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日記エッセイ『便座って、消耗品ですか?』#11(2022/6/7)

・豚汁のバラッドfeat.鮭フレークごはん

 昨日の晩飯はタイトルの通り鮭フレークごはんに豚汁、
体菜(たいな)のおひたしだった。母が体の弱い僕の代わりに
仕事をこなし、畑仕事をし、僕がときどき体調の良い日を見計らって
晩御飯などの炊事の支度をするというスタイルになった。

 俺が勝手に”自分が贈る両親のソウルフード認定”を出来るとしたら、
うちの親父へのソウルフードがカレーライス、
うちの母さんへのソウルフードは豚汁なのだ。

<父のカレーライスの話と掲載順が前後しますが、ご容赦ください。>

 ご飯を食べながらその日一日がどうだったかを振り返る。
絶好調な日もあれば、ほんとにイヤなことで埋め尽くされる日もあり、
まさに厭世の心持になる日もある。
それでも、食卓でだけは出来るだけ母や家族の気持ちに寄り添うごはんを、
と思いながら作っている。もちろん、母がごはんを作っているときも
おなじような心持だろう。

 僕はもはや若者、と呼ばれる時期を当に過ぎ、あっちゅう間に「おじさん」という部類の生き物になってしまったわけだが、年齢、細かく言うと、
時間の流れは本当に残酷だ…。あっ話がそれたね。
話を豚汁に戻そう。

 母の仕事上の悩みや、生活上の悩みを
父が聞いていてあげていたことで、母のどこか鬱々とした気持ちが
ガス抜きされていたのだが、父が二年前に病気で他界してからというもの、
母の、家族の心理的なガス抜きの循環はとたんにうまくいかなくなった。

 僕は父のようにうまく母のガス抜きをすることができない。
母が僕に負担をかけまいとしているのは理解できるのだけど、
僕も母も精神的に未成熟で極度の「ぶきっちょ」。
優しくしようとすればするほどトゲが出る。
ヤマアラシのジレンマとはちょーっと質が違うが、
まぁ似たようなものか。

今現在我々家族のガス抜きの潤滑油になっているのが、ごはん。
とりわけ明日につながる、晩御飯。
わが家は兎角食べ物にまつわる話に事欠かない。それらは少しずつ
書き溜めていきたいと思う。

テレビの録画を見ながら、
(お互い容量オーバーでイライラしている日を除いて)今日も僕は
父のまねごとをしながら、母の今日一日の喜怒哀楽に付き合う。

「今日の豚汁、しょっぱくなくて飲みやすいわ。
血圧にいいね。おいしい。今日豚汁にして良かった。」

こちらも気が付かぬうちに母に、
ココロのトゲを抜いてもらっているのだろうか。
そう思うとこちらも悪い気はしない。

今日も僕のお手製の弁当を持って職場に向かう母を見送った。
母のこころのとげぬきをもうすこしうまく出来たらなぁ。

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