私がBUMP OF CHICKENと出会ったときの話

私がBUMP OF CHICKENを知ったのは「天体観測」という曲からだ。天体観測をテレビや街中や学校で聴いてBUMP OF CHICKENを知ったという人は多いだろう。私もその一人だった。

当時は今と比べて音楽番組も多く、本人がテレビに出ていなくても流行りの曲のPVを流して紹介する番組や、有名人たちがいろんな歌を歌うだけの番組などもあったのでそもそも歌を知る機会というものが多かったように思う。BUMPはテレビに全然出ないけれどランキングには載るのでそのような番組で天体観測以降も度々名前を見ることが多かった。曲調もなんとなく良さげだしそれなりに気にはなっていた。ただ、ちょっと気になる程度ではお金のない小中学生は貴重なお小遣いを使ってまでCDを買わない(今みたいに少額の配信サービスなどない時代)。私も気になりつつもBUMPの曲は中途半端にしか知らず知っていた曲も一番しか聴いたことがないまま(先ほど挙げたような番組では一番までしか紹介されないことが多かったため)数年が経った。

中学生のときのことだ。同じ部活の友達がBUMPファンだということがある日突然判明する。なんでそういう話になったのか、いつ頃のことだったのかはよく覚えていない。彼女とは小学生のときからの友達だったがそんな話は聞いたことがなく、彼女のイメージとBUMPは結びつかなくてかなり驚いた記憶がある。彼女はなんというか天然系でほわほわとした感じなのだ。しっかり者で優しいがそれを入れてもロックバンドが好きだというイメージは全く湧かなかった。そういえば同じクラスのヤンキーに彼女がBUMP好きだとバレたとき「マジ!?Mさんも好きなの!??」とかなり驚かれていた。話しかけられた彼女はかなり困っていたが、そうだよなどっちかというとこういうチャラい感じのタイプに受けるバンドだよな…と私もそのとき思っていた。

いつの日のことだったか。彼女とオススメCDを交換して聴こうということになった。私はこのとき彼女に「BUMPって前からちょっと気になってていつかちゃんと聴いてみたいと思ってたんだよね~!」と話したのを覚えている。それを聞いた彼女はなんと持っているCDをシングル含めすべて貸してくれた。今思えば彼女のこの行動が私をBUMPファンにさせたといっていい。興味を示した相手がいたらオススメCDを一、二枚だけ貸しがちだと思うが、親しい友達であれば全部貸すのも手だ。ほんとに。今の時代であればサブスクで全部聴けるのでだいぶ有利だ。

そんなわけで私は当時出ていたBUMPのシングル・アルバムをすべて借りた。天体観測が流れているのをテレビで見る度にいつかちゃんと聴いてみたいと思っていた私は迷わずにアルバム「Jupiter」から聴き始めた。「おおー!天体観測やっとフルで聴けたけどすごい良い曲じゃん!」と素直に感動した。特にCメロがとても心に残った。何でだったのかは覚えていが。ああ、こういう曲だったのか…とやっとスッキリすることが出来たし、一番だけ聴いてただけの頃とはまるで曲の印象が変わったのは覚えている。

そして私はJupiterに収録されていた他の曲を順番に聴いていった。歌詞カードを食い入るように見つめながら。今思えばこんな風にしっかり歌詞カードを見ながらじっくり聴いていたのもよかったのだな、と思う。BUMPは歌詞がいい、と言われていたのをこのときは知らなかったはずだが自然とそうして聴いていた。

一曲ずつ一曲ずつじっくり聴いていた私はとある曲に差し掛かったときに衝撃を受ける。それは「ダイヤモンド」という曲だ。聴いたことがない人はまず聴いてみてほしい。曲の解釈は人それぞれだと思うのでここからは私の解釈で話させてもらうことになるので本当にまずは聴いてほしい。

「ダイヤモンド」は、ものすごく簡単に言うとどんな自分であっても大切にしろという曲だ。さすがに簡略化しすぎかもしれないのでほんとしつこいようだが聴いたことない人は聴いてくれ…。私がこの曲でなぜ衝撃を受けたのかというと、この曲全体のメッセージ性に感動したのはもちろんなのだが、何よりも私自身が「自分を大切に思っていいんだ」と思えたことだった。

