11・29(日記 感覚の発見)
おはようございます。
この時間にnoteを書くのは久しぶりな気がします。
今朝は久しぶりにカードを引きました。
毎日引こうと言っていたのはどこへいったのか、、、
最近は「今引こう」という時に引いています。
最初は3枚引きをオラクルと合わせて。
そのあと1枚引きで、「今日のカード」と思って引いたのがこれです。
塔のカード。
このカードって、ポップなイラストですよね。
雷が落ちて、
散らばっていく光が花火みたいで、
バベルの塔の神話を表しているようなカードだそうなので、
きっと散らばった言葉の象徴なんだと思うのですが、
まるで幸福が降りそそぐみたいです。
下から見ていたら美しい光景だったでしょうね。
私は花火は打ちあがって、広がっている最高潮の場面より、
落ちていく火の粉の微かに瞬く姿が好きです。
幼稚園の頃に見た、本当に火花が降ってくるような花火の煌めきが、
今も鮮明に思い出の黒い夜空に残っています。
このカードが恐いという方もいるそうですが、
私はけっこう好きです。
終わりにほっとするような。
もう終われるんだなぁ、と落ちていく人の表情が言っているような気がするからかもしれません。
終わりたいのに終われないことの方が、辛くて苦しい。
さて、何か衝撃的なできごとでも起きるのでしょうか。
私の頭に驚くべき閃きが、、、!
だったらいいのに笑
さっきYouTubeを見ていて、
さて次のことに、と顔を上げて気付いたのですが、
私はどうやら映像を見た時、
文字で映像を理解しているな、と。
物事を、物語りを言葉に置き換えた、
そういう感覚です。
そして思い出してみると、
逆に文字を読んでいるときは逆の感覚でいることに気付いたのでした。
小説を読む、漫画を読む、は映像として内側に保存されているようなのです。
歌、もそうです。
歌を聴いている間、私は映像を見ている。
言葉での理解のほうがわかりやすい、
映像のほうが共感しやすい、
ということならばどちらかに偏ればいいのに、
なんで映像は言葉に、
言葉は映像に分解、再構成されて残っているのか。
えー、不思議だ!
と思って、noteに書いておきたくなしまして、
今に至ります。
(ついでに『塔』を引いたよ、という報告もしたかった)
それともそういう感覚の人が多いのでしょうか?
もしよければ、教えてくださるとうれしいです。
あなたは映像、文字をどう内側に落とし込んでしますか?
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