繊細過ぎる息子の、GTテスト受けた時の思い出〜14歳で反抗期を終えた息子とオカンの物語(2)
前回、息子のトリセツについて書きましたが、まあ本当にうちのお息子さまは繊細でしてね、幼稚園お受験の時のお話しを一つ。
ニューヨークの学校受験話は本当にネタが尽きないというのか、ストレスが半端ないし、白髪が増えて大変になるんですけれど……よかったら読んでみてください⬇
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ざっくりニューヨークの公立学校のお話をすると、幼稚園から小学校5年生が「小学校」。6年生から8年生までが「中学生」で9年生から12年生までが「高校生」となっています。
私立などは幼稚園(キンダー)から12年生まで繋がっていたり、公立でもそういう所もあるし、中高が繋がっていたり、なぜか5年生から始まる所もあったりと、まあ、いろいろなんですがー
ちょっと頭の良い子供たちを集めたギフテッドの公立学校があるです。
ここは幼稚園から入れるのですが、テストがあるんです。
そのテスト内容などは上記のカテゴリーにまとめてあるので読んでいただければわかりますし、英語で調べると山のように情報が出てきます。
わたしも息子をこのギフテッドの学校に入れたくて、試験を受けさせました。
試験日は2011年の1月29日の土曜日の午前中。
サッカー日本代表がアジアカップで優勝した日でもあります。
ちょうど雪が降った翌々日くらいで、とても寒かったのを覚えています。
ハーレムにある公立の学校で試験を受けるんですが、バスに乗って行って。
テストを受ける時間も(確か)朝の9時半、10時半、11時半に午後1時半……と3回だか4回に分かれていて。どんだけの子供がテスト受けたんでしょうね? 会場、ここだけじゃなかったから。
漠然と10時半がいいかなーと思って、10時前には着くようにいったはずです。
日本の学校みたいに校門に「○○学校入試会場」みたいなものでもあるのかとおもいきや、別に普段と変わらないたたずまい。
まったく何も案内がないから警備員に訊けば「そこのカフェテリアで待っていて」と言われるだけ。
あまりにも素っ気ない!
そしてわたしの緊張が伝わったのか、息子もなんだか落ち着かない様子。
いかんね、親が緊張しては。
でもするよね!
だってこれに落ちたら近所のろくでもない学校(失礼)に行かなきゃいけないんですよ? そう思うと否が応でもプレッシャーかかるじゃない。
ギフテッドの学校に入れなかったら、息子の人生は終わりじゃあああああああ
そんな気持ちでしたから。
それくらい、ハーレムにある公立の学校には入れたくなかったんです(その一例を少しここに書いています)。
しかし4歳児にそんなプレッシャー与えるってどうでしょうか。
「もう帰る」といつ言い出すのか、正直ドキドキしていました。
先ずは息子をリラックスさせようと、iPhoneで好きなビデオを見せて。ありがとう、iPhone。周りの子供たちもほぼ全員iPhoneかiPad利用者で。
そんなこんなしているうちに、10時半のテストを受ける人は2階にあるオフィスに来てくれとアナウンスがありました。
周りの子供たちを見ても、みんな頭が良さそうです。
オフィスのお姉さんから「今日はこれからパズルやるんだけれど、どう? 準備はできている?」と聞かれていた白人の女の子は「ええ、早くやりたいわ(Yes, I can't wait to do it. I'm ready)って答えてて。その答え方が
ねーさん、本当に4歳ですか?
というくらい大人びていて。
4歳といえども大人の女性となんら変わりなく。
どういう教育をしたらそんな風に育つんですか?
って、マジめにいつも思います。
レストランで働いていた時も、オーダーとかしてくれるんだけれど、目をつぶって聞いていたら大人ですもんねえ。すごいわ。
に対して、息子は同じように訊かれても何の返事をするわけでもなく、あたしに隠れて「お家に帰りたい」と一言、日本語でポツリ。
いやん! こんな時に出ちゃった?!
「あれ〜? パズル好きだよね?」
「パズル好きじゃない」
「終わったらピザ食べようよ」
「今食べたい」
あああああああああーーーー
きたー、きたー、きたーーーーーー!
面倒くさいのが発動されたーーーーー。
本当にどーしてさっきの白人の女の子みたいに「うふふ、やってくるわ♪」ってならないのかしら?
