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丸がダメなら長方形。

時は令和。
ちゃぶ台返しとか死語だよね。

そして平成生まれの山本がこれを話すのも
ちょっと不思議なんですが、

わしはちゃぶ台返しをされたことも
したこともある。

典型的な昭和の価値観が良いか悪いかは別として
わしの父は"昭和の親父"を良いものとしていて
山本家はそーゆー教育を受けてきた。

暴力も愛情の内で片してしまう
モラルをどっかに起き忘れたタイプ。

愛で暴力が許されるなら
この世に法律も刑務所もいらんと思う。

で、まぁ昭和の価値観を引きずって生きてる
人間だったので、
家具へのこだわりも半端なく
ちゃぶ台、黒電話への執着心が
半端なかった。

これは余談ですが
父も幼少期は壮絶な生活をしていたみたいなので
父なりに過ごしてみたかった幼少期を
取り戻したかったんだと思う。許せないけど。

時代にそぐわない価値観の家庭で
わしはずっと世間と噛み合わない生活をしてた。

そのおかげで、定期的に、謎なタイミングで
感情の爆発というか

なんか、定期的に狂ってた。

今だから冷静に話せるけど
当時はまじで「どうにかしてくれ!」っていう
言葉にできない焦り?病み?
あとは孤独?誰もわかってくれないみたいな
そーゆーよくわからない負のかたまりの爆発。

学校行ってもひたすら紙をちぎって捨ててたり
そーゆー感じの子供だったのでいじめられてて
自己防衛で常にハサミ持ち歩いてたり、
イラついて家にある箸を定期的に折まくったり、
写真に映る自分の顔全部塗りつぶしたりとか、

とにかく様子のおかしい子供だった。

そして家ではちゃぶ台をひっくり返す父。

蛙の子は蛙である、血は譲れん。
というか子供は見たもので育つから仕方ない。

まともな子に育って欲しいなら
まともな親の姿を見せてくれ。

わしは、とにかくちゃぶ台をひっくり返す
父が怖かったし、
とてつもなく怪力に見えた。

それから自分の感情への向き合い方と
吐き出し方がわからなかった。

夕食時は団らんとはかけ離れた冷や汗もので
父の機嫌を損ねると全部ひっくり返されるし
晩御飯無くなるし片付けも大変なので、
色々と気を使わんといかん。

ただのご飯食べながらの雑談のはずが気づいたら
「目の前でちゃぶ台ひっくり返ってました。」
なんて良くある事だった。

物に当たる人は、
そもそも感情表現が苦手な傾向にあるので
沸点がほんとうに謎。

わしが食べることに執着も興味も
あまり持てないのはこのへんの記憶の
せいかもしれん。

そんな日がしばらく続いたある日
我が家のテーブルが
ちゃぶ台じゃなくなった。

長方形のちょっとしっかりした
テーブルに変わった。

どうも父の理論では
「ちゃぶ台だからひっくり返してしまう」
だったらしい。

形のせいかよ、、、
自分の行いを反省せず
環境のせいにする精神は流石である。

もちろんテーブルの形が変わったところで
ちゃぶ台返しは止まることなく続行された。

そんな家庭環境で育ったわしにも
ついに限界が来る。

感情の限界。

全部がどうでも良くなる瞬間。

テーブルをひっくり返して
感情を発散する父が不思議だったので、
わしも一回ひっくり返してみるかって感じで
テーブルのふちを握る。

怪力に見えた父のちゃぶ台返しは
握力13とかのわしにも余裕だった。

そしてわしがひっくり返したことにより
テーブルには過去最大の大きな穴が開いた。

なんだ、いつもビビってた行動が
こんなに簡単に自分にも出来るのか
自分は何にビビってたんだろうって
呆気に取られた。

よくわからないところで
他人に出来る事は自分にも出来る
という学びを得る。

そして、この、わしが開けた1番デカい穴は
関係者の暗黙の了解の元
父が開けたって事になってます。

まじで日頃の行い大事〜!

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