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人と組織.7-変わらないパラダイム

これからの環境変化がもたらすものは、枚挙にいとまがないが、例としてここに幾つか挙げてみる。

・自動車というものは、形が変わってもなくなることはない。

しかし、自動運転や電気自動車になると、それを提供するのは、トヨタをはじめとした従来の自動車メーカーであるという必然性がなくなってきている。(テスラモーターズ、或いはアップルかもしれない。)

・金融業はなくならないし、経済の高度化に伴ってますますその必然性は増す。

しかし、その担い手が従来の銀行であるという必然性がなくなってきている。

・消費者に商品を提供する、届けるというサービスはなくならない。

しかし、その担い手が百貨店やスーパーといった従来型の小売業であるという必然性はなくなりつつある。

・病気を治す薬はなくならない。

しかし、それを開発して提供するのは、これまでの製薬会社であるという必然性はなくなりつつある。

  . . .

といったような大きな環境変化の中にいるにもかかわらず、日本企業の人たちは、未だに新しい潮流に積極的に対応しようとする意識が低い。

例えば、会社側から、「研修を受講するために行ってこい」と言われたら、大方の日本の企業人は、この種の勉強会に非常に後ろ向きである。

特に、部長以上の経営幹部と言われる人たちは、どこかで「自分はもう完成された人間である。従って、研修とか教育なんて受講する必要はない」と思っている人たちが非常に多い。

然しながら、私には、ただ、頭が固くなってしまって、自分ではなんでも分かっていると思い込んで、独りよがりになっているおっさん達にしか見えない。

この勘違いこそが、本人自身とその部下達にとって不幸の始まりなのである。

自分が成長することについて、「その必要はない。」と思ったらその人はそれで終わりである。

勉強とか教育とかに限らず、「新しい知識を得ること」、「新しい人間関係を築くこと」、或いは、「未知のことに対しての好奇心」を失うと、このような勘違いが始まるのである。

もうひとつ、組織において何をもってして当たり前とするかは、そのリーダーの心構えとして、とても重要な課題である。

知識や考え方というのは、体重と同じで「つける」ことは、比較的簡単であるが、「見直す」「減らす」ということは、非常に難しいことである。

そういう意味で、経営改革でも企業風土改革でも、人材育成でも、まず、必要なことは、意識の改革ではないだろうか。

意識の改革とは、何か新しいものを持ってきて付け加えるのではなく、我々の頭の中に深くしみこんで、無意識のうちに当たり前となっている考え方を取り除くことではないだろうかと考える。

例えば、マネジメントにおいても、部下が当たり前としていることを壊していくということ。

そうした、面倒でストレスがたまる仕事をやり続けられるエネルギー、粘り強さ、辛抱強さ等が、変革するためには、リーダーという職責の人たちに不可欠なのではないだろうか。

部下の当たり前とリーダーの当たり前が同じレベルでは、話にならない。

ほとんどの場合、失敗するのは、知識が不足しているからではない。

もしそうなら、歴史のある大企業が、新規参入する若くて小さな企業に負けることなど決してない。

歴史ある大企業の人たちの方が、その事業に関わる経験や知識は、間違いなく豊富だからである。

然しながら、現実は若くて小さな新規参入企業に負けるケースが多い。

ひきんな例でいうと、アパレル業界のファーストリテイリング。

今から26年前の1994年には、その売り上げも490億円程度で業界の30位にも入っていなかった企業が今や、売り上げ高、約2兆2000億(海外売上6割以上)、営業利益、約2500億。

その一方、1994当時、業界トップであったレナウンは、中国企業の傘下入ったものの2020年5月に経営破綻。

1994年当時、業界のトップのトップ3にあった企業は、いずれも破綻か衰退の道をたどっている。

何故か、その理由は色々あろうが、本質的には、原理原則を忘れ、見えているつもり、分かっているつもりになって、「自社や外部環境への観察を怠って、低いレベルの当たり前」に安住し、「この業界はそんなものじゃない」、「大した経験のない外の人間に何が分かるか」等等。

リーダーの分かったつもりがもたらすリスクが非常に大きい。

企業組織の限界というのは、そこのリーダーの限界。

言い換えれば、リーダーの限界が組織の限界といえるのではないだろうか。


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