見出し画像

「取締役」になることで起こる変化に関するリフレクション:心構え的なところ

株式会社ゆめみにて「チャレンジ取締役」という制度を利用して、デザイン領域担当の取締役を初めて2年以上の時が過ぎました。現在3年目を突き進んでいる最中です。

ゆめみに入社してからもうすぐまる3年となる中で、ここらへんで少しいろんな目線からこれまでの活動を整理したいと思っています。

文句を垂れる相手はいない、でも頼れる仲間はいる

通常の企業組織において「取締役」の役割は、数多くありますが、調べてみると以下のように端的に書かれています。

定款に定められた事業目的を遂行する上での舵(かじ)取り

https://biz.moneyforward.com/establish/basic/230/

定款とは、会社のルールや情報、事業の目的などをまとめたものになりますが、取締役を担うからには、とにかく会社として目指すべき姿を示し、そこに向かってきちんと推進することができているかを常に確認していく必要があります。

ゆめみは、上司や部下という関係性がないフラットな組織です。社内の取締役が所属するチームは「Board」もとい「Broad」という名称が与えられており、会社全体を広い視野を持って観察し、道筋を示すチームとして役割を担っています。道筋は示すけど、別に部下がいるわけではないので、命令・指示ではなく、さまざまなメンバーと対話を重ねながら、理解や解釈の輪を広げ、物事を推進していく必要があります。

とはいえ、社内において「取締役」という肩書きを持つことによって、その肩書きが持つ社会的、法的、文化的アフォーダンスが、各メンバーによって発見され、ゆめみの方針の出所に所属するメンバーとして認識されます。それ自体は、事実であり、任期が長くなればそれだけその認知は広がります。

通常ひとりの一般社員の場合、会社の方針に口を挟み意見を反映させることは、実質的に社内で超えなければならないハードルというものがあります。一方で、ゆめみでは、「プロリク」「全員CEO制度」を利用できるので、肩書きなんてなくても一人ひとりが組織に変化を加えることはできます。しかし、効率的な組織運営として求められる振る舞いや企業組織内における肩書きが持つ社会的なアフォーダンスが与える影響に着目すると、行動に差は出てきます。そして、取締役という肩書きがある以上、会社に文句があれば、経営会議や取締役会で質問し、伝えることも他のメンバーと比較すると圧倒的にし易いです。つまり、そういった場で何も言わないということは、納得し定められた方針の実現を推進する準備があるということになるわけです。そういう意味で文句を垂れる相手はいません。

一方で、頼れる仲間は多くいます。それは、会社の成長を実現するために、さまざまな可能性を広い視野で試行錯誤するBroadチームのメンバーや、全体方針を参照しながら、それを実現するために自らの持つスキルや経験を最大限活用してサポートしてくれる職能グループ(私の場合、デザイングループ)のメンバーです。もちろんさまざまなところでモヤモヤしたり、バチバチしたりすることもあります。それらは、フラットで、個人の志向性が尊重されるからこその結果だと思います。

佐藤典司さんと八重樫文さんによる『デザインマネジメント論のビジョン』という書籍の中で、「組織アイデンティフィケーション」という考え方が紹介されました。この考え方には、狭い定義と広い定義の2つがあります。

個人が組織のメンバーの一人であると認知していることやそのメンバーであることに価値を感じていること

デザインマネジメント論のビジョン、p.136

組織の価値観やゴールを個人のものと一致させていることや組織の特徴を共有していること

デザインマネジメント論のビジョン、p.136

つまり、ゆめみのメンバーであることに価値を感じていること、そして、さらにゆめみという組織が志向する価値観やゴールに共感していることと言い換えることができます。

はっきり言って、ゆめみとそれぞれのメンバーごとの組織アイデンティフィケーションの強度は、非常にユニークで多様性があります。ライフステージもバラバラです。一方で、そんなメンバー各人が、個々の属人性を発揮し、かつ、効果的で効率的な組織として機能できる環境を自ら作り上げることを前提として約束しているからこそ、「頼れる」と感じるのだと思います(取り組んでいることは非常に地道ですが笑)。

