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Großherzigkeit いつ何時も寛大なゴードンに癒される。

ポーランドとの国境の町ともお別れ。

この旅の一番の『山』を越えた達成感と安堵した気持ちとに包まれている。まだまだ旅の序盤で、後から『山』と呼べるものはあるのだが、気心知れたゴードンとの再会にとてつもない安心感に浸りながら彼の住むバールートへ向かう。


ひたすらに遅い単線列車に揺られひとまずベルリンに向かう。

ベルリンでの思い出は全くと言っていいほどない。私が修行を終え、母親が叔母とともに修行先に挨拶に来た時、ベルリン旅行をしたのだが全くと言っていいほど記憶に残っているものがない。唯一、強く印象に残っているのはベルリンへ向かう列車の中で相席を申し入れた初老の男性が実に愛想のなかったこと。

もはや愛想がないレベルではなく悪意さえ感じたのだった。

ベルリンへ向かうにつれバイエルンの雰囲気とはまるで違う人相や醸し出す性格、我々を何人だと思っているのかは分からないが足元から頭のてっぺんの隅々まで舐めまわすかの如くジロリと、ねったりと、ベオバハテン(beobachten:観察する)されたのだった。車窓から見えるどこか薄暗く物悲しい風景の中で。


ハッキリ言ってその様な印象しか私にはない。

旧東ドイツ的、極右的な思想の団体。そんな偏見しか私の中での印象はないのだ。


ただしゴードンは違った。


ゴードンとの出会いは、バイエルン州ランヅフートにあるマイスターシューレ(マイスターを育てる学校)だ。

ドイツの首都であるベルリンから程近いバールートで代々精肉店を営むゴードンが何故わざわざバイエルンまでマイスターを取得しにきたのか?

少し補足をさせてもらうが、ドイツの国家資格であるマイスターを取得するためには養成学校に通い試験を受ける必要がある。なにもバイエルンにだけその学校があるわけでは無い。沢山あるわけではないが一定数はある。

そして学校により通い方にも差がある。仕事を続けながら取得する方法や数カ月学校に籠って短期集中で取得する方法など様々。

バイエルン州ランヅフートのその養成学校は短期集中型。3か月程、言葉の通り缶詰めである。今でもぞっとするが前期・後期に分かれ、前期が終われば前期分の試験・合否発表、後期が終われば後期分の試験・合否発表といった形式だ。

そもそも予定通り進まなければ試験も何もない。取り敢えず最初の授業で膨大な前期分の全ての教科書&資料を渡される。予習しとけよ、という事だが短い休憩を挟みながら朝8時から夕方5時頃までみっちり絞られる。

8時から夕方5時は正規の始業終業時間で、先生方も焦れば焦るほど授業の進み具合が悪くなってくるわけで補修が当たり前になる。

不幸なことに我々の仕事は朝早い。そのため

『朝6時から補講する』

ということも日常茶飯事だったのだ。

お前らどのみち朝早くから仕事しているのだから6時なんて余裕だろう、という考えだろう。

そして夜の補講も8時9時。時には10時。。。いったい何時間学校に居るんだ?と呆れるほど学校に居た。

そしてそれから宿題・予習。。。当然完璧にこなせるはずがない!

それが月曜日から土曜日まで続くのだ。

残酷なことに前期のあとの前期分の試験で落第したとしてもそのまま後期に突入する。この時点で今期、マイスターを取得することは不可能であるにも関わらず、だ。いったい誰がそのようなテンションの中、後期に突入できるのだろう?この制度にも粘り強いゲルマン魂をみた。(落とした部分は後に講習を受け合格すれば良い。)

話しが少しだけ逸れたが、何故ゴードンはバイエルンのその学校を受講したのか?それはその学校の持つ歴史と関係している。

マイスターの証書は学校によって違う。どこで取得したのかが明らかなのだが、ランヅフートにあるマイスターシューレは世界最古の食肉学校と呼ばれ、この学校の証書が欲しいがために国境を越え世界中から、眼光鋭い職人たちが集結する。

