登っていた。たくさんの登山客を引き連れて。思っていたよりも背格好が小さかった。現在も著述や講演も通じて登山者の啓蒙活動に従事されている。やっとの思いで下山して青木鉱泉で風呂を浴びた。じわじわくる温泉。体にしみわたる瞬間が登山の醍醐味の一つである。

それから私たちは公共交通機関を乗り継いで原付を置いてあった鳳凰三山の登山口に戻り、仙丈ヶ岳へと向かった。カーブだらけの林道を寝不足の状態で走る。仙丈ヶ岳までは途中でバスに乗らないといけない。仙流荘前から南アルプス林道バスに乗車する。

仙丈ヶ岳登山口。甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳に向かう登山客はそこらのミーハーな登山客など一人もいない。本気の登山者ばかりだった。この頃はまだ「山ガール」などというブームも来ていないため、オシャレを意識した登山など誰もしていなかった。速乾性のシャツにポリエステルのパンツ、擦り切れたゴアテックスのジャケット、ザックはミレーの55リットルを愛用していた。

仙丈ヶ岳はとても女性的で美しいと聞いていたが本当にその通りだった。登っていて全然苦痛ではない。息が切れてもひたすら景色が美しい。4時間ほどで仙丈ヶ岳に登頂した。天気は快晴、少し遅れて友達が登ってきた。私はその間30分くらい仙丈ヶ岳から見える富士山、八ヶ岳、中央アルプス、北アルプス、そして目の前にそびえ立つ甲斐駒ヶ岳を堪能していた。友達が到着し一緒に山ご飯を食べた。彼女にとって初めての3000m級のアルプス。感動の瞬間だった。下りも慎重に登山口まで戻り、また温泉を堪能した後、原付バイクで東京まで戻った。往復約320キロのバイク旅。何時間かかっても楽しかった。

それからその友達とは色々な山や旅の企画を立てて、原付や車や公共交通機関を利用してあちこち出かけた。会社に行ってお金を稼ぎ、そのお金を山や旅につぎ込んでいた。完全に私は山の魅力にハマっていた。

(前半終わり、つづきます)

最後まで読んでいただきありがとうございました。


グレートトラバース(GreatTravarse)関連のTwitterやFacebookはこちら】



ありがとうございます!あなたに精一杯の感謝を!いただいたサポートはモチベーションアップに。これからの社会貢献活動のために大切に使わせていただきます。これからもどうぞよろしくお願いします。