マッチョ思考が加速する、そして成長する

いつかのBroadチームの定例の中で「僕自身は意外と思考がマッチョである」という話をしました。それは今、「マッチョ思考」というSlackの絵文字に変化しています。

「マッチョ思考」の絵文字

これは、全ての人に起こるものではないと思いますが、少なくとも私自身の体験としては、マッチョ思考が加速しました。

マッチョ思考というと「体育会系」や「パワハラ」などを想起させてしまうかもしれません。しかし、実態としては「なんでもやるぞ」「もう少しできる」「たぶん大丈夫」という前向きかつ楽観的なマインドセットが、後ろ向きかつ悲観的なマインドセットよりも先行する個人の精神状態を指します。

以前は「デザイナーとして関わることは、〇〇から〇〇まで」といった自らの職能に紐づいた領域で素早く線引きをしていた傾向がありました。今は、「ゆめみという事業を成長させるために自らができることは無限にあるぞ」という思考が日々の振る舞いを定義しています。これは専門性を否定しているわけではなく、専門性と専門性の間にある隙間を積極的に拾いにいきながら、全体の生産性を高める試行錯誤を繰り返すということを意味しています。ビジネスをやることと専門家であるということは、単純に全く違う仕事であるという気づきだと言い換えることができるかもしれません。

つまり、現状、クライアントワークをやっているときにはデザインの専門家としての側面を発揮して、ゆめみという事業に向き合っているときにはビジネスを成功させるためのある種の起業家的な側面を発揮していると言えます。マーケティング、ブランディング、営業、採用、育成、運用など企業活動の全てに関わることになんの違和感も覚えません。いろんな領域を超えて関わることで、自分の得意や不得が見えてきて、自分ではない他の人に任せるべきことというのも見えてきます。結果として、広い視野から組織全体の生産性を高めつつ、自らの成長も最大化することができていると感じます。

「全く無理をしたことはなかったか?」と言われるとそんなことはありません。今までナンセンスと考えていたことにイエスと答え、自分の能力以上のタスクを抱え、成果を目指そうと長時間働くこともありました。スクラムで言うところの「ベロシティ」を無視した状態だったと思います。そうすると働き方はだんだんブラックになります。一方で、そうすることではじめて自分の現在の限界値を理解することにも繋がりました。そこからは、少しずつ本物のマッチョになるために、知識を吸収し、場数を踏み、経験を身体化していく作業です。最近ようやく自分の働きも含めた効果・効率により意識を張り巡らせることができるようになったと感じています。自分の中のマッチョ思考と実際のマッチョ性が均衡してきた状態と言い換えることができると思います。この繰り返しをゆめみの中で最大化できる制度こそ、チャレンジ取締役制度と言っても過言ではないと思います(※身体の筋肉は付きません)。

ギバーであり続ける、ただし戦略的に

「ギブ&テイク」と言う言葉があります。これは、自分が相手に何かをしてあげた場合、相手からも何か同価値程度のものやことを交換してもらえるという考え方です。アダム・グランドさんによって書かれた『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』によれば、世の中には次の3種類の人間がいるそうです。

  1. ギバー:与える(25%)

  2. テイカー:奪う(19%)

  3. マッチャー:与えたらお返しが欲しい(56%)

世の中的には、3つ目の「マッチャー」の特性を持つ人が最も多いらしいということがわかります。「他の組織でも」と言い切ることは難しいかもしれませんが、組織や社会に所属して、コミュニケーションを円滑にし、頼れる存在としての認知を確立し、何かを推進する際に多くの人からの協力を得るための最も基本的な戦略は、「ギバーであり続けること」だと直近5年間サービスデザイナーとして仕事をし、ゆめみ内で2年以上取締役をしてきた経験を振り返って断言できます。

「ギバーである」とは、自分以外の誰かのことを優先し、行動するということです。そして、「あり続ける」とは、相手からの見返りを期待しないということです。一般的に「いい人」と言われるような人は、ギバーだと感じます。そして、そのいい人という認識に引っ張られて、無制限にギバーであり続けようとしています。これでは、「自分のやりたいこと」と「他の人のためにやるべきこと」のバランスを保つことができず、徐々に疲弊してしまいます。そこで重要になってくるのが戦略性です。

