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息子のトリセツ - 14歳で反抗期を終えた息子とのお話(1)

息子の反抗期話を書こうとして、いったいどこから書こうか、先ずは息子の基本的性格を知ってもらった方がいろいろと書きやすいと考えたので、今回は息子のトリセツについて書きました。
書いていくうちにヘンなテンションになっていますが、お付き合い下さい。

プロローグはこちら


❖ ❖ ❖


突然ですが、あなたは自分のお子さんについて説明できますか?
こんな子ですよーって。
つまり、お子さんの『取り扱い説明書』。
トリセツってやつです。

というのも、息子がまだ小学生時代の時、毎年夏休みになるとサマーキャンプに入れないといけなかったんですが、申請用紙に「あなたの子供について、特に知っておかねばならないことはありませんか?」という質問が必ずあるんです。

こういう質問はサマーキャンプに限らず、私立の学校を受けた時にも書かされましたが、その度にほんっとうに困って困って……正直今もどう書いたらいいのか悩みます。

サマーキャンプとは
お泊まりキャンプではなくて、夏休みの間も働く親のためにある、いわゆる学童保育場所みたいなプログラム。キャンプによってはお泊まり専門もあるし、デイキャンプでも年齢が上がると1泊、2泊のお泊まりキャンプもある。

例えば自分の子供が偏食で、コレとアレだけしか食べられないけれど、心配しないでくれ、うちの子供はちょっと気性が激しいのであまり甘い物を食べささないでくれ(なんて書く人いるのかしらん)とか、うちの子供は○○なので、よろしくお願いしますということが書けるんですよ。

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息子が初めてサマーキャンプに行ったのは小学校1年生になる夏休み(9月から1年生になる時です)。そのキャンプ場所は幼稚園の時からアフタースクールで通っている所なので、先生達も息子のことをよく知っているのでそんなに心配はしていなかったんです。楽しそうに通っていたし。

アメリカの夏休みは日本と違って長いです。
地域にもよるんですが、ニューヨーク市の公立学校は6月の末から、9月の第1週目の水曜日辺りまでの期間になります。
合計10週間ほど。

なので最低8週間は預けないといけない。

息子の場合は、最初の5週間はいつもの所へ通って、残りの3週間を他のキャンプに入れたりして8週間しのいで、残りはわたしが夏休みを取って旅行に行ったり、ニューヨークで遊んだり、と、毎年どうにかやりくりをしていました。

彼が9月から2年生になる夏休みだったか(確か7歳の時だった)、いきなり3週間のお泊まりキャンプに入れたんです。

おかーさんだって1人になりたい!

という叫び声がありまして(笑)。
旦那を追い出してから、毎日毎日ずーっと息子と二人っきりで息が詰まりそうでした。

なのでそんなキャンプがあるんだ! と知った時は、ウキウキしましたね〜。

そのキャンプ場はニューヨーク州郊外だし、ちょうどベイブレードにハマっていたときだったから郊外でたくさん星座を見てこられるし、何よりも車の免許を持っていない母としては、そういうところまでは連れ出してあげられない。

母親一人だと、できることの限界ってあるじゃないですか。

なのでお泊まりキャンプ。
いいね!
キャンプファイヤー楽しそう!

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アフタースクールのディレクターに「息子を3週間のお泊まりキャンプに入れようと思うけれど、どう思う? まだ早いかな?」と訊いたら「彼なら平気」と許可をいただきまして、キャンプにぶち込みました。

でもこれが、きっとよくなかったのではないか? と未だに疑問を持っています。

というのも、4歳の時に急にお父さんが目の前からいなくなり、そして齢7歳にて、なんの前触れもなく母と引き裂かれて、3週間のサマーキャンプにぶち込まれたんですから。

彼の心は果たして……?
精神的にキツかった……かも……。

といっても、ちゃんと下見には行っていますから!

ここが寝るところ、食堂、シャワー室、こういったアクティビティーをします……などなど、息子と一緒に行っていますから!

それでも毎日ずーっと一緒にいた母親と引き裂かれ(だってまだ一緒に寝ていましたから)、そのショックさは半端なかったでしょうね。
ごめんよ。

なのでキャンプのディレクターから「帰りたいと毎日言っている。ホームシックになっている。一人でいて、他のキャンプに来ている子供たちと遊ばない」と連絡が来たときは胸を痛めました。

痛めたけれど! 久しぶりの一人を堪能していたのも事実。毎晩ではないけれど、夜な夜な夜遊びをしていました。

おかーさんだって、ストレス発散しないといけませんからね!

