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忘れ物/エッセイ

小学校の頃、私は忘れ物のひどい子供でした。明日持ってきてと言われたもの(工作に使うセメダインとかセロテープ)を学校に持っていくのを忘れてしまうのです。二つ上の姉はしっかり者の優等生で、忘れ物なんて絶対にしないのですが、私はなぜか、本当になんでか、持っていくのを忘れてしまうのです。それで付けられたあだ名が「忘れ物王」でした。

忘れ物ひとつにつき、漢字帳を開いて片面1ページに漢字の書き取りをするペナルティがありました。ところが私はそれをするのも忘れ、というかめんどうで、ずっとほりっぱにしていました。で、書き取りをしなければひとつ、ペナルティが積まれます。こうしてどんどん私のペナルティは積み上がり、1年でノート3~4冊くらいになりました。

そんなになっても私は全くやらなかった。借金だって、100円借りたらすぐ返さなきゃと思うけど、100万円だとま、ほっといてもいっかー、という気分になりますよね?(念のため申し添えますが借金はありません)

すると担任が母に「お子さんに漢字の書き取りをするよう言ってください」と告げたかして、母にめっちゃ怒られました。母は私を本気で案じて担任に「この子は頭がおかしいのでしょうか? 」と相談しました。この質問も大概ひどいですね。担任は笑って「お母さん心配しすぎです」と言ったそうですが。

母は何度もその、若い女性の担任に相談して、しまいには「あなたが頼りないからこんなことに」とまで言ったらしい。

ひー、モンスターペアレントやん。

それでしょうがなく、というか母にせっつかれて一晩中かかって1冊だけやって担任に渡したら、朝いちのホームルームで突然

「皆さん! 若林さんが漢字の書き取りをしてきてくれました!」

とすごい満面の笑みで、でかい声で言って、拍手を始めた。それにつられてみんなもパチパチパチ・・・。拍手の真ん中で私は、いや私が悪いねんけど? 褒められていいんかな? しかも1冊しかやってないし。と思いながらもテヘッと照れていた。

ノート3~4冊が、1冊で免除してもらえました。たぶん、担任としては母がめんどうで寛大な処置になったのだと思う。先生ごめん。

たかが半ページの漢字の書き取りなんか、ちゃっとやっちゃえばいいのです。なんでほっていたのか、正直申し上げると、めんどくさいの他に、ペナルティとしての漢字の書き取りなんか意味ないし、という反発心が多少ありました。自分が悪いくせに。書き取りなんかさせても、私の忘れ物癖は治らねーよ、というひねくれた心がありました。

勉強自体はさほど嫌いではなく、夏休みの宿題を早めに済ませるタイプでした。現在の私は多少の理不尽を飲み込んで仕事します。なんであの時、心を無にして手を動かすことができなかったのかなあ。いまでも漢字をみると寒気がします。



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