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望月はアタマ狂ったんか? #限界シェアハウス文学

7月4日深夜、ひとりの男からメッセージが届いた。
彼の名はケン氏という。大手工業メーカー「百獣魔団」傘下の子会社でスマホゲームのプロジェクトマネージャーをしている優秀なおじさんだ。察しの良い読者はもうお気づきだろう、ホームレスVTuberことHちゃんのグループ会社に所属している獣人(シカ)族の魔法剣士である。Hちゃんの紹介で知り合ってからは定期的に深夜にラーメンを食べに行ったり、温泉旅行に出かける間柄だ。
朗らかで話が分かる優秀な男ケン氏だが、その日のDMから感じる様子は少しおかしかった。

シカの運転する車、「シカー」

今回はシェアハウス文学シリーズ初の番外編をお見せする。
今回語るのはこの記事の書き手である望月陽光に関して、周囲からこの男がどのように見えているかを象徴するエピソードである。


なんですか?このnote

彼が聞いてきたのはこのnoteの意図についてである。質問の趣旨をざっくりと整理すると「なんで暴露活動なんかしてるの? しかも書かれているのが小粒のインフルエンサーで、暴露しても大した効果もないよね」というものだ。

 真正面からの質問がきたので真正面から返すぜ

この問いに対して率直にコメントを返した。

望月の見解
①そもそもこのnoteは暴露系コンテンツではない。理由は暴露系とは「相手の秘密を暴くことで暴露対象を社会的にキャンセルさせるジャンル」であるが、この記事でキャンセルされた人間はいない。"著名人の●●がこんなことしている!"ではなく"こんなびっくり人間がいるんです"というコンテンツである。
②このnoteの意味や意図はいくつかあるが、書き手にとっては楽しく読めるようにした「私の履歴書」としての側面が強い。残念ながら望月の6年間が汚すぎるため必然的に汚いエンタメとなってしまっているだけ。
③このnoteのコンセプトは「90年代後半~ゼロ年代前半のインターネット」であって、それ以上の意味はない。

この返事に対して、ケン氏の反応はあまりよくなかった。以下は彼からのリアクションの要約である。

ケン氏からの感想
①観測者に徹しているのかと言えばそうでもなく、割とニヒルな感想を入れている様子が登場人物を蔑んでいるようにも見える。 「ここに居るニュートラルポジは私で、周りは全部最悪で最高です」という姿勢にしか感じられない。
②そして何より記事を書いている望月側はノーリスクであり、安全圏からそれぞれの人々を見世物にしている。
③もう20年代なので、増田とか5ちゃんとかそういう場所で怪文書を投下するべき。20年代インターネットにおいてはすぐ生身が見える。それぞれ登場する「人」が割と見える状態でこういう不愉快さが展開されるとモヤモヤする。

機嫌が悪いのかな

ケン氏が発した強めのネガティブな言葉は、普段の彼にしては非常に珍しいいものだった。率直にいえば機嫌が悪い、あるいは怒っているように見えた。「男の子の日なのかな?」と思いながら会話を延長する。

獣人(シカ)族からの追求は止まらない

話は「望月は他者をどう捉えているか」へ。ケン氏が特になんともいえない反応をしたのは、記事に対する望月のモットーである"尊厳と誇りを守る"という説明に対してだった。これはケン氏に限らず、知人と話したときにも似たリアクションをされることが多い。
誤解を恐れずにいえば、社会は尊厳や誇りを守ることを資本主義社会における自己責任論を織り交ぜて処理しがちだ。人間の問題(と考えた出来事)に対して、プライドを傷つけない、人間として尊重されるべきであるという態度で問題を指摘せず、見て見ぬふりをして当事者をじわじわと追い込んでいく。そういった出来事は社会生活のなかで枚挙に暇がない。実際、他者に指摘をするという行動は大変。自分が正論に酔いしれているように感じて不快にも感じる。疲れるし、そして何より相手に恨まれるリスクも存在する。無理もない話だ。
望月の考える尊厳と誇りとは、個人が個人として尊重されることを意味する。自分が自分であることを自分にも他人にも積極的に認められ、幸せになるために必要なものだ。そして自分を全力で認めるには過去の自分を否定したり、過ちを隠したりすることではない。失敗さえも受け入れて愛しつくしその先にまっすぐ進んでいく生き方そのものだ。その過程では他人からの怒りや文句なども絶対に存在する。節度を持って折り合いをつけていることを前提に、他者に直面することが重要だ。
その姿勢はひたすら一貫して持ち続けてきたし、このnote記事の中にも思想が垣間見えていた。はずであったが…。

