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「意識できる以上の存在が、この肉体のなかには潜んでいる」

今年ももう半分近くが過ぎてしまったことを思うと、時の流れのはやさに驚く。思い出すことも、記憶から抜け落ちてしまった思い出も、その出来事の総量に対して、半年という期間をどう捉えるべきだろうか。

身動きが取れなかった長い自粛期間は、多くの人にとって、自分自身を見つめ直す期間になったのではないだろうか。私にとってもそうだった。

私がこの期間中、孤独の時間のなかで思い至ったことの一つに、自分という存在の不可思議さ、捉え所のなさという問題がある。

自分自身のこの身体は、自分だというこの“意識”がすべて支配しているものでは、決してないということだ。

電気のスイッチを切るように、人は眠りにつくことができないし、ボタンを押すようにして目覚めることもできない。人は自分自身でさえ、完全に意のままにコントロールすることができない。“意識”できる以上の存在が、この肉体のなかには潜んでいる。日々の何気ない習慣がかわってゆくなかで、私はそのことを痛感した。

この肉体に潜む、意識以上の存在を簡単に言い表すならば、それは「自然」というものではないだろうか。自然を畏れつつも、自然を克服しようとしてきた(できると思ってきた)人類は、もう一度、自然という驚異的な存在について向き合い直すべきなのかもしれない。

自分を見つ直す時間は、自分という存在さえ人は完全に把握しきれていないという逆説的な真実を教えてくれた。この肉体でさえ自然の一部であり、そこには神秘が宿っている。

私の存在とはいったいなんだろう、と問うことはすなわち、自然とはなんだろう、と問うことでなのである。

自然のなかで生き、また自然の一部でもある人類は、自然に対してぜったいに傲慢であってはならないし、それは自らの存在さえ否定することでもある。

反対に自分という存在を離れてもう一度、自然に向き合うことによって、あるいは自分自身の本当の姿が見えてくるということもあるのかもしれない。

明大

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文学の海に漂いながら、音楽の風に吹かれてます。船はどこへ行くのやら。文章書き from 香川。