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【読み切り小説】営業マンパパ、子連れ同行する(下)




こちらの作品は前後編の構成となっております
前編は以下よりお読み頂けます


あらすじ

小学生の一人息子がある日突然、不登校となった
しかし普段から私は全てを妻に任せており、無関心だった
ある朝、バタバタと支度をする妻を怒らせてしまい、突然息子と過ごすことを余儀なくされてしまう…
私は仕方がなく、営業先である準備中の飲食店にリュックの中に隠した息子と入り、商談を進めるのだが…

(読了時間目安:約18分)


本編


おてあらい


「す、すみません! トイレをお借りしてよいでしょうか!」

すっかり落ち着きを無くした私は、裏返った声で唐突に店主へ退席の許可を求める

「あ? ああ…」

店主の承諾の声を聴き終えない内に私は駆け出していた

(いい大人が、しかも商談中に…最悪だ…)

店主から見えないところまで行ったところで、息子を抱え、急いでトイレへと駆け込む

息子は気持ちよさそうに陶器の床から舞い上がる湯気にまみれていた

開放感を得た息子を少し持ち上げ、ビチャビチャと手を洗うのを手伝う

私は重要な仕事のプレゼンを中断されたことに腹を立てていたが、それはすべて大人の都合でしかないという事も頭では理解していた

事実、ここまで息子は一言も話さずに身を隠し、トイレも自分でなんとかしようとしていたのだ

場合によっては、リュックの中でそのまま漏らし、さらには生地から滲み出てアンモニア臭のする水分が、準備中の飲食店の店内を汚すという、多大な迷惑をかけていたかもしれない…

果たして自分がこの年齢の時にそれができたであろうか
そう考え直した時、私は自然と溜飲を下げることができた

「よく、我慢できたな! 偉いぞ!」

私はぎこちなく息子の頭を撫でる
息子は抗うことなく、かといって特に喜ぶこともなく、クシャっとした時に瞼に触れる自身の髪に目を細める

さて、トイレを出た後どうするべきか…

息子をその場で待たせて私も用を済ませる
手を洗い、顔を濡らして、鏡を見ると少し気持ちが落ち着いてきた

息子の目線までしゃがみ、じっと我が子を見ていると
こんな状況にも関わらず、なぜかリラックスし、
いつの間にか思考が脱線していった…

親にすら何も話せずに、不登校となった問題を1人で抱えている息子
仕事をしながら息子を丸投げされて心身ともに余裕が持てない妻
そして、このプレゼン以前に、この仕事そのものまで考えが飛躍していく

「ん?…」

その時、私は息子がいつものぬいぐるみを持っていないことに気がつく

リュックに入れた時には確かに、
息子が大事にしているぬいぐるみの”フーちゃん”はいた
今もリュックの中にあるのか、それとも店内のどこかに落としたのか…

何にしても、必ず見つけなければならない
あれがなければ息子がパニックになることを、過去のショッピングモールで私達夫婦は嫌というほど体験したのだから

フーちゃんがいたからこそ、今日のここまでの平穏はあったのだ



さくせん


幸い、彼は今まだ無くなったことに気がついていないようだ
すぐに見つければまだリカバーできる

それまでリラックスしていた私の頭は、
フーちゃんの件で一転パニックになった

こんな時は、一旦整理して考えるんだ…
やるべきことは…

まずは、息子のぬいぐるみを探す
見つけ次第、息子に渡し、落ち着かせる
ぬぐるみさえあれば、リュックにも入るだろう
ぬいぐるみを渡すまでの間は…ここ(トイレ)に隠れてもらうしかない

次に、息子とぬいぐるみを、店主の隙を見てリュックに戻す

リュックに戻るのは後でもいいとも考えられるが、
私の見えないところで、息子が大人しくしてくれるとは限らない
気持ちがまったく落ち着かない状況でプレゼンが成功するとも思えない
また、プレゼン後に仕込みで忙しい店内に留まり、探し回るのも不自然だろう
という訳で、リュックに戻すことがプレゼンよりも優先だ

店主の視線をこちらに引き付けることができれば、なんとかなるかもしれない

その上で、もちろんプレゼンそのものも成功させるのだ

ぬいぐるみ奪還→リュックへの帰還→プレゼンを成功→そして脱出
これだ!

