見出し画像

人と組織.10-大局的観点に立脚した政策の提示がリーダーの役割

先日、自民党総裁選の実施が決まったが、多分、多くの国民がリーダーに望むことは、日本のリーダーとしてこの国をこれから先、「どのような国にしたい」と考えているのか、そのための課題は何か」といった主張や見解を知りたいのである。

「統合型リゾートがどうだとか」「カジノがどうだ」といったミクロのテーマではなく、リーダーといわれる立場の人たちに望むのは、もっと大局的なレベルの考えである。

人口減少と高齢化、潜在成長率が低下している日本という国をこの先、一体どうしていくのか、といった次元での考え方を総裁候補者といわれる人たちに問い、それに対して候補者が、自らの考えを発信していくといったレベルの場が必要なのではないだろうか?

何故ならば、世界中で、日本が現在、置かれている立場やポジションは、決して安心できるものではない。

「これから10年先には、グローバル市場に、日本企業は、全くいなくなるのでないだろうか」ということで激論が交わされたという有名な話がある。

客観的に分析してみればある意味でまっとうな見方かもしれない。

個々の企業は、ともかく全体としては、長期低迷が続いているからである。

日本を除く主要国の株価指数が30年間で大幅に上昇したのとは対照的である。

時価総額でも1990年には、世界の時価総額の上位に、日本企業が数多く並んでいたが、今やトヨタ自動車だけとなってしまった。

日米の企業格差もかなり拡大してしまい、その上、中国企業と日本企業の格差は拡大するばかりである。

さらに、稼ぐ力を象徴する1人当たりのGDPおいても、日本は2000年の世界2位から2010年には18位、2020年には23位となり、アジアでもシンガポール、香港の後塵を拝するに至っている。

また、世界競争力ランキングでも、1989年には、日本は世界1位と自動車、家電が世界をリードし、日本的経営が称賛されていたが、2000年以降は、これも世界で20位台が定着してしまった。

日本企業の存在感が大きく低下し、残念ながら、世界をリードする企業は、ごくわずかである。

米国では、アマゾン、フェイスブック、アップル、グーグル、中国では、アリババ、テンセント等の若いネット企業が急成長している。

日本でもソフトバンクやファーストリテイリング等は、健闘しているもののそうした新たな成長企業の数や時価総額の増え方等をみても、日本は大きく見劣りしている。

第二次世界対戦以降も一貫して評価の高かった日本経済も、平成の時代以降、その輝きを失ってしまった。

ネットビジネスの出遅れ、土台である日本経済の低迷、規制緩和の鈍さ、経営者マインドの保守性、語学力も含めたグローバル人材の不足等、その背景には様々な要因がある。

その一つの要因として考えられるのが、政治でも経済でも、ビジネスにおいても、非常に多いパターンが、リーダーといわれる人たちの判断や意思決定にあるように思われる。

ある判断や意思決定が成功していたというのは、その時の前提(環境)に、その判断や意思決定がフィットしていたからであろう。

かって、成功した判断や意思決定というのは、かっての環境、かっての前提の上で有効であったものである。

然しながら、日本のリーダーの判断・意思決定で多いパターンは、初戦で成功した成功パターンのコピーを全ての状況に展開しようとして失敗するというものである。

初戦での成功、それは、本来は、あくまでも部分的にしか過ぎない成功パターンであるにもかかわらず、成功した条件や適用すべき範囲が本来は、狭いにもかかわらず、うまくいった戦略ややり方を全面的に展開しようとする。

これは、「自分は、誰よりもよく知っている」という成功からくる過信、それが、例えば、この変化は一時的なのもので、大したことはない等、目の前で起きていることを無視したり、危機発生のリスクを過小評価したりする。

結果、それが緩い判断につながっていくように思える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?