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和歌は大学受験古典に必ず出るので、生徒に何時間かとって教える。その時に必ず必要なことがその当時の常識だ。

和歌のやりとりを三往復すると結婚とか、顔をそれまで見ないとかというものだ。実際古文で見るという単語は結婚するを意味する。今の時代からは考えられない。何故そんな勇気が持てたのか。

和歌のセンスがこの時代はとても問われた。修辞法と呼ばれるもの、例えば掛詞とかいわれるものなどを使ってあらゆるエネルギーをそこに注ぐ。

自然の風景しか描かれていないものも多い。しかしそこには裏テーマというものが存在する。その自然の風景に自分の心情を映している。

草の上の露といえば、涙とかいった具合だ。このように裏テーマを捉えないと和歌を詠めたことにはならない。其れを生徒は一生懸命考える。

こうしてイメージ力を養っていく。昔の日本人は和歌を使って大いにイメージ力をつけていた。そしてまるでテレパシーのように相手に思いを伝えた。

最初はこれほど皆んなが苦手な古文を何故教えるのか、よくわからなかった。しかし日本人の精神性を教えるのが役目と気がつくと、俄然やる気が湧いた。

自然と共にあり、そこに自分の思いを密かに投影して、それを相手も読み取る。高校生とともに当時の日本人に思いを馳せている。


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