私は、改めて”鬼”がいる想定で、息子へこの作戦を伝えた

そして、トイレを出る

「すみません、お待たせ致しました…!」

私はトイレと店内をつなぐ廊下の曲がり角から
先程まで店主と話していたテーブル席を見る

そして、その場で凍りついた

「これ、なんだろうな、カウンター席にいつの間にか座ってたんだよ」

そのミスマッチな組み合わせに、私の作戦は一瞬で砕け散る
いかつい店主の手には息子のかわいいぬいぐるみのフーちゃんが握られていたのだ

「朝、掃除した時には無かったはずなんだけどなぁ…」

店主は手にした息子のぬいぐるみを持ち上げたり、撫でたりして動かしている

そこへいつの間にかトイレから出てきた息子が私の傍らに立っていた

そして、私と同じ様にその様子に釘付けになっているではないか

彼はぬいぐるみがいないことに気づいてしまったのだ、そして慌ててトイレから出てきた
私のリカバーは間に合わなかったのだ…

私はこの時ほど、この言葉の適切な使いどころを経験したことがない

「オワタ…」

「そ、それ…僕のーーーーーーーーーっ!!」

やっと発した息子の言葉は泣き声とも叫び声ともわからない奇声で、
店の外にも響き渡るほどの大声だった



こども


「な、な、何だ!?」

子どもがいることに驚いた店主は珍しくたじろいでいた
当然だ、こんな開店前の暗い店内に子どもなどいるはずもないのだから

「こ、こら…!」

私は慌てて息子を静止させようとするが、腕の間をするりと通り抜け
息子は近くのテーブルへ上り、赤い唐辛子の瓶を持ち、蓋を取る

「このぉ! 鬼めっ! フーちゃんを返せ!」

そう叫ぶと、そのまま店主の頭へ赤い粉をぶちまける

「ぐあ…!!」

たまらず店主は床へ倒れた
ぬいぐるみは床をすべり、壁で少し跳ね返って、椅子の下で止まる

もうめちゃくちゃだった

「ぶはっ! ぺ!っぺ! ごほっ! かはっ!」

苦しそうにする店主と、それを魔物を見る勇敢な戦士のような顔で見下ろしている我が息子

店内は、息子がテーブルに登った際に、椅子は倒れ、箸や調味料、紙ナプキンなど、あらゆるものが容赦なく床に落とされていた
さらに店主が倒れた際にも、手元にあった様々な商談の資料やボールペンなどが散乱している

開店前の店内は小さな嵐が通り過ぎたかのように一瞬で散らかり、雑然とした状況になってしまったのだった

「ついに正体を表したな! 赤鬼め!」

息子はテーブルから飛び降り、唐辛子をかけられて頭が赤くなった店主をさらに追い込む

私は心の中で、赤くしたのはお前だろ、と突っ込みたくなるのを必死に抑えながら、リュックで店内に入る前に”鬼に見つからないためのかくれんぼ”という設定にしていたこと思い出し、強く後悔した

私は、店主へさらに塩をかけようとする息子を、走っていき素早く羽交い締めにした

「……」

息子は背後の私を振り返り、
どうして父親が自分を抑え込むのかがわからない様子だ
しかし、今は説明している場合じゃない

私は、息子をどう叱るべきか、店主へどう落とし前を付けるべきかを、真っ白になった頭で無駄に考えていた

「ま…まて、その子は君の子なのか…? ゴホッ!」
その時、店主が咳き込みながら立ち上がった

私は、すぐに店の奥からおしぼりを何枚か取ってきて店主の顔を必死で拭く
「すみません! すみません…!」
自分ではわからないが、きっと私の顔はぐしゃぐしゃになっていたと思う

「わかった、わかった、やめろ!」

店主の声で私は我に返る

「父親なら、息子の前であまり惨めな姿を見せるな…」
「は、はい…」

そうして、店主は私がおしぼりだと思って慌てて持ってきた”ぞうきん”をまじまじと見た

「事情を聞かせてもらおうか…」



めんだん


「そういう事情なら、最初から相談すればいいだろう」

店主は意外にも子どもの同席に理解があった
どうやら顔に似合わず(失礼…)子どもが好きなようだ

今息子は、さっきのことが無かったかのように
綺麗にしてもらったフーちゃんを抱え、奥の席で
店主が用意してくれたお菓子とジュースを飲んでいる

「すみませんでした…」

あれから私は息子の誤解を解き、店内の掃除をし、壊れたものの弁償と失われた時間への謝罪の意味で仕込みを手伝っていた
もはや商談どころではない…
今は店の開店準備を間に合わせることの方が先決だ
(会社には、午後休を申請した)

