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「私の故郷」から「真珠」までの解説のような

正直、
この企画を忘れていました笑

これを読んでくれる方もいるのか分かりませんが、
でも、はじめたことは、
続けられるうちは続けようかな、と。

それでは、はるか二か月前の詩から。

故郷が古びていく
川が枯れた息をこぼし
山肌にいくつもの線を引く
わたくしの手を憎んだ

あと少しの繰り返しの
あと始末の荒れの果て
ぬくもりのある手で触れていいとは
私の故郷はもう頷かない

わたくしの
わたくしの
とってきた息の引っ張り合いを
私の故郷は吸い込んでしまったのよ

「私の故郷」

田舎に帰る度、
ここにはここの日常の流れもあったのだろう、
けれど、、、
と思う瞬間があります。
代わっていくこと、変わっていくことは悪いことではないけれど、
人の身勝手を押し付けられる見えないもの、見えるものはどう思っているのだろう、と思って仕方がないのです。

心が鳴ると知っている
心が震えると
体はそれを受け取ると知り
心があり 体もあると知る

知るたびに結びつく
高い音の波に
とまどいは晴れ
ただひとつの揺れのように互いを知る

「心と体」

体があることを知る驚きよりも先に、
私は心が在ることを驚き、輝き、どうしようもなく震えました。

緑の道を登る
息吹の色も染めて
頬を髪のあいだを
さすってゆく

上へ
上への
短い登り
急な登り
その先のおだやかな景色を観に
誰かも歩いたのだろう

うつくしい緑の中
この影を出ることがさみしいと
思う私に風は吹く
同じ色にそっと寄った
淡い風が
汗をぬぐう

「緑の道」

山の上の展望台に、
撮り鉄の長男と一緒に登って行った時、
あまりに風がやさしく吹くので書いた詩でした。

雨が来る
ゴロゴロと音を光らせて
ざあっと降る
夕立
熱をつれていく
おわりを見送りながら
夏を遠ざける私を感じる

雨さえ甘温い
この季節の宵よ

「夏の雨」

雨は、
その度に季節を押し流していく。
一粒の音が分かるようなしとしと雨も、
夏らしいどうどうと降る雨も、
とても愛おしいものです。

山は夏を楽しんでいる
深い陰さえ
育っていく
どんどんと
青さを重く
緑を咲かせて
日に焼かれても
冷やす水を汲み上げて
山は夏を抱き込んでいる

「山は夏」

山へ、湧き水を汲みに行った時の詩です。
森の穏やかさと、
季節のなだらかさに身を委ねながら水の落ちる音を聞くのはとても楽しかったです。

誰と結びついているのかも
知れない小指が疼く

誰かをいつだか蹴っ飛ばした
私の左足が東へと寄る

わたしの心でも体でもないものが
私の体を演じる

大きく ずきん
鼓動にあわせて とくとくとく
おさまりはいつか
魂の緒を掴んだあなたを見つけたときか
私をあしたへと引き摺る
あなたの手を握ったときでしょうか

私は私の心と体の声だけで
この身を満たせるのでしょうか

それは宇宙の果てでのことでしょうか

「体と心とあなた」

もう結びつかない小指は無力でしょうか。
亡くしたものはもう叶わない、
想いでしょうか。
繋がりは見えないままどこまでも錆びないものであってほしい。
そんな詩です。

お地蔵さま
お地蔵さま
わたしの幼い妹が
そちらにいったのは
とおい日ですが
きっと素直なあの娘は
その素直さの似合うところへいったのでしょう

お地蔵さま
お地蔵さま
わたしはあなたに願いたい
あなたのそのやさしい合わせ手が
こぼすもののことを
思う心が安らいでいきますように
それもまた とおい日々と成りますように

お地蔵さま
私はあなたのような顔になりたいのです

「なりたい」

お山の湧き水は、
地蔵菩薩さまのお祭りされているお寺のすぐ下にあります。
そのお地蔵様は、本当に穏やかな顔をしていて、
けれどその手はきっとたくさん取り零したものを悲しまれているのだろうと思うのです。
お地蔵様という存在は、
それを仕方ない、とは言えない存在なのだろうと。
だから、その手が掬い上げられたもので満たされて喜べますように、
と願って。

願う奴がいて
救われる奴がいて
それは正しい
それは愚かしい

願い果たせない奴がでて
奈落の底へと転がり落ちる奴も出る
それは美しい
それは芳しい

願いを持つから叶えるから届くから
素晴らしいというわけではあるまいよ

願った事実そのものに輝きがあり
それを果てに尽くせなくとも
そのものは一生だ

正しかっただけの奴の顔ばかり見るなよ
どちらの鏡にうつっても
あんたの顔はあんたの顔だ

「願い」

願いは大きい。
どんな些細なものでも。
そしてそれは破れたとして、
自身の中に巨星のように残ると思うのです。
それは表面に誰を映してくれるでしょうか。

このダンスには
あの三日月をはめなくては
残った私の片足は
それを上手に真似しましょう

彩りの星を渡り
それぞれの風に回り
私の片足はいつか焼き切れても
月を履いた一本でダンスをし続ける

深淵に立ったら重たいカーテンを
くぐって 誰よりうつくしく
三日月の角度をおさめて
退場の満開に進むです

「月を履いてダンス」

あんまりにうつくしい三日月を見てしまったために書いた詩。
三日月のハイヒールなら、
なんてうつくしいでしょうか。
その片側の足にどんなに無理をさせようとも、
踊り続けるでしょう。

真珠の空の遥か上
箱舟は浮かび
いつまでも笑顔でいられる量の食べ物を乗せ
あなたがたも
やさしい日々を伴って
乗っていらっしゃるのでしょう

青空の下の私には
その手を振って下さる揺れは良く見えないけれど
少しの涼をつれた風がとどく
あなたがたの眼々は
どんなに透明を留めているのでしょう

ひとつ

真珠は浮かびました

「真珠」

詩学舎で、
ある方が「戦争で亡くなったひとはどこへいくのでしょう」と
悲しそうに言った言葉に、
応えるように書きました。
穏やかな船に乗って、
何もかも分かち合って、
静かな揺れに身を委ねていてくれたなら、と。


以上、詩の解説のようなものでした。


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