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余情 45〈小説〉

 クリスマス当日は、私のバイトが終わってから、いつもよりも少し良いものを互いに持ち寄っての夕食となった。彼女はフルーツを買い込み、大量に切って出した。私はチキンを四つと、ホールのケーキを買った。
「夕食というよりも、甘い物祭りですね」
 そう言って彼女はホールの半分食べきってしまった。私は彼女がきれいに盛り付けた果物を摘まんだ。
 私の携帯で、ネットレンタルした映画を見ながら、寒いと言ってはぴたりとくっついてくる彼女を隣に、時間が過ぎるままに過ごした。聖夜というには静かな時間だった。この夜を、私も彼女もおおいに楽しんだと思う。
 映画が終わり、テーブルの上を簡単に片付けたあと、彼女は私に一冊の本を手渡した。日付は少し天辺を過ぎていたが、寛いだ空気は今も新鮮に私たちを包んでいた。
きれいに包装されたそれを、私は呟くような「ありがとう」で受け取った。そのまま互いの部屋へ別れながら、彼女は一度私を呼び止め、小さく手を振った。静寂の中で、彼女の零した「また明日」も、すぐに暗闇の中に溶けていった。
 部屋に入ると、いっきに眠気が湧き上がってきた。電気を点けるのも面倒で、そのまま慣れたベッドまでの距離を体に任せて歩いた。彼女のプレゼントも枕元に置いて、その日は眠った。冷たい布団の中で、うっすらと浮かび上がったあなたの輪郭に、私は安堵したところまでが、記憶に残っていた。
 彼女のプレゼントの包装を解いたのは、翌日大学とバイトを終えて、帰って来てからだった。いつものように、冷えた体をお風呂で温めてからの夕食の席で、彼女は私にちらちらと覗うような視線を送ってきた。それが昨日のプレゼントの感想を求めているのだと気付いて、私は正直にまだ開けていないことを伝えた。彼女は特別落胆した様子はなく、逆にどこかほっとしたような顔をしていた。
 夕食後のお茶を飲んで、彼女はさっさと部屋に戻ると言った。はやく私にプレゼントを開けてほしいのだろうと思い、私は「お休み」と見送った。自分の分のカップを洗って伏せたあと、私も自分の部屋へと戻った。
 私の部屋は引っ越してきてすぐの殺風景のまま、今もほとんど変わっていなかった。彼女の部屋は彼女のセンスの賜なのか、物がそれほど多くはないのに、華やぎのある部屋に育っていた。私の部屋を覗く度に、彼女が何か言いたそうにする姿を何度も見た。それでも何も言わないのは、私が共有スペースで寛ぐ姿を見ているからだろう。部屋の中は殺風景でも、私がここを気の置けない場所に感じているのなら構わないという、彼女のやさしさに、私は甘えていた。
 テーブルと本棚とベッド、クローゼットの中の数えるほどの衣類。それが私の部屋の全てだった。家具はリースで揃えたので、持ち物としては衣類と本しかない。これから増える予定もない、始末をする時の楽さを最優先に考えた最善の量だった。
 そこにひとつ、小石ほどの重さ増えた一冊。私はベッドを背もたれにして床に座り、光沢のある緑色の包装紙を開いた。そこに現れた本を、私は暫く眺めていた。赤い表紙はしっかりとした分厚さを持っているのに、その中に見えるページ数の薄さが、私の手になじみのあるものだった。私は知らず喉を鳴らしていた。飲み込んだものが、不安だったのか、ある種の期待だったのか、もう分からない。その本を捲る前に、手を伸ばしてベッドの棚に置いてある緑の本を手に取った。ページを捲り、詩の作者の名前を確認する。そのまま真新しい赤い表紙の本を開いた。造りは同じもののようで、印刷されている文字の形も同じように見える。その文字が、さっき開いた先に印刷されていたものと、ぴたりと重なる。
 息が、吸えない。
そう感じた。一瞬の出来事ではあったけれど。すぐに次元が移ったように、今何が起こったのかすぐには判断がつかなかった。
 彼女は、この本を見ていたのだと、唐突に結果が突きつけられた。彼女が私の留守中にこの部屋に入った時か、それとも何度か用事で出入りをした際にこの本を目にとめていたのかは分からない。けれど、彼女がこの本の存在を認識していると言うことだけは確かだった。この本が私に与える影響や、送り主の心当たりまで正確に予想しているのかもしれない。そうでなければ、あんな風に変化を探るようなことをするはずがなかった。
 裏切りのような気がした。彼女が私を裏切ったのではなく、私があなたを裏切ったような気がした。
 この本は、それくらいあなたに密接に関わっている。
私は彼女の贈ってくれた赤い本をそっと本棚へしまった。あなたの本と並べて置く気持ちにはならなかった。そして今は、ページを開く気持ちにもなれなかった。
 彼女には、何を言うべきだろう。頭をベッドに投げ出して、白い天井を見た。細い線のような凹凸がある壁紙は、夜の中、電光をこまやかに拾って広く、隅のところまで届けてくれるようだ。砂浜を思い浮かべながら、明日の朝がこの夜の終わりにあることに、戸惑った。どんな顔をするのか。彼女に本の感想を求められたら。彼女が私の留守中に、部屋に入ったのかを確認するべきか。その時にこの本に触れたのかを。それとも。
 問題の提起は続くのに、解答はひとつも浮かんではこなかった。
 時計の走り続ける音が、頭に響く。私が進みたくはない時に限って、少し速度を上げているような気がした。それは言いがかりだと思いながら、私は水を足しすぎたオレンジ色の瞼を見つめ続けていた。

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