どうしてどうしてどうしてどうして(エンドレス)毎回毎回毎回毎回(エンドレス)
ぼくはいや、やらない。
が発動されるんだろうううううううううううう。
ってね、そりゃ息子にしてみたら勝手に決められてやらされているから、息子的には納得していないんでしょうけれど、と今なら思いますが、でもさー4歳児だもん、親が決めるよね。
いくらモンテッソーリ的に子供の意見を尊重せよと言われても。
いや、やはり近所の学校には入れたくなかったから、仕方ないんです。
さて、テストは広い教室に、試験官と1対1でやります。
個人的にはあの人が息子の担当になってくれれば……と思っていた人は、他の生徒とオフィスを出て行ってしまって。
息子の担当は黒人のおばさんでした。
アメリカって不思議なところで、とにかくどんな人に当たるかで全てが変わると言っても過言でない所。ぞれは空港の税関しかり、役所の人しかり、学校の先生しかり……。
ましてやこの時の息子の精神状態は最悪だったし、試験官がどんな人かもわからないし。
もうテストなんてどうでもいいから、帰った方がいいのかな、でもなあ、とぐるぐる悩んでしまっていた母。
オフィスでぐずぐずしている息子を見て、オフィスの人が本来なら親と子供はオフィスで別れることになっているけれど、特別に教室の前まで着いていっていいわよ、と言ってくれて。
こういう融通が利くのがアメリカの良いところですよね!
長い廊下を歩きながら、試験官のおばさんが、いろいろと質問をしてきました。名前は? とか、そういった基本的なことでしたけれど。歩いている間、息子は力強くあたしの手を握っていました。
彼にとったら、もしかしたら死刑への道のりのような感じだったのかもしれません。
いよいよ教室の前に着いたとき、息子は諦めたのか、にこりともせず教室に入っていきました。試験官のおばさんは「大丈夫よ」という顔をして笑ってくれました。
あたしはそんな息子の様子を見て
テストの結果なんてどうでもいいじゃない。
ダメならダメで他の道を考えよう。
ギフテッドの学校に行くのがすべてじゃない。
だって彼はまだ4歳。
たったの4歳じゃない。
産まれてから4年しか経っていないのに、なんかおかしいじゃない。
と思いつつ、でもGTの学校に行けなかったらどうなるんだろう?
ハーレムには高校を出たとしても、最低賃金の仕事にしか就けない人達が多く、それが当たり前の世界。しそれしか知らない人達ばかり。
息子のお父さんもそれが「当たり前」だから、4歳児の息子にテスト受けさせるなんて「頭おかしい」と思っているに違いありません(もちろん伝えていませんけれどね)。
幼児教育がいかに大切なのかを考えたことも無い人達だろうし、幼稚園なんてどこに行っても変わらないと思っている。
でも彼が出たハーレムにある高校では、授業中もうるさくて、勉強ができなかったと言っていました。
分かりやすく言えば、日本の荒れている学校みたいなものです(そこに銃を持ってきたり、ドラッグがはびこっている所が違いますが)。
わたしの思考はそっちの「良くない」ことにフォーカスされてしまい、そんな子供になって欲しくない、そんな子供にするためにお腹を痛めて産んだんじゃない! という気持ちが強くって、とにかく
Dead or Alive(生きる=ギフテッドの学校:死ぬ=ハーレムの学校)
と、大げさだけど、そんな気持ちになっていたのです。
そんな風にモヤモヤしていたら、息子が笑顔で試験官のおばさんと一緒にカフェテリアに戻ってきました。
あれ?
試験時間はだいたい1時間くらいって聞いていたけれど、30分くらいしか経ってなくない?
「パズル、すっごい面白かった、楽しかったよ、お母さん!」
おやおやおや、すごいニコニコじゃないですか。
「最初は興味なさそうにしていたけれど、問題を解き始めていったらすごい集中力でこなしていったのよ」と試験官のおばさんもにっこり。
笑顔でおばさんとお別れして、雪の残るひんやりとした空気の中、ハーレムの街をだらだら歩いて帰りましたが、無償に心が晴れたというのか、結果がどんなでもいいや、とふっきれたような気分になったのを覚えていますね。
テストのスコア結果をネットで見て(その後日郵送もされます)天まで昇らんくらいの勢いで喜んで、行く学校の結果を受けて悩んで、結果的には辞めてしまったけれど、いい経験ができたと思っています。
アレがあったからこそ、今がある。
なんて思うけれど、やっぱり学校って難しい。
中学の時も、去年(2019年)の高校探しの時もストレスしかなかった。
いや、正直言いましょう。
ニューヨーク、へん!
ニューヨーカーですらギブアップしているよ!
このシステム!
ということで、こんな事があったのに、どうしてギフテッドの学校を辞めたのかは次回書きますね。
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2006年生まれのアメリカ人とのハーフの男の子のいるシングルマザーです。日々限界突破でNY生活中。息子の反抗期が終わって新しいことを息子と考えています。