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村上春樹×白石加代子×雨月物語

2023年9月28日(木)早稲田大学の大隈記念講堂で開催された『村上春樹 presents 白石加代子の怖いお話「雨月物語」』に参加させて頂きました。

昨年の同日、早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)開館一周年を記念して演劇博物館前ステージで開催されたイベントの拡大版です。

開会前の期待感を共有する空気が、19時の開演とともに一気に高まり、そして夢のような1時間半が過ぎました。

司会は坂本美雨さん。最初に村上春樹さんが壇上で挨拶し、国際文学館顧問のロバート・キャンベル教授が解説、そして女優白石加代子さんが、雨月物語の「吉備津の釜」、村上春樹さんの超短編小説集「夜のくもざる」から「フリオ・イグレシアス」「トランプ」「もしょもしょ」を朗読。そして村上さんと白石さんと坂本さんで対談、最後に国際文学館館長の十重田裕一教授の挨拶で締めくくられました。

白石さんの朗読は、壇上に白石さんの手書きで綿密に書き込みがされた雨月物語の原文が投影され、その幕下で白石さんが一人芝居のように朗読し、雨月物語の世界を再現しました。

白石さんの頭上に投影された朗読原稿は、息継ぎや「色気」などの声調が細かく記されたもので、白石さんが独自に書いたものですが、その真下で行われた朗読の光景は、上田秋成が演出家として、リモートで主演女優にディレクションしているかのような錯視感を醸し出します。

「白石さんの読む雨月は冗談抜きで怖い」という話だったので、覚悟していたのですが、怖いというよりも、何かアカペラのオペラを聞いているような感じで、物語世界の鮮やかさが印象に残りました。

朗読された「吉備津の釜」は古来の物語の様々な要素をブレンドした復讐譚で、古今東西のモチーフを借景として、物語が拡張され進行します。その余韻が読者の心に残すものは、村上さんの小説群と共通しています。

そして、白石さんが、1992年に始めた「百物語」はライフワークともいえる公演であり、第六十話から第六十二話で扱われたのが、今回朗読された村上さんの「フリオ・イグレシアス」「トランプ」「もしょもしょ」です。

この三作は、村上さんが対談で次回朗読をリクエストした「鏡」と比較すると怪談としての怖さ指数は高くありませんが、白石さんの朗読を聞くと、20世紀のSF大作映画テイストな海亀の襲来シーンが目に浮かびます。

雨月物語の後に村上さんの小説群という朗読の順番は、過去と現在の対照性というより、それぞれの作品が記録した18世紀と20世紀のフレイバーが現代も生き続けていることを実感させるものでした。

使ってみると、思っていたよりずっといいものだ。手放せなくなりそうだ。

もしょもしょ(村上春樹「夜のくもざる」所収)
早稲田大学 大隈記念講堂

今回のイベントの冒頭、村上さんのメッセージは心に残るものでした。

あまり大学に行かなかった大学時代、それでも行った六大学野球の早慶戦の思い出から、アトムズ時代から一貫して弱かったヤクルトスワローズ、そして小説を書くきっかけとなった神宮球場を含む、大切な情景への愛を込めて神宮外苑の再開発反対を表明されました。

私は胸に大きく息を吸い込み、ひとつ間を置いた。その数秒の間に様々な情景が私の脳裏に次々に浮かんだ。あらゆる情景だ。私が大切にまもっていたすべての情景だ。その中には広大な海に降りしきる雨の光景も含まれていた。でも私はもう迷わなかった。迷いはない。おそらく。

街とその不確かな壁 P664


村上さんは、シンプルな言葉で、明確なメッセージを発してくれました。村上さんの言葉が、単なる反対運動に留まらない、建設的な方向で問題を解決する糸口になれば良いと思います。なぜならば、神宮外苑再開発にはそれなりの理由があるからです。

大きな理由のひとつは、神宮球場(1926年竣工)の耐震問題です。確かに神宮球場は古いですが、甲子園球場(1924年竣工)やボストンのフェンウェイパーク(1912年竣工)のように、古くとも改修を重ねて風格ある野球場として存続している例は多くあります。

そのような改修がなぜできないのかというと、プロ野球と大学野球の開催により、改修工事期間が取れないことがあげられています。そのため、軟式野球場を取り壊して、そこに新球場を建設し、それが使えるようになった時点で神宮球場を取り壊すという大規模な計画になっています。

スワローズと大学野球が、改修工事期間中にどこか別の場所でプレイすることができれば、利害調整の大きな制約条件が変わります。ヤクルト球団と早稲田大学に対して、意見を言える立場にある村上さんが、働きかけていただくことによって、事態が好転することを期待したいと思います。

また、神宮外苑再開発問題の根底には、都市風景の重要な要素の維持管理を、所有者である明治神宮の好意に依存してきたことがあり、それは神宮外苑だけの問題ではなく、宗教法人の財政難という形で、日本全国で同時進行的に生じている問題でもあります。

八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

日本国憲法

中期的にその制約条件である憲法の一部改正も含めた対応を考えていくことは必須ですが、さしあたり神宮外苑に関しては、耐震工事と野球の営業権が大きな課題であり、そして多くの人々の有形無形のサポートが必要です。

夕暮れの神宮球場は東京で最高の風景の一つだと思います

現状発表されている計画では、2032年にヤクルトスワローズは新球場に移動することになっています。2032年の開幕戦が、耐震強化された現在の神宮球場で行われることを祈念したいと思います。

この世界は脆く、そして危ういのだ。この世界ではあらゆることが簡単に起こり得るのだ。

ダンス・ダンス・ダンス


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