どういうことかわからない人にはわからないかもしれないが、私は当時人間関係に悩んでいた。毎日のように悪口を言われ遠ざけられていた。まぁ所謂いじめってやつだ。と言っても暴力的なことや何かを隠されたりだとか物理的なことはされていない。されていないがヒソヒソ話されたりくすくす笑われたりいろいろなことを勝手に言われるのはストレスが溜まるに決まっているわけで。私はこの頃死ぬことばかり考えていた。具体的な死ぬ方法まで考えるまでになっていたが、ある日悪口を日頃言っていた男子の一人が突然転校した。漫画か?って思うレベルの突然の転校だった。家庭の事情らしかった。これがなかったら私は本当に死んでいたかもしれない。その男子とよく会話していた男子が話す相手が減ったことによって私のこともあまり言わなくなった。少しだけ心が楽になった。

BUMPファンの友達はこのとき別クラスだったので、私がいじめられてたことを知っていたかどうかは知らない。ただ部活のときやクラスがごちゃ混ぜになった授業のときに普通に接してくれていたので彼女も私にとって救いのひとつだった。そんな彼女と中3のときに同じクラスになった。それどころか私が嫌いな人達はほとんど同じクラスにおらず、同じ部活の人達が数人いた。おそらく当時の担任が配慮してくれたのだと思う。クラス替えの前に誰と一緒になりたくないか、などとわざわざ聞いてくれたのを覚えている。このクラス替えのおかげで私の心はかなり救われた。だが、それ以前の心の傷が治ったわけではないし、廊下や合同授業では嫌いな顔に会うし、同じクラスに新たに私を嫌う奴ができたりするわけで、心は全然休まらなかった。死をすぐに考えることはなくなっていたが辛いことは続いていた。

そんなときだったのだ。ダイヤモンドを聴いたのは。私は衝撃を受けた。「ひとつだけ ひとつだけ その腕でギュッと抱えて離すな 世の中にひとつだけ かけがえのない生きてる自分」…ハッ!とした。目から鱗みたいな、そんな感じだ。そんなこと誰にも言われたことがなかった。なんでそんな当たり前のことに気づかなかったのか、気づけなかったのか…。歌はさらに続く…「弱い部分 強い部分 その実両方がかけがえのない自分 誰よりも何よりもそれをまずギュッと強く抱きしめてくれ」ああ、そうか、弱くてもいいんだ…生きていてもいいんだ…と。誰かに初めて自分を認めてもらえたような、自分を肯定してもらえたような、そんな感覚になったのだ。今こそこうして文字にすることができるが、当時はそれが何なのかをよく理解することができないまま、衝撃が胸の中に広がり頭の中の霧が晴れるような感じだったと思う。「なんて良い歌なんだ…!」と、この曲で私はすっかりBUMPを好きになってしまったのであった。

もちろん、他の曲も沁みるものばかりで「おお~、BUMP良い曲だらけじゃん~!」と思ってたところへのダイヤモンドだったので、当時の状況を踏まえるとそれはもう相当な衝撃だった。今聴くダイヤモンドと当時のダイヤモンドは100倍くらい威力が違う。きっとBUMP好きな人で私と同じような思いしたことある人ならどういうことかわかるのではないかな…(ダイヤモンドに限らず)。


とても長くなってしまったが、これが私がBUMPと出会ったときの話である。「知った」だけのときと「出会った」ときは違うのだ。出会うべきときに出会うべくして出会ったのだと思う。BUMPに出会っていなかったら今みたいに前向きに生きることはできなかったかもしれない。本当に感謝している。

そしてBUMPに出会わせてくれた友達にも感謝している。実は今年に入ってから、別々の高校に進学後長らく疎遠だった彼女に連絡をとってみたのだが、なんと同じゲームにはまっていることがわかり長文考察などを送りあっている。このゲームの話をできる相手がいなかった(お互いに)のですごく楽しい。BUMPファンになったこととBUMPを好きになるきっかけをくれたことへの感謝も伝えることができた。「え!そんなにはまってたの!?」と彼女の反応を見るに今は特に聴いてはいないようだった。一応最新アルバムのオススメはしてみたけれど忙しそうなので果たして聴いてくれているか…。とにかく思い切って連絡をとってみてよかったし、連絡をとったのはもう少しで手術するからなんとなくスッキリしておきたかったのもあったのかもしれない。手術する決意をしたのはBUMPが勇気をくれたからだし、巡り巡って結局はすべてが繋がっているのだなぁと強く感じたこの数か月であった。

人生はおもしろいものだなぁ。生きる勇気をくれたBUMPとそのBUMPと出会わせてくれた友人に改めて感謝を。ありがとう。


歌詞一部引用:ダイヤモンド/BUMP OF CHICKEN(作詞作曲/藤原基央)

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