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【読み切り小説】営業マンパパ、子連れ同行する(上)




あらすじ

小学生の一人息子がある日突然、不登校となった
共働き夫婦の我が家にとっては特に重大な問題だったが、普段私は全てを妻に任せており、無関心だった
しかしある朝、バタバタと支度をする妻を怒らせてしまい、突然息子と過ごすことを余儀なくされてしまう…

(読了時間目安:約15分)


本編


あさごはん


「反抗期か? 最近の子どもは早いな」

小学生の一人息子が、ある日突然、不登校になった

いつからか仲の良かったはずの母親とも話をしなくなっていたため、その理由もわからないという

朝から早くも感情的になっている妻が誰にともなく
(おそらく私だとは思うのだが…)
愚痴なのか相談なのかわからない内容の会話を
動画の2倍速再生のような速さで投げ飛ばしている

既に彼女の声を受け止めることができなくなった私の脳は
彼女専用の受容回路を遮断し、”ながら聴き”で受け流す回路へと連結していた

よって、私はTVで流れる朝のニュースや天気予報から視線を外さずに、
朝食を口に含ませたまま、とりあえず冒頭の相槌を打ったのだ

しかし、これが今日という1日の最悪の起爆剤となってしまう…

「反抗期か? 最近の子どもは早いな」

の後には少し間があった


「は?」

私はその瞬間、時間が止まったのかと思った
1秒でも惜しいほどに忙しく動いていたはずの妻の支度をする手が止まったのだ

バン!
妻は化粧をしていた机を強く叩き、立ち上がると、こう言い放った

「今日はあなたが面倒を見てよね! 1日中! わかった!?」

妻はそのまま、カバンを乱暴に肩にかけ、階下への騒音もお構いなしに大きな足音を立てながら
いつも立ち寄る息子の部屋の扉の前を素通りし、一直線に玄関へ向かう

「…え? どういうこと?」

いつもとは違う妻の怒りの感情に少し驚いた私は
全く話についていけずに呆然として思わず聞いてしまう

普段から他人事のように表面的にしか話を聞いていないのだから、話の内容など理解していない、当然である

TVに向けていた目線をキッチンに向けたが、既にそこに彼女の姿はなく、仕方なしにダイニングテーブルの椅子から妻のいる玄関へ向かって体を傾けた私は更に続けた

「ね、どういうこと?」

今度は少し大きめの声でもう一度聞く

玄関で立ち止まった妻は、何も言わない
それよりも、一刻も早く玄関から外へ出たい様子で
指を無理矢理パンプスと足の間にねじ入れているが、うまく履けないでいる

私は口の中の朝食をもぐもぐとさせながら、
ゆっくりと玄関へ歩いて向かい返事をしない妻の背中にさらに話しかけた

「俺、これから仕事だよ?」
「私だってそうよ!」
私の言葉は、言い終わるよりも前に妻にかき消される

我が家は共働き家庭だ
よって、当然子どもが学校へいくことが前提のスケジュールで生活している
平日の日中、子どもの面倒を見ることはできないのだ

「…あいつ、1人で留守番できないのか?」
「まだ、小学3年生なのよ、何かあったらどうするの? お昼は? 私たちがネグレクトしてるとか近所の噂になったらどうするつもり?」

「でも…じゃあ、どうすればいいんだよ?」

「自分で考えなさいよ!」

ガチャン!

妻はそう言い放つと、玄関のドアを乱暴に開け放ち出かけていった
私はゆっくりと閉まる扉の内側からカツカツという妻の靴音を小さくなるまで聞いていた

口の中にあった朝食が、ようやく喉を通過した



おとうさん


チャ…

私は室内の扉が開く音に振り返ると、
息子がトイレから出てくるところだった
腕には、大好きなアニメのぬいぐるみを抱えている

そのまま息子はトタトタと足音を立てながらキッチンへ向かう
後を追うように私も戻ると、息子が朝食のパンにウインナーを挟んで頬張っていた

母親が息子のために用意し、さっきまでテーブルに置いたままになっていたものだ

「おぅ、おはようっ!」

私はさっきまでの室内の空気を払拭するように
明るく元気に息子へ挨拶をする
父親として、息子の前ではお手本となるような意識もあった

「…」

しかし、何も話さない息子は、一切こちらを見ることなく、モシャモシャと食べ続けている

(全く、あいつはどういう教育をしてるんだ…)
私はいつも息子を任せている妻への不満を募らせた

私は、早々に会話を諦め、まずは自身の残りの朝食を食べ終えることとした
目の前で食事に集中し、私を無視し続ける息子を見ながら

(やっぱり母親に似てるなぁ…)

などと感じていた



おでかけ


息子の不登校は昨日今日始まったことではない
これまで息子はどうしていたのだろうか

普段は私の方が先に家を出て、帰りも妻よりも遅いため
私にはその辺りがブラックボックスになっていた

何か言っていたような気もするが、やはり私の脳にそのような記憶は留まっていない

私の会社は基本的に標準労働時間8時間のフレックスタイム制だ
しかし、求人情報に掲載されていたような柔軟な働き方などほぼできない

私はその会社で営業職として働いており、月末を迎えるこの時期、ノルマ未達成に怯えていた
ノルマを達成できずに、精神的に追い込まれ、いつの間にか病気になって会社を辞めることになった同僚を何人も見ている