ここでの戦略性は、大きく3つの側面に分かれると思います。1つ目は、先ほど触れた「相手からの見返りを期待しない」という部分にドライなマインドセットを付与することです。基本的に自分の行動から生まれる結果以外は、信頼しないことと言い換えることができます。最初から期待をしないことで、もし相手から何か返ってきた場合は、非常にラッキーで、嬉しいと感じることができます。結果として、通常のコミュニケーションにおいては、基本的にはネガティブな感情はあまり表に出てこないようになります。

2つ目は、ギバーでいる時間を制限することです。ギバーであることは、基本的にいいことです。一方で、無制限にギバーであり続けることは、自分自身を犠牲にすることになります。これはよくないことです。したがって、自分自身の中で、ギバーでいる時間に制限を設ける必要があります。それを超えた場合、超えそうな時にははっきりと「NO」と言えることが重要です。一方で、ストレートに「NO」を伝えることは難しいかもしれません。そこで、「〇〇はむずがしいけど、〇〇だったらできるかもしれない」といった形で逆提案をすることも一つのアプローチだと思います。相手の要求と自分のリソースとがうまく噛み合えば、定めた制限の中でうまくギバーでいることもできるし、柔らかく断りながら制限を守ることもできます。

3つ目は、自分と自分以外の誰か(会社や社会を含む)のギブが重なる局面を見極め、全力で関わりにいくことです。

チャールズ・イームズによるデザインのモデル

ことあるごとにいろんな場所で紹介しているこちらのモデルですが、デザイナーであるチャールズ・イームズが、どのようにデザインプロジェクトが発生するかについて説明する際に使用したものです。

読みづらいですが、次のように構成されています。

  1. デザインオフィスの関心領域

  2. クライアントの関心領域

  3. 社会全体の関心領域

  4. 上記3つが重なる部分こそデザインプロジェクト

4の状態こそ、ギバーとして最もパフォーマンスを発揮できる領域で、2022年に私自身が最も組織やプロジェクトの中で意識を割いている領域になります。社内の他の人の活動や自分以外が担当しているタスクなどについては、普段は基本的にそれらが存在していること・推進されていることを認識している状況で留めています。自分自身の可処分集中力には限りがある中で、「自分がやらなくてもよいこと」をひたすら見極め続けています。もちろん他のメンバーからの要請があれば、ギバーとしての活動範囲内で、積極的にサポートします。ただ、私自身の中で最も優先度高く、瞬発力を持って行動するのは、自分、会社、デザイン組織、クライアント、社会など複数のステークホルダーの関心ごとごとが交わった時です。「自分」という目線も含まれているからこそ、他のメンバーとの役割の重複は比較的少なくなります。そして、自分こそが取り組むべきだと感じるからこそ、高いパフォーマンスを出すことができます。

これまで書いてきた戦略を使いながら、「ギバーであり続けること」で組織の中で(取締役に限らず)リーダーシップを発揮できる関係性・環境を作り出すことができると感じています。

終わりに

別に取締役という肩書きを持たなくてもこれまで書いてきたことを身に染みて理解されている方は、多いと思います。一方で、私自身としては必要な経験だったと振り返った時にひしひしと感じます。

組織の中で機能するということは、一人で先に行き過ぎてもいけないし、みんなとぬるま湯に浸かり続けてもいけません。組織の外部環境の変化にも常に目を向けながら、内部環境の変化とその速度にも配慮しなければなりません。外部環境と内部環境の間は、ある意味でエッジ(端っこ)であり、その2つを繋ぐインタフェースです。インタフェースは、そこにあっても目立ってはいけません。しれっと良い感じに隙間を調整する必要があります。そういった人であることに努めたいですし、そういった振る舞いができる人を称賛できる人や組織を作っていくのが、今後の目当てかなあと今回の振り返りを経て感じたところでした。

時間を見つけて、出せる範囲の実績的なところも整理したいと思います。

基本的に今後も記事は無料で公開していきます。今後もデザインに関する様々な書籍やその他の参考文献を購入したいと考えておりますので、もしもご支援いただける方がいらっしゃいましたら有り難く思います🙋‍♂️