作業する店主も、息子も何も言葉を発することがなく
店内には重苦しい空気が流れ続ける…

すると、以前も手伝ったことがある焼き鳥の仕込み作業をしている時に横から話しかけられた

「それじゃあ、ダメだ」
「こうだ、こうしてしっかりと串をだな…」

「は、はい…すみません…」
私はすっかり意気消沈していた

それから、薄暗く静かな店内で、
そのまま横に座った店主と黙々と作業する時間が続く

コン…チャ…チャ…コン…

ビニール手袋をした右手で肉を掴み、左手に持った串に刺す
刺したものを、銀のトレーに置いていく
そんな音だけが、店内に響いていた

「おい、話はまだ途中だったよな…」

私は、怒られるのかと思いビクッとする
その口調が、喧嘩を売るイジメっ子のそれと同じように思えたのだ

すると、店主が小声で私に耳打ちをする

「キョドってんじゃねぇ、子どもが見てるぞ…」

パッと見ると、子どもがサッと目をそらす

「子どもは、親を見て社会を学ぶんだ
しっかり仕事をしている父親の背中を見せてやれ」

「は、はい…でも…」
私は店主の提案を察し、その気持ちは嬉しかったが、
意気消沈した今の自分では、うまく話せるか自信がなかった

「資料がないと、営業トークもできないのか?」
「あ、いえ…! させていただきます!」

それから私はポツポツと資料の内容を思い出しながら話し始め、
次第にいつもの勘が戻ってきた

何しろ仕込みや開店準備をしながら、世間話のように話せるのだからいつも以上に時間もある

そんな中、息子がそんな私の様子を観察していることも背中で感じられた

すると、気持ちが次第に変化し、会社員というよりも一店員のような気持ちになっていたのだろうか
私はいつの間にか、本来は隠すべきようなことまで、ありのままに店主に伝えていたのだった

仕込みや店の準備もあらかた終わったところで、私達親子は開放され帰り支度をしていた
そこへ店主が前掛けで手を拭きながら現れ、見送ってくれる

「お疲れさん!」
「い、いえ、ご迷惑おかけいたしました…」

「いいんだ、むしろ助かったよ」
そう言って、店主は眼下の息子へ見慣れないウインクをする
しかし息子はまだ店主を鬼だと思っているのか、怯えて私の背中へ隠れてしまう

「それと、仕入れのことだが、正直に話してくれてありがとう」
「ただ、あのプレゼンじゃあ、他社の商品を買うかもしれないぞ
君は結局、自社の商品を買って欲しいんだろ?」

「はい、もちろんです、でもそれは、お客様が判断することですから」

「そうか、お前さんにはこれまでも随分手伝ってもらったもんな
わかった…前向きに考えておくよ」

「ありがとうございます!」

こんな安っぽい言葉で営業が取れるなら、苦労などしない
それほどお店の経営とはシビアなものなのだ
私はそれを見て見ぬふりをして売りつけることは、もうやめようと思った

「それと坊主、しっかり父ちゃんを見てたな」
店主はかがんで、息子と目線を合わせて話しかけた
息子は何も答えないが、お構いなしに店主は続ける

「働いている父ちゃんはどうだった? 頑張ってたろ? かっこよかったか?」

すると、ちょっと間をおいてから息子は頷いた

私は、急にそれだけで、すべてが満たされた気分になる

いつの間にかプレゼンの結果などはどうでもよくなっていた

私は決して息子にとって、良いお手本ではないかもしれない
でも、”大人”という漠然としたものを見栄や嘘で固めて伝えたところで何の役に立つだろう
子どもには、私を通して、少しでも社会を学んでほしい
弱々しくてもなんとか生きている等身大の父の背中を見てほしいと思った

ガラ…

堂々と二人で手をつなぎ店の扉を開けた時には既に外は夕方になっていた
オレンジ色の光とともに私の心に温かい息子の体温が伝わってきたような気がした



かえりみち


「学校、嫌ならいかなくていいんだぞ…」

最寄りの駅を降り、長い公園の中を通る帰り道を私と息子は歩いていた

「……」

息子はやはり返事をしない

しかし、それでもいい気がしていた

私は意外にも、息子とこんな風に過ごせる時間が嬉しかった
自分にもこんな子煩悩な部分があるのかと、少し”人”として自信を持つことができた

日常部分の大変な育児を妻に丸投げしておいて、
こんな時だけ「一緒にいて楽しい」など、妻から言わせれば実に都合の良い話だろうが…

少し暗くなり始めた空の下、
息子は道の途中で拾った枝でレンガを敷き詰めた地面をカンカンと叩き、無駄に左右に蛇行しながら、うつむき加減に歩いている

その様子を眺めながら私はふと思った
もしかしたら、考えているのかもしれない…と
人より、少し考える時間が長いだけかもしれないではないか

私のような営業マンは、考えなしに次から次へと当たり障りのない、中身もない綺麗な言葉を並べ立てることができる
しかし、息子は少ない言葉の中から、発する言葉を慎重に選んでいるのかもしれない

