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THINK TWICE 20200816-0822

8月16日(日) 早く音楽をかけてちょうだい

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ピチカート・ファイヴが米マタドールからリリースした『CDJ』の12インチ。そこに収録されていた「CDJ(Readymade MIx)」がひさしぶりに聴きたくなったんだけど、コンピやベスト盤には未収録。SpotifyやApple Musicにも登録ナシ。*1

*1 ピチカートってソニー時代のアルバム(『カップルズ』『ベリッシマ』)とベスト盤(『THE BAND OF 20TH CENTURY: Nippon Columbia Years 1991-2001』)しかAppleMusicやSpotifyじゃ聴けないんですね。

2013年、湘南から松山へ引っ越す際、手持ちのレコードを3分の1くらいに減らしました。今にして思うと「手元に残しておきたかったな」という貴重なレコードまでた処分してしまったのですが、わざわざ遠くから買取に来てくれた中古レコ屋の友人もいたので、ちょっとでも彼らに喜んで帰って欲しくて、なるべく出し惜しみせず手放したんです……。

そのあとファイルで買い直した音源もあれば、ストリーミングで聴いて気が済むこともある一方で、いざ探してみるとそういう手段じゃ手に入らなくなってるトラックもけっこうあって。

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結局、1995年に出たアメリカ盤の『UNZIPPED ep』とドイツ盤『Happy Sad』にのみ収録されてることがわかって、前者のCDシングルを通販で購入しました。

ようやく"回収した"「CDJ(Readymade MIx)」だったんですが、やっぱり90年代のCD用のマスタリングって音が固くて、ガッツがなくて、アナログで聴いたときのようなワクワク感が全然足りないんだよなあ。

ああ、リキッドルームの1,000人近いお客さんを踊らせたぼくの『CDJ』はどこの誰が持ってるんでしょう? 今でも大事にしてくれてるといいな。


8月17日(月) DOO-WOP

新しい音楽を摂取する気力がありません。THINK TWICE RADIO VOL.4を作ったところですっかり気が抜けてます。

なんせ、お外は猛烈な暑さですし、世事にもつかれることが多いですしね───。

で、ぼくがこういう調子のときに選びがちなのがドゥー・ワップ。

Not Now MusicっていうUKの再発専門レーベルから昨年発売された『Cruisin' Doo-Wop』というCD3枚組のコンピが愛聴盤。ドゥー・ワップの代表曲が60曲も収録されていて、お値段1,300円ちょっと。1曲あたりの単価はなんと23円。もはやこれはタダと言ってもいい。

けっして歌が上手いグループばかりでもない。録音もひどい。かっこいい曲もあれば、笑える曲もある。ストリートから産まれた、ストリートのための音楽。とっても粗野で、聴いてるとなんだか癒やされるんですよね。

そんな流れでひさびさに聴き直しているのが『大瀧詠一のアメリカンポップス伝』です。

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『アメリカンポップス伝』とは、大瀧詠一さんが晩年のライフワークにしていたラジオ番組。NHK-FMで2012年と2013年に2回ずつ放送されました。

第1弾では、エルヴィス・プレスリーの登場前から始まり、第4弾(2013年8月放送)ではドゥーワップを経て、ジョニー・サマーズやコニー・スティーヴンスといった60年代の女性ポップスで締めくくられました。

大瀧さんが亡くなったのは2013年の12月でしたが、翌年春に予定していた第5弾の放送準備を進めていたそうです。 *1 

*1 40年以上親交のある知人は「19日にメールのやりとりをしたときは元気そうだった。突然すぎ、まさか亡くなるとは…」と絶句した。この年末も、3月のNHK-FMで放送予定だった「大滝詠一のアメリカン・ポップス伝パート5」の構成を練っていたところだった。(日刊スポーツの訃報記事より)

おそらくその放送がアメリカン・ポップス伝の完結編となったのではないか、と思っています。しかし、突然の大瀧さんの死によって、永遠に未完のままになってしまいました。その後、ヨーロピアン・ポップス伝の構想もあったらしく、つくづく残念でなりません。

1日分の番組(一回につき月曜から金曜までの全5回、で、尺は毎回50分間)のなかで約40曲もかかりました。

必然的にほとんどの曲は数秒〜10秒ほどでバッサリ切られます。大瀧さんによる解説も、民謡のお囃子や餅つきの合いの手のように、短く簡潔です。ボケッしていると、あっという間に次の曲に移ってしまうので、ちっとも気が抜けません。

しかし、そのあまりにも短く簡潔な数十秒の解説のために、大瀧さんが自らの知識だけでなく、計り知れないほど詳細なリサーチや細かい検証作業を怠らなかったことが、彼をよく知る人物のこんなコラムからも伺い知れます。