と同時にディレクターからの連絡をもらったとき、どうしてそうなのかなあ……と思いながらも、やっぱりそうか! とも思いました。

息子は本当にセンシティブ。
ただの繊細じゃなくて、スーパーセンシティブです。
そして頑固。

息子の2歳くらいから知っている複数のママ友達からも「そうだね」とお墨付きです。そして、なんかよくわからないけれど、息子の中にちゃんとした基準があって、それに当てはまらないと妥協することすら知らないのか、頑として動きません。

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3歳の夏に日本に帰ったとき、近所の保育園に入れました。
日本のことを学ぶのに良い機会だと思ったからだし、日中くらいは一人満喫したい母の思惑です。

初日は給食の時間、席についたけれど何も食べずに麦茶だけ飲んでいたそうです。
二日目は白米だけ手をつけたとか。
お昼寝の時間は寝なくて、慣れるまで踏み切りを通る電車を見ていたそうです(つきあってくれた先生に大感謝!)。そして二言目には「ニューヨークに帰りたい」と。

そういえば眠るときも「ここはじいじとばあばのお家で、ぼくのお家じゃないでしょ? お家に帰りたい」と言っていましたね……。

朝連れて行く時も行きたくないとは言ってはいたけれど、それでも抵抗しきれないことを悟っていたのか、なんだかんだで園には行ってくれました。
そして行ったら行ったですごい楽しむ息子。
なんだよー、楽しそうじゃん、いらぬ心配して損したー

ピックアップに行ったときに息子も「面白かったよ」って蔓延の笑顔を見せてくれるから、なんだ、じゃあ大丈夫じゃんと思って「そっかー、良かったね。明日も楽しみだね」というと、すっと真顔になって「明日は行かない」って言うんです。

楽しかったのに、明日は行かない。

え?
なんで? 
楽しかった行きなよ。
あれ? あたしの感覚ってヘン?

ちなみに息子は8月生まれなんですが、自分の誕生日の時に、4歳になった記念なのか初めて給食全部食べて、ニューヨークに戻るちょっと前に保育園であったお泊まりキャンプにも参加して楽しく過ごしました。

慣れるまで長すぎだろーーーーーーー(心の叫び)。

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そう言えば2歳の時に、近所にある託児所(デイケア)に預けた時も、だいたいの子供は泣くけれど、お母さんがいなくなったらコロッと忘れて泣き止んで楽しく遊ぶんですけれど……息子は違いました。

確かにあの日は初日だったけれど、空気を切り裂かんばかりに泣いて、泣いて、泣いて、泣き止まなかったから、1時間もしたら電話がかかってきました、迎えに来いということで。 

その日はお試しということもあって、特に用事はなかったけれど、久しぶりの一人で(旦那は仕事をしていたのか実家に帰っていたのか記憶にない)、とにかく一人の時間を満喫していた矢先の電話。

正直、なんでだよーーーーーっ!
素直に預かってもらっていてよーーーーー!
(心の叫び、アゲイン)。

と、思いました。

ただ、正直言うと、そこの託児所は好きじゃなかったんです。
まあ、ハーレムだし、他の地域だと預けるのに月12万もかかるし。
そこは政府からの援助金も出て8万円(それでも安くないですね)で行けたし。ちょっとの間、我慢してもらおうと思っていたのだ。

働いている人達は黒人かラテン系の人で、赤ちゃんなんて慣れっこだったはずなのに「あなたの息子みたいに泣き止まなかった子供は初めてだ」とピックアップに行ったときに言われました(マジかよ〜)。

私立幼稚園の面接の時も、Gifted and Talented のテストを受けた時も、最初は本当に警戒してわたしから離れるのを嫌がって。でも慣れるとすごく楽しむ。

息子に関しては「ぜったいイヤだって言うけれど、行ったら行ったで一番楽しみよね」とも言われております、幼なじみのママ友達たちからは。

だから面倒くさい。
なんでそんなに抵抗するんだよーと思うんですが、敏感だからなんでしょうね。

敏感だからしょうがない。

もう、その一言で片付けますわ。

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7歳の時の3週間お泊まりキャンプを皮切りに、毎年夏は、5週間はいつもの所で、残りの2週間はお泊まりキャンプというのを数年繰り返しました。

毎年、毎年「なんでぼく、お泊まりキャンプに行かなきゃいけないの?」と言われながらも入れていました。
「お母さんにも一人の自由の時間を下さい」とお願いして。

息子も複雑だったと思います。
ボクがキャンプに行かないと、お母さんは息抜きができない。
だから、ボクは我慢して行ってあげるんだ。
本当は行きたくないけれど。

でもさ、いつまでも一緒にいられるわけじゃないからね、徐々に離れる訓練した方がいいじゃない? 

