見出し画像

チームか個人の判断のどちらを優先するか?

チームスポーツでは、いかにチームメイトと連携したプレーができるか?が重要である。そのため、セットプレーを決めておいたり、お約束の動きを決めておいたりして、チームのメンバーが連動する。
一方で、バスケは状況判断のスポーツだと言われる。バスケだけでなく、サッカーやラグビーなどの陣取りのフィードスポーツはプレーが連続していくので、個人の状況判断が大きなウェイト占める。
監督の関与度もスポーツによって異なる。野球やアメリカンフットボールは投球ごとにプレーが停止するので、監督が指示できることが多いし、監督の指示に従っていくことが求められるチームスポーツとも言える。一方で、バスケットボールは、シュートが入ってもタイマーは止まらず、プレーが続行するスポーツなので、野球と比べると監督の指示の影響度は限定され、選手の判断に委ねられること多い。
この「チームの約束」や「監督の指示」と「個人の状況判断」が、時には相反することがある。選手がプレー中にとっさに判断して行動したプレーが、うまくいってチームに貢献するケースもあれば、折角のチャンスを台無しにすることもあり得る。例えば、ディフェンス中にスティールに飛び出してカットできれば得点に繋がるが、飛び出してカットできずに抜かれると、4対5になって、そのズレで失点につながることもある。
難しいのは、結果の良し悪しは後からしか評価できない点だ。プレーの瞬間では、チームの約束が優先なのか?個人の状況判断が優先なのか?は分からない。選手本人が「失敗しない」と確信を持っていても想定外は起こりうるのでギャンブルな側面はなくならない。その不確実さがスポーツの面白さでもあり、チームを優先するか?個人の判断を優先するか?の議論は、チームスポーツにとって、議論が尽きないテーマの1つと思う。

星野くんの二塁打

小学校6年生の道徳の教科書に掲載されていた『星野君の二塁打』という教材が、2024年度から採用されなくなるというニュースが話題になった。YouTubeでも話題になっていたので調べてみてほしい。「星野くんの二塁打」は、簡単に書くと以下の内容である。

大会出場をかけた野球の試合でバントを命じられた少年が、指示に従わずにヒットを打ってチームを勝利に導いた。しかし、後日少年は監督から指示に背いたことをとがめられ謹慎(試合出場禁止)を言い渡される、という内容である。

出典:Wikipedia

採用当初、この教材を使って指導される道徳の内容は「自己犠牲」や「規則の尊重」だったようだ。しかし、野球のルールを知っている子が減ったり、指導者のあり方など時代背景に合わなくなったりする理由があり、教科書から消えることになったと聞く。
しかし、チームスポーツにおける、チームの考え方と選手個人の考え方の難しさを上手く表現した作品である。プレー中の個別判断は選手に任せられる面があるし、チームの方針はコーチの権威だけでなく、チームの約束という面もある。結果が良ければ全て良しなのか?星野くんは賞賛されるべきか?批判されるべきか?はどちらの意見も正しい。改めて考えると、チームスポーツを指導する上で、チームの中で議論すべきテーマと思った。

「当事者意識」を引き上げる

私のミニバスチームのチームミーティングで『星野くんの二塁打』を扱って、皆で議論してみた。まずは子供達に「この話を聞いてどう思ったか?」という感想を聞いた。賛否両論あることなので、他人の意見に左右されないように、まずは個人の意見を考える時間を取り、それを付箋紙に書いてもらい、全員に発表してもらった。出発点として、まずチーム内でも多様な考えがあることを認識するためだ。

「星野くんは監督の指示に従うべき」「勝ったからどちらでも良い」「チームで決めたことなのに星野くんは自分勝手」「勝ったから良かったけど、、、」「星野くんは活躍したのに出場停止は可哀想」「監督が厳し過ぎる」「星野くんのが失敗して負けていたら最悪」「自分ならバントしたと思う」「僕がならホームラン!」「野球のルールが分からない」など、肯定と否定のさまざまな意見がでてきた。物語の感想なので、全て「なるほどね」「それもあるね」と言って受け止め、チームで皆の多様な意見を確認した。

意図的に、最初の質問は、単に「星野くんの二塁打」というお話に対する感想に留めた。感想ならば誰でも一言は発せられる。チームの皆が当事者意識をもって会話に参加する姿勢や空気を作ることを狙った。更に、当事者として考えるために、自分に置き換える質問を1つずつしてみた。

「自分でイケる!って判断して、勝手なプレーしたことあるか?」と自分の経験について聞いてみた。ほぼ全ての子が「ある」と答えた。この質問によって、星野くん限らず、バスケットボールでも、誰にでもありえる話であることを皆で確認した。
次に、「その自己判断したプレーは全て成功したか?」を質問した。ほぼ全ての子は「全ては成功していない」という答えだった。もちろん「俺は全て成功している」と言い張る子もいるかもしれないが、全ての結果が思い通りにならないこともある。ということをチームと大半で確認できた。

何かの話を引き合いに出す時は、できるだけ自分達にとってリアリティのある話に紐付けるのが良い。コーチが、子供達にリアリティがない話をしても集中力がもたない。小中学生の集中力、想像力、認知力にばらつきがあるので、「自分ごと化」させて当事者意識を持たさせることは重要である。例えば、ワールドカップで日本代表選手のプレーを引き合いに出した後に、ミニバスでも同じようなシーンも伝えてイメージさせるのが良い。そうすると、子供達は話を聞こうという姿勢になり、「やってみよう!」という気になる。

