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わたしはだれ?【超短編小説】

「うん、おいしくなりそう」

味つけ上手な娘さんは左手で小さくガッツポーズをした。

私は娘さんの手のひらサイズにおさまる、この丸くてつるんとしたボディが自慢。

これからもっとおいしくしてもらえるんだと思うと、ワクワクが止まらない。

娘さんは私を鍋の中にそっと沈めてふたを閉めた。


真っ暗闇の中、私に話しかけてくれたのは黒い煮汁さん。

「いらっしゃい、おじょうさん」

あたたかな黒い煮汁さんは優しく私のことを包み込んでくれた。

鍋の底に身体が触れ、この空間が私のことを受け入れてくれたのだとわかった。

ちょうど良いあたたかさの黒い煮汁さんはおちゃめな性格みたいで、ぷくぷくと小さな気泡を楽しげに踊らせている。

とても楽しそうだったから私もつられてウキウキした気持ちになった。

そんな気持ちを知ってか知らずか、黒い煮汁さんはリズミカルにぽこぽこと泡を生みだし、私のまわりでくるくるとステップを踏ませた。

ダンスのお誘いを断るなんて失礼よね。

私は自慢のキュートなボディで跳ねまわり、時間の許されるかぎり踊りつづけた。

だけど、だんだん身体がこわばってきたの。

「さむいわね」

「もう少しの辛抱だよ」

私が震えると、黒い煮汁さんは励ましてくれた。

でもあたたかかった黒い煮汁さんも、冷えて固まり始めていた。

脂のかたまりが私たちのまわりに漂っているもの。

「もうダメなのかしら」

「娘さんはきっとふたを開けてくれるはずだ。そうすれば君は美味しく食べてもらえる」

「あなたはどうなるの?」

「さぁ? それは娘さん次第だね」

ぐらりと私のからだが大きく動いた。

きっと持ち上げられたのね!

いよいよだわ!

さぁ、私を食べて!

さあ、さあ、さあ!

さあ、さあ!

さあ……

…………

 

「…………どうして?」

いまかいまかと待ちかまえているのに、私と黒い煮汁さんが光を目にすることはなかった。

そしてまた大きな揺れを感じた。

どこかへ移動させられている。

揺れがなくなると、今度はバタンと何かが閉まる音。

……

……………

…………………


どれくらい時間がたったのかしら。

黒い煮汁さんはもう返事をしてくれない。

冷えきって脂のかたまりになってしまったからだ。

「さよなら」

私も、ダメみたい。

私は冷たい身体を温めることができないから、そのまま眠りについてしまうだろう。

(娘さん、私はあなたに食べてもらいたかっただけなのよ)

ただそれだけを願っていたのに、叶わなかった。





「おはよう」

優しい声がして目覚めると、黒い煮汁さんが私の身体を温めてくれていた。

私は身体の芯から温まり、つるすべだったキュートなボディがさらに艶をましている。

何色にも染まっていなかった私のお肌は黒い煮汁さんとお揃いの色に染まった。

私は自分のボディを眺めてうれしくなった。

「まあ、素敵! なんて美味しそうなの!」

黒い煮汁さんも「とても美味しそうだ」と褒めてくれるものだから恥じらいのあまり中身が爆発しそうだったわ。

そしてついに、真っ暗だった世界に光がさしこんできた。

明るくなった頭上を見上げると期待に瞳を輝かせた娘さんの姿。

「やっと食べてもらえるのね」

「よかったね、これで君の望みは叶う」

ああ、だけど今度こそ本当にお別れだわ。

「短い間だったけど、とても楽しかったわ」

少しさみしいけれど私はとても幸せな気分だ。

だってもうすぐ最高の褒め言葉をもらえるはずだもの。

私はお玉ですくわれて、暗闇の世界から外に連れだされる。

「さようなら、黒い煮汁さん。あなたと過ごした暗闇の中はとても楽しい時間だったわ」

「さようなら、まんまるボディの愛らしいおじょうさん。まっさらだった君を同じ色に染めることができて誇らしかったよ」

私と黒い煮汁さんは笑顔でさよならをした。

ついに私はお皿の上。

娘さんは私の身体をお箸で優しく持ち上げて、大きな口を開けてぱくり。

「んん〜っ! 美味しい!!」

娘さんが上手に味付けしてくれたおかげで、私はただの白くて平凡な茹で卵から人気物の味玉に変身できたの。

美味しいものになって笑顔で食べてもらえる。

私はとても幸福な最後を迎えられた果報者なの。

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