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わたしの赤ちゃんはもうここにはいないけれど、わたしは確かに「お母さん」になった②

胞状奇胎になったはなし。


絶望は、本当に突然にわたしを襲ってきた。

「妊娠している」と告げられたその日から、たった数日がたったときだった。わたしはお手洗いで、自分から出血をしているのを知った。

目の前が真っ暗になる、というのは多分ああいう感じ。暗闇がズンズンと襲ってくる感じ。本当に、目の前が真っ暗に、なった。
お手洗いから戻ると、すぐに検索をかける。

「妊娠6週 出血」「妊娠初期 出血」

目に入るのは不安を煽るような記事ばかりで、なんとか数少ない安心をくれる記事を必死に探している自分がいた。
大丈夫、大丈夫。頑張ってね。と心の中で唱えながら。けれども実際は、悪い想像ばかりが膨らんで、心臓がバクバクと音を立てていた。

「心配事の9割は起こらない」だなんて、誰が言ったのだろう。
それとも、その見事1割を、わたしは引き当ててしまったのだろうか。

翌日すぐに産婦人科へ駆け込むと
「胎嚢がはっきりしていないような感じがする。様子を見ましょう。」
次の週には
「胞状奇胎の可能性がある。異常妊娠です。胎児の成長は望めません。」
とのことだった。

婦人科の診察台に不恰好に登ったまま、格好悪くわたしは泣いた。
かろうじて発した「そうですか」という声がかすれて、目の前が霞んで、頬が濡れて、冷たい。
目の前にカーテンがあったことが、唯一の救いだった。

「心配事の9割は起こらない」だなんて、ほんと、誰が言ったのだろう。
わたしが、この子が、一体何をしたっていうんだろう。

でも本当は心のどこかでわかっていたのだ。

子どもができた、とわかったあの日と同じように、もう、わたしのお腹の中で赤ちゃんが生きていないことは、わたしがいちばん、わかっていた。
ああ、もう、ここにはいない、って。
分かりたくなくて、認めたくなくて、目を背けていただけだ。

夫は、ただ涙を流すわたしを抱きしめた。今はなんの言葉もいらないと思う、わたしの気持ちをわかるみたいに。なんて、本当は、かける言葉が見つからなかっただけなのかもしれないけれど。

「ごめんね」

わたしのせいで、ごめん。元気に育ててあげられなくて、ごめん。
わたしなんかが奥さんで、ごめん。悲しい思いさせて、ごめん、ごめんね。
そんな気持ちが押し寄せてきて私はいてもたってもいられなかった。夫の顔を見るのが怖くて、辛くて、切なくて、申し訳なくて。
あんなに子どもが好きなのに、あんなに喜んでくれていたのに。

「きみのせいじゃないよ、絶対に違うから。」

胞状奇胎は、簡単に言えば胎盤の組織が以上に増殖してしまう異常妊娠の一種で、正確にいうと胎児は「胎児」として現れることはない。
流産とは違い、正確に言えば、もともとちゃんと妊娠はしていなかった、ということになるそうだ。

でもわたしは思う。
初めてお腹に命を感じたあのときから、愛おしいと思ったあの瞬間から、
わたしは確かに「お母さん」になったのだ、と。

つづく

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