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誰しもがしたいと思う効率化は努力の先にしか存在しない

よくビジネス書などで「効率化を図る」という言葉を目にする。

効率化と聞くと面倒くさい事を省いて楽して結果が得られるんじゃないかというイメージが先行して、思わずその手の本を手にしてしまう。

しかし、その手の本を読んでも、一向に効率が上がった試しがない。

簡単に効率化が図れれば大量の効率化に関する書籍が本屋に溢れることはないだろう。

ビジネス書においても、無駄な事、コスト、労力を省いてとあるが、一通り作業をして、何が無駄かがわかるので結局は、入り口はとにかくやってみるしかないのだ。

例えば、料理だって同じことが言える。

失敗のないようにたくさんのレシピ本が出ていたりするが、どんなにレシピに忠実に作っても、失敗するときもあるし、料理本に載ってる通りの料理が一発目でできることはあまりない。二回目、三回目とリベンジを繰り返し、どんどんと上手くなる。

結局レシピに細かく載っていない、感覚や状況に合わせてのタイミング、温度などによって失敗したりして違ったりしていくものである。

例え一回目で成功したとしても、二回目は失敗したりすることもある。

「あれ、一回目は成功したのに」

なんてことはよくあることだ。

本当の意味で自分のものにするには、努力を重ねた先にある。

子供勉強に置いても同じで、何とか効率化を図れないかと考える子供もいるようだが、結局は基礎になる計算力を鍛えることで、文章問題を解く時に、時間のロスを防いだり、間違えた問題、類似問題を解くことで記憶に定着し、いざ試験となった時に、効率よく解けるのだ。

絵についても同じでデッサンやドローイングの基礎があって、作品とよんでもらえる絵が描けるようになる。作品の価値は人それぞれであるけれど、やはり、努力の先にある作品は魅力的である。

できれば好きなことにその努力を重ねていければ幸せだけれども、世の中は仕事だったり、人間関係だったりと自分が避けたい場所がたくさんあって、

それでも努力した人はしないよりも報われるし、すぐに結果に繋がらなくても、もしくは結果に繋がらなかったとしても、他の道筋が見えたり、やり切ったと思える充実感は得られる。

何よりも自分にまっすぐに正直に自分のために努力をすることは自分を幸せにしてくれると私は思う。

時々休みながら、またこの効率化に向けての努力を引き続きして参ろう。





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