ノルマとは会社に給与と引き換えに渡された爆弾の導火線なのだ

求人情報には“やりがいのある仕事です”などという言葉とともに、爽やかな笑顔の若手社員の写真が掲載されているが、
もし実際の会社の仕事内容をきちんと掲載するならば、
写真はそのままに“オワタ”などと表記した方がしっくりくる気がする

今日は営業先の時間に合わせ、会社よりも自宅に近い営業エリアへ直接向かうため、珍しく出勤時間に少し余裕があった

しかし、それでも出掛けなければならない時間は迫っている

「お前、1人で留守番できるか?」

食事を終え、背中を向けたままゲームを始めた息子に直接聞いてみる
…が、やはり返事がない
傍に放り投げられたぬいぐるみだけがこちらを向いていた

「はぁ…」
私は深いため息をつく

「何かあったらどうするの?」

さっき妻に言われた言葉と仕事のことが何度も頭をジャグリングする

しばらくどうしようかなぁ…と呆然とした後、
スマホで調べてみると、不登校の子どもを預けることができるフリースクールという施設があることがわかった
きっと、妻は朝このような施設へ息子を預けてから仕事へ行っていたのだろう

「先に教えておいてくれよなぁ…」
私の中に安堵とともに妻への不満がさらに湧き上がる

私は早速、マップアプリで最も近いフリースクールを探してみる
しかし、その場所は今日向かう営業先とは真反対であり、電車の乗り継ぎもしづらいかなり不都合な場所にあった
また、我が家に車はない

つまり、今から預けてから仕事へ向かったのでは間に合わないのだ

「くっそ…仕方がない…いくぞ!」
考えた末、私は息子を今日1日、仕事へ連れ回すこととした



おしごと


意外にも息子は素直に着いてきた
どうやら不登校ではあるが、部屋に引きこもるタイプではないらしい

トテトテと足早に大人の足についてくる息子
抱えたぬいぐるみの足も息子が地面を蹴る調子に合わせ激しく踊っている

私は、息子がこの大事そうなぬいぐるみを無くして面倒なことになっている未来を想像し、
家を出る時に「それ持って行くのか?」と提案の意味で聞いてみたのだが、息子はその腕をギュっと強く締め続けるのだった

私は歩きながら、はぐれては大変だと考え、手を差し出してみたものの、決して繋ごうとしない
どうやら、すっかり嫌われているようだ

「いいか、パパはお仕事だからな、おとなしくしておくんだぞ」

「…」
相変わらず息子からの返事はなかった
が、考えてみれば今のままで十分おとなしいではないか

息子へ切符を渡し、二人で改札を通り、目的地へ向かう電車へ乗った
いつもより少し遅い時間の出勤ではあったが、まだ朝のラッシュ時間帯には変わりがない
車内は人混みでむわっとした空気が充満している
揺れる車内、たくさんの大人の足の間で小さな息子は必死に私のズボンにしがみついていた

しかし、困った…子連れで営業など、聞いたことがない

私と息子は今日の営業先である飲食店についた

既にここには何度も通っている
この店舗は繁華街にあって敷地は広く、老舗で人気のお店だ

しかし、店主が変わり者で営業やTVなどの取材は一切お断り、馴染みの人間しか信用しないという頑固者だった

私は前任者の先輩の紹介を受け、何度も挨拶を交わし顔を覚えてもらい、時に店を手伝うなどしながら信頼を得て、
今回やっとのことで「話だけなら」ということで忙しい仕込みの合間に時間を割いてもらうことができたのだった

少し早く着いた私は、店が見える場所にある公園のベンチに腰を下ろす

そして、少しカバンを広げ、昨夜までに入念な準備をした資料の存在を確かめた

「よし…」

私は当初、今回の商談で新商品は間違いなく売れると思っていた

しかし、昨今の原材料価格の高騰や燃料代などのコスト上昇の影響を受け、我が社においても様々な商品の値上げを余儀なくされてしまったのだ
店主には当初、
「しばらく値上げはありませんのでご安心ください、企業努力で乗り切ります!」
という調子のいい話をしていたのだが、今日までの間に話は一転、新商品を含めた既存商品までも値上げすることが決定したのだった

要するに…

Aという商品を買って仕入れてもらっているお店の店主へ、
Bという新商品の追加での仕入れをお願いする予定だったが、
新商品どころか、Aも値上げになりました、ごめんなさいと謝罪した上で
ところで、よかったら値上げしたBという商品も仕入れていただけませんか