複雑な問題をいきなり解かない

最終的に「星野くんの二塁打」と同様なシチュエーションにおいて、自分達のチームは「どうすべきか?」という考えを明らかにしておきたい。「チームの約束」や「監督の指示」と「個人の状況判断」のどちらを優先するのが重要なのか?をというチームの方針を明確にしておきたい。
しかし、すぐに「どうすべきか?」という結論に近い議論を始めることは効果的ではない。この問題は、こういう状況ならば星野くんの判断に賛成。こういう状況では星野くんに問題がある。と、状況によって評価が変わってしまう複雑な問題である。それぞれが想像しているシーンが異なり、シーンが異なれば評価や感想が変わることがある。丁寧に共通認識を整理して確認しながら、議論を整理して進めるのが良い。

試しに「チームの誰かが自分で判断したプレーをして、失敗したら、どう思うか?」という質問をした。「大事な試合ならば許せない」「自分もやるし、仕方がない」「やってみないと分からない」「何すんだーと思う。」という意見が出た。案の定、チーム内で意見が分かれた。どの意見も正しい。
意見が分かれるケースで多数決で決めることがある。しかし、それぞれが正しい意見の対立で、多数決でチームの方針を決めてしまうと納得感は高まらない。もちろん全員が納得いく方針が決まらないかもしれない問題もあるが、より高い納得感を目指すべきである。複雑な状態の問題にいきなり飛びつかず、そ 複雑な問題を細かく分けたり、条件となる状況を分けて議論すると良い。シチュエーションの変数が減ると問題がシンプルになり、議論しやすくなることが多い。ヒントは「解像度」を上げて問題を整理することだ。

「解像度」を上げて分岐点を探す

ビジネスでも「解像度を上げる」という言葉が使われる。解像度とは、画像の最小単位で画素と呼ばれ、画素が小さいほど解像度が高く鮮明な画像になる。例えば、モザイクが掛かっている画像は画素が粗くぼやけて見えたり、そもそと見えなかったりする。画素を小さくしてモザイクを薄くしていくと、より細かく、くっきりと実像が見えてくる。スポーツ番組を4Kなど高解像度で見ると、選手の汗や小さな表情の差も見えてくる。この4Kとは画面における画素数の多さを示している。

新規事業開発やマーケティングにおいて、顧客の「解像度」を上げると表現することがある。例えば、女性向けの商品を開発したが、購入してくれる女性と購入してくれない女性がいることが分かった。これは顧客を「女性」という解像度捉えていては、精度が粗いということである。「女性」という顧客を年齢やエリアで区切ることで解像度が上がり、売れる顧客を特定しやすくなる。ライフスタイル・家族構成・所得などで細かく解像度を分けていくと、更に、アピールすべき顧客像がくっきりしてくる。
異なる例を出すと、2人のチームメイトが、方針で意見が分かれている対立しているとする。この時、それぞれの意見を聞いて「まぁ、お互いに仲良くしようよ」と声を掛けても何も解決しない。対立の解像度を上げると解決することが多い。多くの意見の対立は表面の問題であり、それぞれが意見を持つために、事実認識がある。事実は共通なはずだが、それをどう評価・認識するか?に個人の違いが現れる。テストの点も営業成績も事実は一緒なのだが、親子で評価が違うかもしれないし。上司部下でも認識が違うかもしれない。その評価・認識後の違いで「もっと一生懸命やるべき!」「まだ余裕がある」と対立し合っても意味がない。決して相互理解も解決も向かわない。

話を「星野くんの二塁打」のチームミーティングに戻して、解像度の上げ方の事例を示す。
次にした質問は「1度失敗した子が2回連続で失敗したらどう思うか?」だ。すると、先の質問で寛大だった子の一部が「2解連続は良くない」と意見を変え始めた。もちろん「2回ぐらいあるでしょう」という子もいた。次に「では、3回連続で、自分の判断でプレーして失敗したら?」と聞くと、ほとんどの子から「それはないなー」「自分勝手」「良くない」「注意する」という厳しい意見が出てきた。どうも私のチームでは、3回連続の失敗は許容されないようだ。こうやって頻度や連続性で対立の解像度が上がった。
「練習試合だったら、ありかな? 重要な大会だとどうかな?」と聞いてみた。頻度や連続性とは違う切り口である。「大会ならば、自己中プレーは1回までかな?」なんて意見が出てきた。こうやって解像度を上げていくと、対立の分岐点や、チームの共通認識が見えてくる。

チームの共通理解を作る

スポーツでは「チームの約束」や「監督の指示」がある。絶対ではないが、それは重要なチームの共通理解である。しかし、スポーツは状況判断の連続であり、プレイヤー個人がチャンスと判断してプレーをすることも重要であり、それで勝敗が変わることがある。チームの共通理解を守らなければならないが、個人の判断も尊重されるべきてあり、チームスポーツでは重要な論点だと思う。

私のチームでは、2回までの失敗はOK。3回目は良くない。とか。ディフェンスのスティールは「星野君の二塁打」で考えて絶対に成功すると確信した時だけ狙って、それ以外は無理をしないディフェンスをする。などを決めた。また、個人別でも使い分けることがある。杓子定規でプレーをしたり、消極的な選手には「もっと星野君のように二塁打を狙うほうが良い」とかのアドバイスを仕分けている。

私のチーム内では「星野君の二塁打」という話は共通認識になっている。道徳の教科書として、時代の変化の中で非掲載になってしまった。しかし、画一的な「自己犠牲」や「規則の尊重」だけに留まらず、幅広い考えを理解して、チームの共通理解を議論するきっかけとして使えれば、素晴らしい教材だと私は思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?