見出し画像

火葬場で眺めた、青空の白い雪

「ここのリンゴパイ、食べてみたかったんだあ」
2つ年上の従姉妹のSちゃんは甘党で、ケーキに目が無い。
私はその時期、会社をやめてプー太郎をしていて、大阪で一人暮らしをしている兄のマンションに居候して遊び歩いていた。「仕事から帰るとグータラしたお前がいて腹が立つ」と、ある日突然、兄が堪忍袋の緒を切らし、私は追い出された。ホテルに泊まるお金ももったいないから、神戸に住んでいる従姉妹のSちゃんの家に転がり込んだ。
1週間ぐらい泊めてもらっちゃって、東京に帰る前夜、お世話になったお礼にと近所のデパートでリンゴパイを買った。
格子状の並べられた艶々のパイ生地の隙間から、果汁が滲んだリンゴがのぞいて美味しそう。どうやら有名なお店のパイだったらしい。
Sちゃんは理系女子らしく、理路整然としていて感情的なところがあまりないけれど、お菓子を食べる時だけはいつも目尻を下げて嬉しそうに頬張る。
「へえ、有名なお店なんだ。食べたいケーキならよかったわ」
ケーキのことなんかよく分からなくて、見た目だけで選んだから、喜んでもらえてホっとした。

いつも2月になると、この時の情景がフラッシュバックする。
Sちゃんは、私とリンゴパイを食べた2週間後に、自宅で首を吊って死んだ。

Sちゃんが死んだ翌日、お通夜に参列するため、新幹線で神戸に向かった。2月の夜の神戸は、真っ暗で、吹雪で痛いほど寒かった。
Sちゃんの家は、冷たくシンとしていて、家も死んだみたいだった。
リビングに入ると、私に気がついたSちゃんのお母さんが虚な目で「来てくれてありがとう」と力なく声をかけてくれた。
仏間に案内されて、そこには白い大きな棺桶が鎮座していて、妹のNちゃんが、棺桶の前に項垂れて座っていた。
私はNちゃんの隣に座って、無言でしばらく2人で棺桶を見つめた。
「Sが死んで、お母さんもお父さんも辛そうで、私が自殺したら、こんな風に苦しむだ、と思った。だから私は、もう、死ねない」
そう言って、私に顔をむけたNちゃんの目は赤く充血していた。
「そうだね」
悲しくて、喉の奥が千切れそうなほど痛かった。

Sちゃんのお通夜は、家族と近い親戚のみで行われた。
お坊さんが、木魚を叩きながら、お経を唱えている。Sちゃんの魂が、意味のわからない呪文とお香の煙に絡めとられて、私の知らない世界に吸い込まれていく。
私の前に座っているSちゃんのお母さんから嗚咽が小さく響いた。Sちゃんのお母さんの震える背中が、生木を引き裂くように痛々しかった。

出棺の日、お花に囲まれたSちゃんの頬を触れたら、ビニールみたいに冷たくて、もう、Sちゃんはいない、ここに寝ているのはSちゃんの姿をした別の何かなんだと思った。
お菓子を食べている時しか幸せそうじゃなかったSちゃん。せめて最期くらい大好きなお菓子で埋もれさせてあげたくて、私はリビングに駆け込んで、勝手にお菓子入れの引き出しからキットカットを袋ごと持ち出し、キットカットを鷲掴みにしてSちゃんの軀に泣きながらぶちまけた。隣にいたNちゃんも、袋からキットカットをぶちまけた。みんな、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、引き出し一杯のお菓子で、Sちゃんの軀を埋めてあげた。

火葬場に向かうために外に出たら、昨夜の吹雪が嘘のように晴れ渡っていて、気候も暖かく、みんなの頬が少し緩んだ。

Sちゃんは、無愛想で、矛盾や筋が通らないことが大嫌いで、おばあちゃんにも反論する「可愛くない子供」だった。友達もいなくて、いつも私と妹のNちゃんと遊んでいた。
大学を卒業し就職したら、Sちゃんは以前より愛想がよくなった。親戚の大人たちは「Sちゃんも社会にでて大人になったんだね」なんて言ってたけど、学校で孤立しても周囲に迎合できなかった潔癖なSちゃんが「可愛げ」を身につけなければならないほど、しんどい職場なんだと思った。Sちゃんが首を吊った現場には「職場の人間関係」という殴り書きのメモが転がっていた。

だから、あの雲一つない抜けるような空が、「友達」「恋愛」「お洒落」「笑顔」といった世間が期待する「普通の女の子」に馴染めず、抵抗し続けたSちゃんの死を、清々しく肯定してくれているようだった。

火葬場に向かう道中、車窓から振袖と毛皮の襟巻きで着飾った女の子たちが通りを歩いているのが目に入った。彼女たちが向かう先には色とりどりのドレスやアクセサリーでおめかししたSちゃんと同じ年頃の子達が真っ白なホテルの前に集まりはしゃいでいる。誰かが、今日、結婚式を上げるのだろう。

結婚式場はどんどん小さくなり、キラキラした神戸の街並みからグラデーションを描いて、屋根の低い民家と植物が生茂る暗く長い坂道を車がゆっくり登り出した。
この坂道の頂上に、火葬場がある。

白い光が、上空からふわふわ落ちてくるが視界に入った。
車の窓をあけて、手を出したら、光は私の手の平に落ちて、消えた。

私は、火葬場の前でSちゃんの遺体が燃えつきるのを待つ間、太陽の光に反射した雪がキラキラと瞬きながら、蒼空から舞い降りる光景をじっと眺めていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?