「大瀧詠一から亡くなる前に依頼されたこと」

朝妻一郎

大瀧詠一君が亡くなってもう4年になる。
亡くなる少し前に大瀧君はNHK-FMで放送していた『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』の次の回の為の資料集めをしていて、リバティー・レコードでA&Rとプロモーションを担当し、一時はジャッキー・デシャノンと結婚していたバド・デイン(ジャッキー・デシャノンの「ウエイト」はバドがプロデュースしていた)や、リッキー・ネルソンやレターメンのアレンジャーとして数多くのヒットを出していたジミー・ハスケルに連絡を取って欲しいと頼まれた。
バド・デインとは彼がリバティーの後A&Mに移っていて、その時知り合いになっていたし、ジミー・ハスケルとは業界のパーティーで人に紹介されて連絡先を聞いていたのでそれぞれすぐに大瀧君から頼まれた質問をぶつけた。どちらも確か、ジャン&ディーン(か、スナッフ・ギャレット)に関する質問だった気がする。ジミー・ハスケルはわざわざミュージシャン・ユニオンに問い合わせてくれて古い記録を取り寄せてくれるほどの協力ぶりを見せてくれた。
その後少し経って、今度は”スティーヴ・バリの連絡先を知りませんか?“とまた大瀧君から連絡があった。彼は昔、P.F.スローンと組んでいくつものヒット曲を書いたほかにプロデューサーとしてもグラスルーツやトミー・ロウのヒットを出していた。僕は1970年に一カ月、毎日スティーヴ・バリのスタジオに通っていたのだが、当時はメールアドレスもなく、彼の所属していたダンヒル・レコードも跡形もなくなっていて、どうやってスティーヴの現在の連絡先を探したら良いか考えた。
そこで思いついたのがエヴァン・メドウという男だ。彼にはウインドスエプトという僕がアメリカでやっていた音楽出版社の社長/会長を務めて貰っていたが、そのずっと前にABCレコードに居たことがあるのを知っていたので、”スティーヴ・バリの連絡先を知りたいんだけど・・”とメールした。すると”うちの奥さんのシェリルとスティーヴは昔何曲かレコードを出したことがあるし、今でも連絡は取れるよ・・”と言う返事と共に今のスティーヴのメールアドレスが送られてきた。シェリルのお姉さんは作詞家のキャロル・コナーズで、フィル・スペクターと一緒に「To Know Him Is To Love Him」を歌っていた、テディー・ベアーズのメンバーであったことは知っていたが、シェリルがスティーヴとレコードを出したことはその時初めて聞いてびっくりした。
大瀧君のスティーヴに対する質問が何だったのかもう覚えていないが、大瀧君の質問に対する答えの中に”高校の頃、学校が終わると「ノーティーズ」というレコード店でアルバイトをしていたんだけど、このお店はジェリー・リーバーも働いていたことのあるお店だったんだ“というところを大瀧君は、とても面白がって、”これは良い話題だ、次の番組の中で使おう!”と喜んでいた。確かにプレスリーの数多くのヒットを書いている、リーバー・ストラー・コンビの一人ジェリー・リーバーとその後のヒット・ライター/プロデューサーのスティーヴ・バリが同じレコード店で働いたことがあると言うのは、何か因縁を感じさせる。
残念ながら、大瀧君がこの事柄をどういう風に番組の中で取り上げようと思っていたのかを知る術はないが、大瀧君の事だからきっと面白い話を聞かせてくれたに違いない。このこと一つだけをとっても大瀧君のあまりにも早い旅立ちが悔やまれてならない。

朝妻さんはフジパシフィックミュージックという音楽出版社のエグゼクティヴ。売上不振でナイアガラ・レーベルを畳んでいた大瀧さんが『ロング・バケーション』の構想を彼に話し、朝妻さんがレコーディング費用を保証したことで、あの大ヒットアルバムが誕生した───という経緯もあります。

で、これは勝手な想像ですが、大瀧さんがジミー・ハスケルやスティーヴ・バリといったアメリカン・ポップスのレジェンドたちに朝妻さんを通して直接ぶつけた質問というのは、ちょっとした確認というか、単純な裏付け作業のようなものだったんじゃないか、と。

そして、そんな確認作業の副産物として、後半に出てくる「スティーヴ・バリとジェリー・リーバーが同じレコード店で働いていた」という、これまで誰も語っていなかったエピソードを掘り起こすことこそ、〈アメリカン・ポップス伝〉というプロジェクトの真髄でしょう。

しかし、大瀧さんがこの話題をどうストーリーラインに組み込もうとしたのか、彼が亡くなった今となってはもう誰にもわかりません。


8月18日(火) 鳥の名は

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主にドゥー・ワップが取り上げられた「アメリカン・ポップス伝」パート4の第1夜で、大瀧さんはThe Ravensという、知る人ぞ知るグループを紹介しました。

Ravenは日本語で言うと、大鴉。彼らの活躍をきっかけに、なぜか鳥の名を冠するコーラスグループが続々とドゥー・ワップ界に登場した───というエピソードを大瀧さんは紹介し、The Orioles(ムクドリモドキ)の「Crying In The Chapel」を流しました。

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