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#創作大賞感想『まがり角のウェンディ』 

『まがり角のウェンディ』は、五条紀夫さんがプロットを、霜月透子さんが執筆を担当された、お二人合作の物語です。
もうタイトルからして、期待しかありません。

霜月透子さんの文章に初めて触れたのは、遡ること5年前。2019年の『第16回坊っちゃん文学賞』の佳作を受賞された『レトルト彼』でした。
以来同賞を中心に何作も読ませていただき、個人的な話で恐縮ですが、先の文学フリマ東京38では、お隣のブースに座らせていただく機会にも恵まれました。

そして皆さまよくご存じのとおり、昨年の創作大賞にて『新潮文庫nex賞』を受賞された『祈願成就』がこのほど刊行。オリジナルは公開当時に一気に読み進めたのですが、今回発売された改稿版のあまりに恐ろしげな装丁に、ホラーが超絶苦手の秋しばは、いまだページを開く勇気が湧いてこないのであります。

「あの……そのハナシ、何か関係ある?」

ええ、おっしゃることは判ります。でもですね。私がそこまで恐がる理由は、決してホラーが苦手、ということだけではないのです。
では何が問題なのか。

それはですね。

霜月さんの文章というのは、とにかく「筆の力が強い」のです。

先に挙げた『レトルト彼』のようなコメディでも。
『祈願成就』のような、トラウマ級と称されるホラーでも。
(まだ読んでないですけど、でもたぶん間違いなく)
そしてこの『まがり角のウェンディ』も、です。

「筆の力が強い」というのは、ちょっと抽象的かつ都合のいい言葉かもしれません。文学賞の講評なんかで「筆力がある」ってよく見かける言葉ですよね。
でもそれとは少し違う気がするんです。

霜月さんの作品を知ったばかりの頃、私は彼女の筆によって織りなされる、しんとした透明感のある幻想的な世界に強く憧れ、引き込まれました。(『レトルト彼』はちょっと傾向が違いますが、こちらもまた別の意味で名作です)
ですが、いくつも彼女の作品を読むうちに、ひとつ気づいたことがあります。

霜月さんの書く小説は、地文が強い。

note の世界に暮らす方なら、その意味はお判りでしょう。
小説は原則「地の文」と「会話」によって成り立っています。霜月さんの文章は、会話は元よりこの地文が素晴らしく美しく、かつとてつもない力を秘めているのです。「筆の力が強い」と私が感じるのは、この点が非常に大きく関与しているように思えます。

私事で恐縮ですが、私はふだん小説を書く時、この地文というものがひどくひどく苦手です。会話を書くのはさほど苦労しないのですが、そのベースたる地の文の部分に差し掛かると、ぴたりとキーボードを叩く指の動きが止まります(そして集中力が殺がれ、すぐに別ごとをやり出します)。
だから地文の素敵な小説を見ると、憧れと羨望で脱力してしまうんですね。

でも憧れてばかりじゃ自分の書く力は上がりません。どこかのスーパースターをお手本に「(今日だけは)憧れるのをやめましょう」と呟いて、いろいろ考えを巡らせてみることにします。

さて地の文というのは、ざっくり分けるとこんな感じではないでしょうか。

① 事実描写(=○○はまだ日が昇り切らない時刻に家を出た)
② 人物描写(=その顔にはまだうっすら寝惚けの気配が貼りついている)
③ 感情描写(=なぜ自分だけが、と思うとどうにもやるせない)
④ 情景描写(=その気持ちを逆撫でするがごとくに、雀の囀りがひときわ賑やかに響く)

例文は秋田が適当に書きました。霜月さんの文章とは関係ありませんのでご承知おきください。

霜月さんの場合、この④の情景描写が突出して美しい。私はいつもその文字の並びから浮き上がる鮮明な光景を想像して、うっとりとしてしまいます。
(もちろんその他の描写も優れているのは言うまでもありません)

この『まがり角のウェンディ』では、その卓抜した描写力が余すことなく駆使され、読む人を一瞬で物語の世界に引き込んでいきます。
いかにも雰囲気醸し出す系の単語が出てくるわけでもなく、比較的平易な言葉で書かれているにもかかわらず、川原を吹き渡る風の爽やかさが、高校生の瑞々しい感情の揺れが、疲れた中年男の胸に迫るような悲哀が、束になって画面から溢れ出てきます。
光も音も温度も手触りも、何もかもが目の前で起きているかのごとくに。

その屋台骨となるのが、五条紀夫さんが担われた複雑な構成です。
単なる起承転結、どんでん返しというレベルではなく「あれがこれと、これがあれと」と絡み合い、繋ぎ合わされていき、まるでトランプの神経衰弱の終盤で残りのカードが一気に組み合わせれていくような圧倒感でした。
(ひどい例えですみません)


一見自然に見えて実は緻密な構成と、それを存分に表現できる文章力によって成された世界に魅了され、私は自分の原稿の締切に追われながらも、この連載だけは毎回公開を追わずにいられませんでした。
物語が終末を迎えた時、思わず大きく唸ってしまいましたね。

「これは……勝てんわ……」

創作が、勝敗を競うものでないことはよく判っています。だから「勝てない」という言葉は、あまり適切ではないのかもしれません。
ただその一方で、到底かなわない「何か」を他者(あるいは他作)に感じる経験は、きっと書き手なら誰しも覚えがあることと思います。

それと同時に、こうした優れた物語に出合うということは、己の書く意思を鼓舞するものでもあると思うのです。決して華々しくはなくともじわじわと、でも確実に。それはきっと読み手としても書き手としても、とても幸せなことではないでしょうか。


そして本作と同じく、力と勢いのある文章で書かれたであろう『祈願成就』を読んだらきっと……というのが、目下の私の差し迫った悩みであることを、ここに申し添えておきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(了)


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