という虫のいい話をしなくてはならないのだ

今回の値上げに伴い、我が社は新規顧客どころか、一部の既存顧客も他社へ乗り換えられる事態となっていた

「これ以上、既存顧客を減らす訳にはいかない、頼んだぞ!」

何としてでも、このチャンスを掴み取りたい!
仮に新商品のご契約はダメであっても…
最低でも、既存商品の値上げにご納得いただく必要がある

「しかしなぁ…」

私は公園のベンチで隣に座る我が子を見た
ぬいぐるみを脇に抱え、両手でジュースを吸い込もうと頬をすぼめている

平日の朝に子どもと公園のベンチで一緒に座るスーツの男性が珍しいのか、
通り過ぎる主婦達の視線が痛い

「お父さん、これからお仕事なんだ、ここで大人しくできるか?」

子どもはジュースを飲む手を止め、イヤイヤと首を振る

そりゃあ、そうだ
どちらにしろ子どもを置き去りにはできない
ここまで来たものの、どうすればいいんだ…
私は頭をフル回転させる

選択肢は、いくつか浮かんだ

1. 子どもを誰かに預ける → 今からすぐ預けられるそんな場所も人もいない、妻は当然無理
1. 子どもと一緒に仕事をする → 海外じゃあるまいし、とても現実的じゃない
1. 事情を話し、商談を別の日にしてもらう → 話を聞いてもらう機会を失うだろう
1. 急に体調が悪くなったということにする → 上に同じ

結果、じっと子どもの体を見ていた私が思いついた方法がこれだった

「これは“かくれんぼ“だ! 声を出したら鬼に見つかるからな! 気をつけろ!」

私は近所の旅行グッズ店で大きく頑丈そうなリュックを買い、人差し指を口元にあてながら、子どもをその中に入るように促した

意外にも、子どもはぬいぐるみとともに素直に入る

「いい子だ!」

私はおとなしく、まだ小さなこどもを入れたリュックを背負い、予定時刻ギリギリで営業先の飲食店へ入っていった



おはなし


「ずいぶん大荷物だな…」

店に入った私を出迎えた店主は、
いつにも増して、私を怪訝そうな表情で見ながら、ドスの利いた低い声でそう言った

私は、リュックの重さと、これから説明しなければならない内容とその相手を前にして汗だくになっていた
これでは、益々相手を警戒させてしまう…

「し、しっかりご説明したくて、たくさん資料を持って来ましたもので…」
言葉に重ねてとっさ浮かべた私の笑顔が引きつっていたせいか、
店主はすぐに身をひるがえし奥へ行ってしまう

リュックをテーブルの下の脇にゆっくりと降ろし、チャックを開ける
子どもの体を半分出したところで私はじっとしているようにと、再び指を口の前に立てる
すると、子どもは自身の口を両手で塞いだ

(よし! いい子だ…)

やはり、この年代の子どもに”鬼”は効く

すると、奥から店主が水を持って戻ってくる
「あ、ありがとうございます…」
この店主はとっつきにくいが、決して悪い人間ではない

「で、話って?」

せっかちな店主の低い声が、準備中であまり電気を点けていない薄暗い店内に響く
営業中にはかけている有線放送のBGMもなく、
店に面した交通量の多い大通りを行き交う車やトラック、バイクなどの騒音だけが聞こえていた

いよいよ試合開始だ…!

忙しい店主に割いてもらった時間はわずか30分
私は脳を急激にフル回転させて用意した資料とともに新商品について熱弁をした

しばらく店主はじっと聴いていた

その口は閉じられ、相槌もなく、特に質問もない

しかし、そのヘの字に曲がった口は、あくまでもいつも通りであって、決して拒否している態度ではないことを私は知っている

今のところは問題ない…ここからだ…

そう思った矢先、
ふと、持ち物を落としたような、何かあったものが無くなる感覚があった

私の視線は自然とテーブルの下へと滑り込む
そこには口を大きく開けたままのリュックだけがあった
言い方を変えよう…息子がいない!

「あ”っ!」

私は思わず声を出してしまう

「どうした?」

それまで黙っていた店主が声をかけてくる
いいところなんだ、こんなところで中断するわけにはいかない…!

「い、いえ…だ、大丈夫です、大丈夫、続けましょう
ここからが、肝心なところです、きっとご興味を持っていただけると思います」

私は自分自身の気持ちを落ち着かせるように、そう言ってプレゼンを再開する
すると、少し話が進んだところで視線の端に息子を見つけた
その場所は店の奥、トイレがある廊下だった

(なんだ、いつの間にかトイレに行っていたのか…)

私は初めての建物でよく場所がわかったものだと関心したのも束の間、息子は泣きそうな顔で股間を抑えながらこちらを見ているではないか

決壊しそうな状況にあるその水分をなんとか抑え込んでいる彼の両手は、今まさにトイレを探し求めていたのだった


つづく…


予告編

私はこの時ほど、この言葉の適切な使いどころを経験したことがない
「オワタ…」

「そ、それ…僕のーーーーーーーーーっ!!」

やっと発した息子の言葉は泣き声とも叫び声ともわからない奇声で、
店の外にも響き渡るほどの大声だった

【読み切り小説】営業マンパパ、子連れ同行する(下)より




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