『ビギナーズクラッシクス日本の古典 徒然草(吉田兼好著 武田友宏編)』を読んで

 前回の『大型版やさしい古典 これなら読める徒然草』に続き、もう少し難しめな徒然草を読みました。こちらも「ビギナーズクラッシクス」と言うだけあり、段ごとに現代訳、原文、解説が書かれてあり、読みやすかったです。今回学んだことは吉田兼好の本名は卜部兼好(うらべ かねよし)と言い、吉田兼好として広まったのは江戸時代のことだったそうです。兼好も現代でそう呼ばれているのは知らないということが興味深かったです。そして、兼好が徒然なるままに思いを書いた中から学んだことを挙げてみたいと思います。
 まずは三十五段で、字の下手な人が遠慮せず書くのは大いに結構、他人に代筆させるのは自意識過剰である、ということです。この文章を読んで、私は今noteに読書感想文を載せていますが、決して文章を書くことは得意ではなく、読書の習慣をつけてアウトプットして自分の身に着けたいという思いから書いているので、兼好の言葉を励みにこれからも書いていきたい、と思いました。
 次は八十五段で、人格はまねることによって向上するということで、何をまねるかが重要であり、まねるは学ぶの語源、ということです。よく小さい頃まねをすると、まねするな!と言われることがありましたが、まねてから自分のオリジナルを作ればよいと感じ、兼好に物事の習得の仕方について背中を押してもらえたように感じました。また、何をまねるか、誰をまねるかに人格が現れるとも言えるので、確かな目を養いたいと思いました。
 そして、百八段の人生はこの一瞬の積み重ねということや、百八十八段の人生一番大事なことは一番先にやらねばならないという時間の大切さを書いていることで、昔も今も時間が大切ということは変わらないと共に、自分もだいぶ年を取ってきたので時間を大切にしてやりたいことはやりたいと思いました。ただ、百五十五段の何ごともタイミングが大事ということもあり、思うようにいかないことに対して焦ったり動揺したりしないようにしたいと思いました。
 最後に、前回の徒然草を読んでとても印象に残った二百三十五段の、主人がきちんといる家は無関係な人間が押し入るようなことはない、空っぽの空間はどんなものでも収容できるという内容が今回も印象に残り、徒然草を読んで良かったと思える段になります。私は空想癖が強くてすぐ現実逃避してしまうので、雑念が入らないよう心に主人を置き、心の主体性を持つようにしたい、そうすれば自分の使える時間も多くなり、色々なことが出来るのではないかと思った次第です。
 いつまで続くか分からない読書の習慣と、読書感想文の執筆ですが、今回で徒然草は終わりにして、次の本を読みたいと思います。

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