神に誓うが、市井の人々をバカにしたことなどない
普通の人々をバカにしながら特別な存在になるため努力しない者に厳しいだけである

どん詰まって殺すか殺されるかの人間が俺のとこに来るんだぞ

ケン氏と意見のぶつけ合いを何度か交えて、ある共通の知人男性に話題が移る。本題ではないので詳細は割愛するが、その人は所属していたコミュニティにいたオタクによって人々の前で大きな恥をかかされたことがある。その頃の知人男性は人生に行き詰まりやぼんやりとした不安を抱えており、人生の崖際で最後のロープ1本でなんとか踏ん張っている状態であった。件のオタクはそのロープを切ろうとしたのである。よりにもよって本人が面子を保ちたいと思う友人たちの前で。経験上人が3%程度の確率で死ぬ状態に突入したため、その場に居合わせた望月から連絡して既知の医者を紹介した。

命綱を切ると人は死ぬ。山でも社会でも
そして食い止めようとした者もけっこう連鎖的に死ぬ

ロープを切ろうとした者はというと、公私問わず知人男性からいくらか被害を受けている側でもあった。その怒りが発露した形でもこういう事件を生み出したのだ。つまり完全な被害者などいないのである。
ここには脆弱な加害者と強靭な加害者しか存在しない。もう一度いう、ここには脆弱な加害者と強靭な加害者しか存在しない。そういう人間だけが望月の前にはやってくるのだ。そんな彼らに対してできることは、強い加害者には面子を大きく傷つけることなく指摘を行い、弱い加害者は保護することだけである。
そして同じことを繰り返させないように適度に楔を打ち込む。だから起きた出来事を可視化して、事情を見せながらも戒めとする。文字で言葉で表現でイベントで、殴り合いで。それを5年、10年、15年、20年と続けてきてしまったのが今の自分だ。
あの事件の最中に死神の影が見えた彼にセーフティネットを用意したのは強い加害者本人でも、それを見ていた関係者のケン氏でもほかの人々でもなく、たまたまその場に居合わせたアウトサイダーだったことは忘れないでほしい。手前味噌になるが、むしろ他者に対して真摯だったのは望月だったのではないだろうか。

真実

知人の事例を添えて自分なりの価値観を語ったところ、ケン氏のネガティブさが一気に薄れた。「もしかして男の子の日、終わったか?」そんなことを思って安堵していると、彼は意外なことを言い出した。

ケン氏どうしちゃったの、こわいよ

それからケン氏はいくつかの感想を添えてDMを終えた。

全体を通して結果として、望月さんはやっぱり勘違いされやすいという気がしました。 基本的にサイコパスキャラに見える立ち振舞ですし… かつ生み出すコンテンツに手癖で毒要素を入れたくなりがちなんだとおもいます。 望月さん的にはそれはニヒルなジョークだったり、面白さを際立たせるエッセンスなのかもしれないですが、望月さんのサイコパス的な振る舞いと相まってジョークに見えないというか、「何考えてるかわからない」さに繋がってしまい、コンテンツの本筋がそれによってかき消されてしまうんじゃないかな
(中略)
いつも通りっぽいですね。それは理解できたので良かったです。ただ一方である程度、望月さんの性格を理解しているはずの私ですら勘違いしたので、感受性の高そうな人は皆ざわついてるとおもいましたよw

ケン氏の最後の言葉

どうやら望月陽光は気狂いだと思われていたらしい。ひどい。心外である。
俺は感動のフィナーレのためにすべての絶望を背負ってまっすぐ突き進んでいるだけなのに。ただの狂人が社会の恨みを晴らすために暴れていると思われていたのか。こんなことってある?