私は焦らずに息子の返事を歩きながらじっと待つことにした
家まではまだある、焦ることはない

そんな風にしていると、
いつの間にか息子の姿が自分の幼少時代と重なり、
私はある出来事を思い出していた…

私は、立派で曲がったことを許さない頑固で”正しい”父の下で育った
そこでは常に”いい子”であることを求められていた
しかし、親から教えられた正しさを学校で披露した時から、いじめられるようになる

私は先生に訴えたが、先生は私の正しさや、いじめという不正よりも、私に強くなることを求めた
社会に出れば、世の中はどこに行っても同じようなことがあるのだという

幼い私は絶望した
両親は世の中の悪を完全否定し、正しさをいつも主張し続けていたのだから

当時よく読んでいた漫画においても、それは同じで善と悪は完全に反対なものとして描かれており、常に善である正義の味方が主人公であり、カッコいい存在だった
でもそれは所詮、漫画の世界の話だったのだ

幼い私は、悪の存在を半分受け入れるような先生の主張と矛盾するこの複雑な思いをまだ表現することが難しかった、故にうまく大人に相談することもできないでいた

先生を含む大人はいつも断定的で、話を聞くというよりも反対に命令をされるような気がしていた

家では、たまに怪我をして帰ってくる私を母がやさしく介抱してくれた
しかし、いじめられていることが、父に知れると、それは男の子として情けないこととされた
母もそれを否定はしない
今思えば父には逆らえなかったのだと思うが、当時そこまではわからなかった

今振り返ると、その時私が望んでいたことはたった1つ
ただ話を聞いてもらいたかったのだ
うまく言葉にはできる自信はないが、どんなに拙い表現であっても、とにかくじっと聴いてほしかった、抱えたモヤモヤを理解してほしかったのだ

そんなことを思い出しながら、私はぼーっと息子の様子を眺めていた

しばらくして、息子が私に背を向けたまま唐突に口を開く

「…僕、弱虫でも、いいのかな?」

私には息子の言っている質問の意味がよくわからなかったが
ここはじっくりと腰を据えて話をする時だという確信があった

息子がくれたこの貴重なチャンスを、今逃すわけにはいかない!

「どういうことかな? お父さんに、教えてくれる?」

息子は首を縦にふって頷いた


その日からというもの、
我が家のリビングにあるTV台の上には、
新しい家族写真がたくさん飾られるようになっていった



おわり…


え? その後、仕事のプレゼンや不登校はどうなったのかって?

結局、値上げに承諾いただき、既存商品の仕入れは継続いただけることになった
私の上司もほっと胸をなでおろしていた

しかし新商品については、残念ながら他社に持っていかれる
ほとんど私が後押ししたようなものなのだから、仕方がない

それから私は、商品開発部へ現場の意見を詳細にフィードバックし、
次こそはあの店主へ本気で勧められるような商品ができるようにと、企画段階から積極的に参加することにした
(現場意見のフィードバックについては、以前から推奨されていたが、協力しても給与が上がるわけでもないためほとんどの人間が無関心だった)

やってみると作る立場での様々な苦労などを知ることができ、営業にも力が入るようになった
今では部署や会社の垣根を越え、様々な人間と仕事をしている

そして、プライベートにおいても家族会議を行った

妻には反省文を提出し、なんとか執行猶予が付く
(有罪は確定ということだ…!泣)

結果、息子の提案で、これまでは「家族がみんな風邪をひいていた」ということになった
これなら、犯人捜しのようなことをしなくて済む、実に平和的だ
(我が子ながらすごい!)

家族の健康を保つためにも、今では、勤務時間をセーブし、私も家事・育児を分担するようになった
(もちろん、まだまだ妻の負担の方が多く、時々喧嘩もするが…)

そして、息子だが、
時々気分転換するかのようにフリースクールに行くことはあっても、
長期間家に引きこもることはなく、今日も元気に学校へ通っている



おわり



最後までお読みいただきありがとうございました!

時々低い山を登るのですが、体はもちろん、心まで健康になる気が致します

あきらみきと



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