そしてパンデミックが始まったー14歳で反抗期が終わった息子とオカンの物語(25)
息子が2020年1月4日に無事日本から帰国して、あたしの楽しかったお一人様時間が終了。
息子は息子で日本で祖父母と一緒に暮らし、従兄弟にも会い、さらに友達に会ったりしてそれなりに楽しい時間を過ごした模様。
夏に行かされていたサマーキャンプよりも楽しかったみたいだ。
「また学校か……」とため息をつきながら、相変わらず遅刻をしながら中学校へ通う日々。
とはいえ、高校も申請したし、あとは6月の卒業を待つばかり。
だったのに、世界が一瞬で変わってしまったのだった。
誰もが「あの時」のエピソードは持っているだろうし、あの時の恐怖はきっと忘れていないだろう。
ニューヨーク市もあっとう間に広がって、3月16日月曜日から学校が閉鎖になり、翌週の23日月曜日からロックダウンになった。
わたしも仕事をしていたけれど、怖くてどうしようかと思っていたら無理に働かなくても大丈夫と言われて辞めて、息子と二人っきりの生活が始まった。
息子は大嫌いな学校に通わないでいいからルンルン気分。
あたしは生活費をどうしたらいいんだろう? と不安に思っていたら、パンデミックで仕事を辞めた人には特別な失業保険が出ると教えてもらい、即効で申請してなんとか落ち着いた。
働かなくてもお金が入ってくる安心感よ。
*
誰もが新しい様式に慣れるのに大変で、明日はどうなるのかわからなくて戸惑っていたけれど、あたしも息子も落ち着いたような気がした。
もちろんリモートで学校に行かないといけないけれど、へんな話、授業が始まる5分前に起きてもいいし、あたしも息子の遅刻を心配しなくてもいいことから解放された。
だってもう、狂ったように「遅刻するよ!」って、こめかみに💢マーク出していた日々だったからね。
もちろんリモートになったとはいえ、間に合わないことも多々あったけれど、状況が状況だったから、先生達も多めにみてくれていた。
とはいえ、真剣に授業を聞いているようにも思えなかったので、そこが新たなストレスになったのも事実。
でもママ友の話を聞けばほぼほぼベッドの上でコンピューターを開けて、でも画面は静止写真。携帯では友達とチャットをしながらSwitchでゲームをしたり……な生活を皆送っていたらしい。
ある意味器用だよね、今思うと。マルチタスクちょこざいな。
買い物は必ず息子と一緒に行くようになった。
とにかく買い込まないといけないから、一人だと持てないからだ。
ときどきお気に入りのスーパーまで自転車に乗って買い出しにも行ったりもした。
高校受験が落ち着いたということもあって、息子と二人っきりで出かけたりする時間がほとんどなかったから、ある意味のんびりと生活ができた良い時間だったとも思う。
ニューヨークでもマスクが奨励されていたけれど、夏が過ぎる頃まではほとんどの人がマスクをしていなかったし、近所のホッケー仲間家族と自転車に乗ってほぼ毎週のようにハイキングに行ったり、穏やかな時間を過ごしていたと思う。
とはいえ、ニューヨークって外食や美術館を始めとしたエンターテインメントがないと、本当に「やることがない」ところ。
特に自然が美しいわけでもないし、テレビを観るのも別にニューヨークじゃなくたっていいわけだし。
パンデミック前は日本に帰ろうと考えていた2020年夏。
面白味のないニューヨークでどーやって夏を過ごそうかと考えていたら、カリフォルニアに引っ越してしまった息子の幼なじみ家族からのお誘いもあって、まるっと2ヵ月カリフォルニア滞在することに決定。
そして、そこの家に行ったことで息子の反抗期が収まったといってもいい。
それはもう、心をえぐられる辛い体験だったけれど、でもそれがなかったら息子は14歳になってから直ぐに反抗期は収まらなかったと思っている。
友達家族には感謝しかない。
ということで、次回、いよいよ最終回でございます。
2006年生まれのアメリカ人とのハーフの男の子のいるシングルマザーです。日々限界突破でNY生活中。息子の反抗期が終わって新しいことを息子と考えています。