シカーで行った春の海、俺たちは互いを理解しあったんじゃないのかよ!

もしかして

ケン氏がなぜ会話の最初にネガティブな雰囲気だったのか。それは怒っていたというより、分からないことに起因する困惑や恐怖があったのかもしれない。正直、これまでの人生で自分が弱い側だと思って生きてきたつもりだった。自分に対して怒鳴ったり過度に攻撃的な発言をする人間に対して「おやおや?虫の居所が悪いのかな」程度に振る舞っていたが、もしかすると怖がらせていただだけだったのかもしれない。
申し訳ないことをしてしまったと思う反面、自分は愛と勇気とオタクのおじさんだけが友達なので怯えなくてもいいのにという気持ちでもある。

理解出来なさ(不安や恐怖)は過度な怒りも招く
望月の脳内を知ってもらい恐怖を中和するのが今回のテーマだ

そんなことを考えていたら、ゴリ押しするように24時間以内に「お前が一番怖いよ」という連絡がいろんなところからやってきた。まるで示し合わせたように、それぞれが違うコミュニティの友人から、である。
連絡をくれた人たちの多くは「限界シェアハウス文学を楽しんでいるが、それはそうと望月は怖いよね」と語った。特筆すべきはnote記事にかかわらず、昔からずっと怖いし不気味らしい。
周りがなにに怖がるのかは実の話、よくわかっていない。ただ、自分と初対面になる人間の多くが年齢関係なく不必要なまでに怖がっていたりすることはかなり多い。別に怒鳴ったり殴ったりなじったりすることもない。にもかかわらず「怖い人だと思っていた」といわれるのである。
一部の人は「何を考えているか分からない」ことを挙げるが、なぜ考えていることが分からないのかが分からない。昔から価値観やスタンスを変えたことはほとんどない。同じ話しか周囲にしていないのに、である。
大司教からは「人間として通常発生するはずの判断のブレ/ゆらぎが、ある範囲の出来事において一切存在しない」、「喋り方・書き言葉の教養層特有の圧力に一部の人間がやられている」ことを指摘されたことがある。これももしかしたら側面の真実なのかもしれない。ほかにも気づきがある人は是非教えてください。

しねーよ!社会に復讐してどうすんの!

さいごに

限界シェアハウス文学の主人公/ヒロインになるにあたり、ある選定基準があったりする。
①自身の人生に夢や目標を掲げており、かつそれがスローガンでないこと
(例:「海賊王に俺はなる!」)
②夢や目標に進む過程で停滞が発生しており、停滞の打破に一定以上の望月からのリソース消費が必要であること
(例:「金はないけど住ませて欲しいです」)
③プラスもしくはマイナスの方向に突出した才能または才能を証明するエピソードがあること
(例:「借金が1億円あります」)
④その人の物語が共有されることで誰かが救われる
(例:「Hちゃんのおかげでヤバい婚約者と別れる決意ができました!」)
⑤記事にするにあたってモデルとなった人物と建設的なやりとりができるか、やりとりができない場合に連絡なしに記事を掲載する大義名分があるか
(例:「社会から失踪していて特に配慮するべき出来事が存在しない」)
⑥記事にすることで結果的に人生が前に進み、こんな場所に戻ってくる必要がなくなる
(例:「家が手に入ったら自立するよね」)

この①-⑥の総合評価で主人公になるかが決定される。特に①、③、④は重視されやすい要素である。

七夕の日、短冊に願いを書いた
叶うなら未来へ進んでほしい…

今回は番外編かつ望月が実質的な主人公のエピソードだったが、本編に登場する"凄味"のある人物たちはこの基準から選出するので、楽しみにしていてもらいたい。

今回の記事はケン氏のモデルになった人物から事前の確認を得たうえで掲載していることを明記する。余談だが、原則は事前の確認を取って掲載するのがこのnoteのスタンダードである。ただ、非常に面倒な事情もある。「自分の面子のために許可を取っていることを出さないでほしい」という要求や(19-22年までのシェアハウス関係者はこういうことを言いがちである)、や、大人の事情もあるのだ。

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【次回予告】


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