10・14(日記・文芸会のこと)
月に二回の楽しみ。
文芸会の日でした。
今回は、自分の準備不足というのか、
USBにPDFにして入れた原稿が、
ファミマでもローソンでも印刷できなくて、
行く途中で印刷しようとしていたので、
もう今回は諦めてしまおう、、、
と到着して説明すると、
はりまデザインラボのコピー機で出力してくださることに。
本当にありがとうございました!
(あとでその分のお金を代表の方にお渡ししておけばよかったと思いましたが、後の祭り、、、。気が付かない人ですみません、、、)
今回は、
いつも司会をされない方が担当で、
それなのにやっぱり経験値の為かそつなくこなされていて、
さすがでした。
本当にかっこいい方です。
前々回にはじめて参加された方も、
(作品は読まれなかったのですが、
会に参加したいと来てくださいました)
来られていて、
よかったなぁと思いつつ。
今回のトップは下町の商店街を舞台に連作短編を書き続けてこられたものの最終回から。
文末の『完』の文字に、まさかと思いましたが、
これにてしばし(希望的観測)終わりになるのだとか。
でも古時計という純喫茶からはじまり、
そのオーナーの語りで終わるというきれいな大団円で、
本当に一冊にまとめてもう一回読み直そうと思うくらい、
素敵な締め方になっていました。
ご本人は「その場で取ってつけて」いった物語だというのですが、
本当に登場人物が生き生きしていて、
ユーモアが散りばめられていて、軽妙で、人を楽しませようという精神の行き届いた小説だったので、
私も凄く勉強になりました。
次回作もめちゃくちゃ楽しみです!
次に発表されたのはエッセイ。
メダカを近所の方から譲られたことで、
昔飼っていたグッピーのことを思い出し、
そして飼い始めたメダカの飼育での失敗からまさかの人類の滅亡の時を夢想するという、この方だからの飛び方が面白いエッセイでした。
語り口も、言葉選びも真っ直ぐというのか、一生懸命で、
だからこその飛躍が無自覚で、
他の方に指摘されてわたわたされるご本人も含めて、
素敵な作品でした。
私には絶対書けない文章です。
三人目は私。
作品はこちら__
『歩く』
彼女は黙々と歩き続けていた。
時折風が吹いて、覗く頬と顎の先の線に、どこか意固地さを感じるけれど、歩調を速めて隣に並べば、その横顔が純粋に、真摯に、前を向いているだけなのだと気付く。
彼女が歩くのに付き合いはじめて暫く経つ。もともと歩くことは好きだった。ただ前を向き、体を動かす。柔らかにしなる背骨の下で、筋肉や骨や関節が、力強い脈動に指揮され、ひとつの生き物として動く。この時間だけは歩くことだけに集中する。それが思いのほか精神にもいい働きをすることに気付いてからは、彼女と歩く以外にも、時間を見つけては家の周りをあちこち歩くようになった。
彼女は黙々と歩く。
興味のあることに出会うと、目が先に喋りだしてしまうような彼女の、その興味が動く様を見ているのが好きだ。彼女は瞬発力のモンスターで、それを一緒に楽しむ素早さが自分にあることを、心底嬉しいと思う。
彼は黙々と歩く。
誠実な目をして、どこまでも冷静に判断を下すことを止められない性質の彼は、私が何かを始めるたびにもう側にいる。
投げかければ、その波紋が届く範囲のあれこれを、ひたすら調べてきてしまう。そこまでしなくても、という言葉を掛けてくれる人格は、彼には存在しないようだった。
背中というのは無防備なものだ。私は前を向いていたいし、見える範囲のあれもこれも体感したい。そんな時に背中にある彼の存在は、私を有利にしてくれていると思う。前に進むこと。興味を伸ばすことに躊躇させない。晴れの空に両手を浸していっても、落ちそうになったら声くらいは掛けてくれるだろう。そういう信頼だ。
彼は黙々と歩く。私のあとを付いてきてくれているのではない。ただ彼の興味が、私のそばにあるだけなのだ。そういう信頼が関係になっていた。
私たちは別々の時間を歩いている。
お隣の、
二回目の参加の方には「詩のよう」と言われました。
今回みなさんが意図は色々ですが揚げてくれたのが
『晴れの空に両手を浸していっても、落ちそうになったら声くらいは掛けてくれるだろう。』
の一文でした。
好きな表現として挙げて下さったり、
状況が掴みにくいと言ってくださったり、
信頼の表現として面白いと言ってくださったり。
本当に自分が読む以上に考えてくださるなぁ、と毎回思います。
意外というのか、
「そうなんですか」
と思ったのが、
私の文章はふつうの文章とあまりとられていないんだな、ということでした。
「もう少しふつうに書いて」
「と思うけど、このまま書いて」
とも思う。
そんな感じで言われて、
あ、まただなぁと。
私はこの文章を平易な言葉で、特別な表現はせずに書いたつもりだったのですが、これでも伝わりづらいのだと。
そしてみなさん、ちょっとその一回では伝わらない感じを楽しんでくださっているんですよね。なんて奇特な!
