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読売新聞KODOMO俳句

読売新聞で髙柳克弘さんが選をされているKODOMO俳句。子供の俳句おもしろいな~と思っていつも楽しみに読んでます。先日の朝刊、そのなかの「よい句ってどんな句」コラムがすごく心に残りました。

[よい句ってどんな句?]理屈を離れ あたたかみ

  江戸時代の俳人・ 与謝蕪村がある夜、 句会の帰りに嵐にあい、馬提灯を持ってくればよかったとぼやきます。馬に乗るときに腰こしにさす提灯で、風にも飛とばされません。ところが一緒にいた炭太祇は、何が良くて何が悪いかなど事前にわからないから、考えてもムダだと反論します。
 蕪村は、計画を立ててことに臨みたい性格。出たとこ勝負なのが、太祇です。蕪村は、親友の太祇の理屈にとらわれない作風が、その性格からきていることに気づきました。

移す手に光る蛍や指のまた 太祇

 つかまえた蛍を、 別人にわたしたら、今度はその人の指のまたで蛍が光りはじめました。すなおであたたかみのある太祇の作品を、やや理屈っぽい蕪村は、 尊敬していたのですね。

読売新聞KODOMO俳句

やはり、作風に性格が出るのですね。 私もむずかしく考えずすなおに詠んでいこうと思いました。
それと、蕪村が計画を立ててことに臨みたい性格、というのが意外でした。絵を描くから蕪村こそ太祇みたいな人なのかな、と思ってました。私は蕪村が好きで、たとえばこういった句はたまりません。

菜の花や月は東に日は西に

朝顔や一輪深き淵の色

斧入れて香におどろくや冬木立

一句目、場面は夕方で、夕方だから月は東で日は西にあって、その真ん中に菜の花を配置したら夕闇に黄色が残ってきれいだよねって、そうか、もしかすると蕪村は絵を描くみたいに綿密に画面構成を練って詠んだのかもしれない。でも、たとえそうであっても工夫の跡を微塵も感じさせない、パッと口をついて出た気がするところが名句だなあと溜息します。

ちなみにこの月は満月であると、句の詠まれた時期から木暮陶句郎さんがNHK俳句4月号で考察しています。たしかに、句の景としてのどかな満月が似あいます。

三句目、夏井組長も中学時代「読み終わった瞬間に、鼻の奥の方に木の匂いがつーんとしてきたのにはびっくりしました」と著書「夏井いつきの超カンタン!俳句塾」で言っていて、句のようにおどろきました。というのも私もこの句初めて読んだとき、木の匂いしたんです。僭越ながら、組長と同じ気持ちがしたと知って、嬉しかったです。

アオガエルがんばれ急げかわく前 茨城県
守谷市立松ケ丘小学校4年 清水ちひろさん

読売新聞KODOMO俳句

かわく前・・・!こんなん私、思いつきません。すごいわ小学生。轢かれる前、なら思いつきました。私、心が濁ってる・・・? アオガエルは私にとっては希少で、見つけたらラッキー。トノサマガエルやウシガエルならたくさん見るのに。

こちらはNHK俳句7月号「俳句のじかん」より。

あかくないそれでもあまいしろいちご
小学一年 なかたにさほこさん

NHK俳句7月号俳句のじかん

白い苺ってありますね。食べた事ないけど、甘いんだ。そりゃそうか。無色透明だけどコーラの味がするウィルキンソン タンサン ドライコーラ、あるいは青いカレーと同じふしぎさに着目して詠んでいます。句も俳号も全ひらがなというのが末恐ろしい手練れを感じさせます。

万緑をうつして黒し子ザルの目  髙柳克弘  

読売新聞KODOMO俳句

山奥の寺で子連れの野性の猿をみて詠んだ句とのこと。子ザルの目が黒いのは、実際に黒いのもあるけれど、あふれる緑を産まれて初めてみて、人間と同じようにきれいだなあ、と思ってまじまじとみている。みひらくから黒目がより黒々とみえる。二つの色がはいっているけれど、後ろの黒に子ザルの心象を重ねて鑑賞しました。