『ここの証書を持っていたら世界中どこへ行っても働ける。』

とは下宿先で一緒だったスティーブが良く言っていた言葉だ。

実際にマイスターシューレに貼ってあった求人広告はアメリカやドバイなど世界中から募集があった。

ゴードンも『箔をつけたい』思いでバイエルンまで遠出したのだった。

私が知るところ日本人で食肉加工マイスターの称号を得た人は数人いるが、この学校の修了生として、私は日本人2人目(2番目)だ。

たまたまの縁で初めに取得した人物も知ることになった。それは彼が音頭をとって、その養成施設の日本校をつくる動きがあり、関係者が施設で働いていたのだ。


その夢物語のような壮大な計画とは全く関係のない日本人がひとり。

日本人ひとり、肉とは何も関係の無かった男が、文字通り泥まみれになりドイツ人社会で揉みくちゃにされながら修行を終え、この施設に来たという自負があり自然と私はドイツ人たちと一緒に居た。所謂、親が精肉店を営んでいてドイツに修行に来た、という話はよく聞くのだが、そんなものは全く何も持たない丸腰の私は当時はかなり尖っていたように思う。ドイツ人の中にだけ揉まれてきたというプライドが、負けたくないという強い思いを生んでいたのだ。

ただ最初に取得した人物とは日本に帰ってきてからもしばらく交流が続いた。

ある日、電話がなり、聞きたいことがあると。

某社(東海地区にお住まいならだれもが知っていると思う)知っているか?という話だった。その某社は農業生産法人と呼ぶべきだろうか(出来る限りあやふやにしたいと思う!)その加工部門の責任者の話だ。

彼がランヅフートの養成施設の週末講座に参加し写真を撮りまくってホームページに載せ、あたかも自分で作ったという表現をしていたというのだ。かなり怒っていた。

この学校は市民向けに週末講座を開催している。食肉のプロアマ問わずに通えるため人気の講座でもある。時間さえ合えば、その某社の責任者のように嘘の『箔』をつけることだって出来るのだ。


ただこれは可愛い事例。

私が出会ったのはその養成施設の修了者(当時は2人)がもう一人居たという事。現実的には1.5人目という到底、生物では不可能な修了者を発見した。関東にあるその店の店主も察するに同じように週末講座に通い当時の実技の講師ゲオルグ・シュミット氏との写真を撮り、マイスターを名乗っていた。

シュミット氏は私が修了したのち、ほどなくして定年を迎えるのだが、彼の授業を受けられたことは私にとってとてつもない幸福と共に誇りである。それほどの職人だった。この旅の途中、そのマイスターシューレに向かうため、その時にまた話題に挙げることとしよう。


ベルリンでの乗り換えは割とスムーズにいき、バールートへ向かっている。

ベルリンより少し南下するのだが都会の喧騒を逃れた小さな町だ。

列車の中でも特に変わったこともなくゴードンとの出会いを回想する。

一言で言えばとにかく優しい、おおらかな男だ。

そんなことを考えながらバールートに降り立つと、

『ゴードンいないじゃん』

どこを見渡してもゴードンがいない。。。

下車した人々が散り散りになる、その中からデッカイヤツが掻き分けてやってくる。
ン?
いや、皆が避けていくのか?


私もあまり見ないように視線をそらしていたのだが、どうやらその大きな人影はこっちに近づいている様である。。。


『タケヒロ~!』

不審者と思しきデッカイヤツは意外にも優しさにあふれた声で私の名前を呼んだ。

タケと呼べと、いつも言っているのに絶対にタケヒロとしか呼ばないヤツ。

それはお前の名前だから略すなんて自分には出来ない、という律儀??なヤツ。

久しぶりにゴードンワールドに引き込まれた!


※Großherzigkeit グロースヘルチヒカイト 寛大

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