ここ何回か言われ続けていることなのですが、
まず「伝わらない」ことが多いのだと、やっとその事実だけは分かってきました。
正直何が分かり辛いのかまで分かれていないので、
まだ直らないと思うのですが、、、
ただ、
「ぱっと分かる文章ではないのだけど、
このまま書いていてほしいとも思う」
とも言ってくださるんですよね。
ありがたや。
落としたままじゃかわいそう、と慰めで言ってくださっている部分もあるのだと思いますが、
それでも少しでも私の表現を好きだと言ってもらえてうれしかったです。
修行だなぁ。
不思議な話なのですが、
二次創作ではこういうことを言われないんですよね。
まあ文章の良しあし、分かるわからないと話すことがないからかもしれないのですが、
よく言われるのが「人間関係の描写が好き」です。
ありがたや。
私の書く二人が読みたいから書いてくれ。
そう言ってくれる方が数人いて、
調子に乗って書いています笑
二次創作では何かがうまくいっているのか、、、
不思議です。
四人目はお店番シリーズ。
近くのお店を閉め、
新しくニューハリマという私設図書室(本棚オーナー制)の軒先での出店をはじめたこと、その中での仕事の多様化と、そこにも見え隠れするオーナーさんの人柄、そして何より美味しそうなご飯と味噌汁の描写に、
聞いていたみなさんの胃が刺激されていました笑
美味しい料理の描写は私の課題のひとつなので、
こんなにみなさんに「行きたい!食べたい!」と言われる文章は本当に羨ましいです。
今度はただ食事をしているだけの描写を書いて見ようかな、、、
お次は代表の方の、
(創作だそうですが)幼い日の運動会の玉入れの玉を児童が保護者に作ってもらって持っていく、というエピソードが書かれていて、
その玉の描写が細やかで、
そこから見える人間関係やその当時の生活風景なんかが生々しくなく、
いい感じにセピア色をかけて見えて、
とてもいい味の文章でした。
こういう文章を書けるようになるには、
時間の蓄積が必要だな。
いつかこういう文章も書けるのかもしれない、と思うと、
年齢を重ねるのが楽しみになります。
お次は絵本の執筆もされている方。
詩だったのですが、
そのまま絵本になるし、
すでに彼女の絵柄で想像できちゃうぞ、というくらい可愛らしく、前向きで、いい風の吹く言葉でした。
みのむしの主人公が、居心地のいい場所にいるけれど、だからこそ次を楽しみにする、その心情が描かれていて、
私は家というコミュニティーから一歩を踏み出す幼い子供のような目線で聞いていました。
私が好きな部分があって、
そこをお伝えすると
「そこは“としさんが降りてきて”た!」
と私の文章の影響があったよ、と言ってくださって嬉しかったです。
そしてそれにまんまと釣られた私。
最後は司会者の紀行文をいつも書かれている方。
本当によくこんなに詳細に物事を映しとれるなぁと驚くほど、
この方の知識や意識を通した景色や出来事が的確でしっかりと統制された文章で組み立てられていて、満足感がすごい文章でした。
目の前に断片的に現れる旅の風景。
きっと私がこの場所に行ったときには、
懐かしいと感じるだろうと思います。
一度文章で行ってきたなぁ、と。
それくらい映像を起こして来る文章書きさんなのです。
この方のような文章はどうしたら書けるんだろうか、と考えますが、
経験値や読んできたものの量が圧倒的に違っているので、
そも書きたいと思うの事態がおこがましいなと感じます。
いつかこういう書き方もできるように。
そう思い、読んで書くばかりです。
と、いう感じに今回も本当にあっという間の、
そして充実した二時間でした。
次は二週間後。
今度は詩を発表しようか。
それとも『食事の描写』を書こうか。
この時間も幸せです。
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