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言葉の枠組みを壊す

あなたに書きたい脚本があって、それがあなたの介入できない理由で実現不可の場合どうしますか? 例えば、和服を纏った女性を登場させたい。→装飾の技術がないから難しい。雨や雪を降らしたい→舞台装置的に無理だ。中世ヨーロッパの世界観にしよう→小道具や大道具の予算がない。小さな女の子を登場させたい→部員は高校生・大学生しかいない。エトセトラエトセトラ。

先ほどの質問に戻ります。あなたに書きたい脚本があって、それがあなたの介入できない理由で実現不可の場合どうしますか? 答えは、書いちゃえばいいんです。舞台の広さ、予算、装置、人数、多くの制約があなたの「書きたいもの」を拒みます。でも、それはすごくもったいないなって。

ノミはひっくり返したコップの中に入れておくと、いくら飛んでも頭をぶつけて外に出ることができない。やがてノミはコップを外しても元の高さほど飛べなくなってしまう。自分の限界を誰かに刷り込まれたからだ。本当はもっと高く飛べるのに。実はもっとポテンシャルを秘めているのに。誰かの限界を、誰かが勝手に決めつけてしまう。脚本だって同じです。制限のある物語ばかり書いていたら、いざ自由に書いていいとなったときに飛べなくなってしまう。

もちろん、与えられた条件で書くのも大切だし、求められる物語を書き上げるのはそれはそれでスキルが必要だけど、まずは書きたいものを書く。脚本の楽しさや奥深さを知った上で、制限のある脚本を書けばいいんだと思います。

って、たまに高校生で脚本を書いている子から質問を受ける。その度に私は「書いちゃえばいいんです」と答える。的外れな回答なのかもしれないけど、私の役割は的を用意すること。的を射貫くかどうかは結局その人自身なので。

伊坂幸太朗の『砂漠』にこんな文章があります。

「目の前で、子供が泣いてるとしますよね。銃で誰かに撃たれそうだとしますよね。その時に、正義とは何だろう、とか考えてどうするんですか? 助けちゃえばいいんですよ」

それと同じだ。目の前に書きたいテーマがあったとする。そんなの面白くないと自分の感性に銃口を突きつけたとする。そのときに、世間一般での面白さなんて考えてどうするんですか。書いちゃえばいいんですよ。

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改めまして、秋助です。主にnoteでは小説、脚本、ツイノベ、短歌、エッセイを記事にしています。同人音声やフリーゲームのシナリオ、オリジナル小説や脚本の執筆依頼はこちらでお願いします→https://profile.coconala.com/users/1646652