と思っていたわけです、わたしとしては。

18歳になったら家から出ていってもらうよ。
一緒には住まないよ。
だから一人で生活できるようになって欲しいんだよ。

と言うことを、5歳か6歳くらいの時から伝えていたんですが、さすがに2年生の時か、担任のカルロス(仮名)に「その率直さがアキツの良いところだけど、息子はまだ7歳だからね。まだまだ母親に甘えたい時期なんだよ」と言われました、そう言えば。

なので、息子の中にはいつも(きっと今も)「18になったら母親に家から追い出される」という恐怖感がずーっと取り憑いていたのかもしれません。

だから喧嘩をする度に「どうせお母さんはボクを追い出したいんでしょっ!」と言っていましたね……
「いらなくなったら追い出すでしょっ」とも言っていたような……。

違うよ。
いや、違わないのか。

18歳は大学生。
大学生になっても親と一緒に住んでいるのはどうかと思うのだよ、母としては。
だから、ちゃんと家庭のことを一通りできるようになっていて欲しい! というのが母の願いなんです。ヘンな苦労をして欲しくないと思っているんです。

これって、親のエゴなのかな?

でもわたしの言い方がキツいと言うのか、まさに直球だからか、18歳になったらボクはお母さんに有無言わさずに家から追い出される、というマインドになってしまったようです……


きゃーっ!
全てわたしのせい、じゃん!!!!!


でもね、でもね!
わたしだっていっぱい、いっぱいなんですよ!!!!


父親役と母親役を一人でやらなきゃいけないし、学校のシステムは日本と全く違うから、何をどうフォローしたらいいのかわからないし……


幸い、わたしの周りにいる人達の多くが教育熱心だったから、今もいろんなことを教えてもらいながら息子の学校生活がどうにかこうにか過ごして行けています。ありがとう。

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お泊まりサマーキャンプの話に戻しましょう。

去年行ったあそこのキャンプのカウンセラー(子供たちの面倒を見てくれる高校生以上のインストラクター)達が、子供たちの前でカースワードを話ししていたからイヤだ、参加している子供たちもそうだったからイヤだ。

と言うことで、翌年は違う所に入れたら、今度は○○がいや。
その翌年もまた違う所に入れたら、アレがいやだった……

と、文句ばかり。
まあ、行きたくないからそうなるんでしょうけれど。

さらに毎年、毎年、毎年!

1)
最初の1週間目は「帰りたがっている、他の子供と一緒に遊びたがらない、喧嘩をする」と必ず連絡が来ました。
同じ人が書いているの? というくらい、ほとんど同じ内容です。
2)
そして2週間を終えて帰ってくると言われるのが「彼が自分のグループにいてよかった。率先してリーダーになってみんなをまとめてくれた。とても助かった。来年もおいでよ、そしてまた同じチームになろう」と、カウンセラーに言われるのです。
あれ、君、去年○○キャンプでカウンセラーしてた?
というくらい、同じ事を言われ。

息子は「まあ面白かったけれどね」と言いつつ「来年はぜったいに行かないけれど」とお決まりの台詞を吐きます。

質問:普通、人って学びませんか?

答え:ああ、そういえばこうだったな。じゃあ、この時はこうやって……じゃないけれど、慣れるのに7日かかったのが、翌年は5日で、さらに翌年は3日で……みたいな。

息子は本当にリセットされるのか、イチからまたやり直しです。

毎年毎年毎年!

なんで?
どうして?!

と思うくらい。

あんた去年何習ったの?

この辺りは本当に本人に訊かないと分からないんだけれど、本当にまたかーと思っていました。

なので、なので、はい、最初のトリセツ。すごーく悩みます。

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息子はとても繊細なので……と書くんですけれど、どのくらい繊細なのかをどう書いたらいいのか分からなかったし、文字数もそんなに与えられていないから、いや、英語でどう書いたらいいのか本当に今もわかりません。

ああ、いるいる、繊細な子ね。

で終わらないから。
そこに頑固がくっついていますから。
なまじ口が達者なので、多少の年上でも言いくるめますよ(さすがアメリカ人。そして早口ニューヨーカー)。

もっとこう、扱い安い子供が産まれてきて欲しかった、と何度も思ったことありますが、きっとわたしの元に産まれてきたということは、何かしら意味のあることなんだろうとスピリチュアル好きとしては考えてはいたけれど……

それでもここまで繊細で頑固だと、さすがに疲れます。

「あなたの息子は本当にセンシティブで、でもちゃんと合うか合わないかが5歳の頃から分かってて。彼の第六感的なものがバリバリアンテナが張っていたのかなって思うよ、今(2020年)思うと」
と、生後半年から息子を知っているママ友達の意見。


もう一度いいます。

わたしが過去から引きずってきている解決しなきゃいけない問題ってなんなんでしょーーーーーっ。


これ、一体いつまで続くのーーーーーーーーっ!?


頑張ったよ自分! 
頑張っているよ自分!


と、自分を励ましながら頑張っていた日々でした。

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2006年生まれのアメリカ人とのハーフの男の子のいるシングルマザーです。日々限界突破でNY生活中。息子の反抗期が終わって新しいことを息子と考えています。