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秋田銀線細工「矢留彫金工房」に行ってきました!

こんにちは。秋田県由利本荘市でごてんまりを作っています〈ゆりてまり〉です。

8/1(火)に秋田市にある矢留彫金工房さんにお邪魔してきました。
矢留彫金工房は、秋田県内でも珍しい銀線細工を専門に扱うお店です。


先日トークイベントでご一緒させていただいた副工房長の高橋さんと、同じく副工房長の小林さんにお話を伺うことができました。

銀線細工は、0.2mmくらいの純銀の細い線を2、3本撚(よ)り合わせるところから始まります。
撚り合わせた銀線をローラーで平らに押しつぶすと、側面に軽く縄目のような模様ができます。
そのごく小さな模様が、とても単一の金属線だけでなされているとは思われないほど、複雑で表情豊かな輝きを生み出します。
この撚り線(よりせん)をピンセットや指先でくるくると巻いて、渦巻き状のパーツを作ります。
このパーツのことを「平戸(ひらと)」と呼ぶそうです。
そしてやや太めの銀線で枠組みを作り、中に平戸を嵌め込んで、銀ロウで接着します。
この作業を繰り返して、花びらや葉などの造形を作っていくそうです。
金属は加工硬化(金属を叩くと硬くなる性質)により、手を加える毎に硬くなり扱いにくくなります。そのためできるだけ手早く仕上げることが重要なのだそうです。

矢留彫金工房には、平戸をふんだんに使った大振りのブローチもありましたが、シンプルなデザインで手に取りやすい価格のアクセサリーもありました。
5本の撚り線だけで作った「いちか」なども素敵です。


平戸を作ったり嵌め込んだりする作業も相当大変そうですが、いまでは溶接の技術を持った人がかなり少なくなってしまっているそうです。
銀線細工の溶接には銀ロウを使用します。
銀と銀を銀ロウで接合するわけですから、熱し過ぎたら全部溶けて形が崩れてしまいます。
それを0.2mmという極細の銀線に施すなんて、聞いているだけで気が遠くなりそうです。

「だからこそ、技術を絶やしたくないんです」とお二人は仰っていました。
「金工を全くやったことのない人は難しいですが、たとえば高校や大学で金属加工の基礎をやったことがあり、将来的に銀線細工をやりたいという学生さんがいたら、ぜひ教えたい」とのこと。
現在高橋さんは、母校の秋田公立美術大学附属高等学院で非常勤講師をされています。
若い人にも銀線細工の魅力が伝わり、「やってみたいです」という人が増えるといいですね。


秋田銀線細工のルーツについても伺ってみました。
しかしやはりよく分からないそうです。
秋田で銀線細工の店といえば、竹谷本店が有名です。
竹谷本店は天保元年(1830)に金銀細工店として創業しましたが、明治19年(1883)の久保田の大火事で資料が消失してしまったり、昭和15年7月7日にはいわゆる七・七禁止令が発令され、製造販売ができなくなったこともあるそうです。

小林さんは、銀線細工のルーツがよく分からない理由の一つに「昔の職人があまり語りたがらなかったところもあると思う」と話してくれました。
同じ職場で働く職人同士といえど、いずれは独立して商売敵になるおそれがあります。
そのため、昔の職人はあまり自分の仕事について語りたがらず、記録に残そうという動機が生まれにくかったのではないか、と仰っていました。
これはお二人から聞いた話ですが、工房長の松橋さんは、以前働いていたお店でほとんど「教えられる」ということがなかったそうです。

そこは親方を頂点としたピラミッド型の組織で、完全な男性社会でした。銀線細工を作る機関工程は全て男性の職人が行なっていたそうです。
女性は機関工程には一切触らず、補助作業を担っていました。
しかしあるとき、親方が「俺は辞める」と言い出します。すると男性の職人たちは、親方に追随して全員辞めてしまいました。

残された松橋さんたち女性の職人は、「このまま技術を絶やしてしまうのはもったいない」と考えたそうです。
彼女たちは機関工程には触らせてもらえませんでしたが、親方をはじめ男性の職人が作業するところをすぐそばで見ていました。
そこで記憶を頼りに、見よう見まねで銀線細工の技術を自分たちで復活させたそうです。
職人の世界は「見て覚える」と言いますが、実際にそれを体現されたわけですね。

現在、矢留彫金工房に所属する職人の方は全員女性です。
工房は違いますが、銀線細工の世界が男社会から女性社会へと急激にシフトチェンジしたお話を聞いているようで、大変興味深いと思いました。
女性の職人の方が、銀線細工の主力商品となっている女性向けのアクセサリーには、自分の感性を活かしやすいということもあるそうです。
なるほど…と思いました。

今回いろいろなお話を伺うことができて、本当に楽しかったです。
市立図書館である程度調べてからお話を伺ったのですが、お話を聞いてもっと調べてみたくなりました!
とくに、今日の銀線細工を実質的に支える基盤となった、戦後にできた工芸学校について調べてみたいと思いました。
また秋田市に行ったら調べてみようと思います。

◯参考文献
奥山淳志『岩手・秋田・青森 手のひらの仕事』平成16年 岩手日報社
『秋田市の文化財』平成13年 秋田市教育委員会
『秋田の宝・おらほの宝ーー地域の文化遺産発見ーー事業 お宝発見ハンドブック〜工芸技術編』平成19年 秋田県教育委員会
『秋田の民芸』昭和58年 秋田魁新報社
『平成十年度 学習講座 秋田の金属工芸』平成十一年 秋田市立赤れんが郷土館


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