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ふたりの廉人 #SS

  古橋廉人(三十六)文學界新人賞受賞。目覚めてすぐ僕は濃いめにコーヒーを淹れた。ネットニュースでいち早く知った知人から殺到する祝いに返事していて、ほぼ寝ていないのだ。

 芥川賞の登竜門となる幾つかの大きな賞に応募し続けて十八年。やっと……やっと、報われた。さあ、これからだ。どうか芥川賞にノミネートされれば……!

 新聞の一面から読んでゆく。昨日起こったJR神戸線の刺殺事件。自身の対応に追われていて、詳細を全く知らなかった。

十二日午後六時半頃、兵庫県西宮市を走行中のJR神戸線車内で男が乗客二人を包丁で刺し、いずれもその場で死亡が確認された。兵庫県警は殺人容疑で無職・横峯廉人(三十六)を現行犯逮捕し、西宮署に捜査本部を設置。現在、動機を調べている。

 横峯廉人……頭が混乱し、かすんだ。
 まさか、あの廉ちゃん!
 氏名も年齢も同じだ、間違いない。
 廉ちゃん、君に何があったのか。

 横峯廉人は小学校五年の春、僕のクラスに転入してきた。廉人、なんて名前は珍しいから、すぐお互いを意識して仲良くなった。名前が同じだから僕を廉人、彼を廉ちゃんと呼ぶことにした。廉ちゃんの家は町で一番大きな屋敷だった。

 横峯化学の社長の孫。関東に嫁いでいた娘が離婚し、一人息子を連れて実家に戻ってきた。これらの内容を僕はおしゃべりな母から知った。

 廉ちゃんの屋敷に行く。呼び鈴を押すとお手伝いさんが出る。彼女に連れられて階段を上り、廉ちゃんの部屋へたどり着く。

「はい、今週のジャンプ。お母さんが来たら隠してね」

 部屋に入ると廉ちゃんが笑顔でジャンプを渡してくれる。母親に隠れて買った漫画を、廉ちゃんは鍵付きのスーツケースに隠しているのだ。たまに宿題を廉ちゃんに教えてもらう。彼は塾に通っていて、すごく頭がいい。

「ケーキを七等分したら一片の角度は何度でしょうか。ふつうケーキは七等分せえへんやろ」

「まあ、大体六等分とか八等分だよね」

「包丁にべったり付くからぜったい等分になれへんがな。それからなんで国語で同じ話を一ヶ月もやるねん。飽きるわ」

「それは僕も思う」

 ふたりで声を上げて笑った。部屋にはたくさんの本があり、僕は漫画だけではなく本も読むようになった。だから小説を好きになり、創作を始めたきっかけは廉ちゃんのおかげとも言える。

 ドアがノックされ、僕は急いでジャンプをベッドの下に隠した。廉ちゃんの母親が入ってきた。参観日で一番目立っている、とてもきれいな人だ。手にした盆にはケーキと紅茶が乗っている。

「いらっしゃい」

 言葉とは裏腹に僕に向けるまなざしは冷たい。本当は早く帰って欲しいと思っているんだ。僕が貧乏アパートに住む子供だから。大人の思惑を僕は敏感に悟ってしまう。

 年が明け、廉ちゃんが言った。

「僕、中学受験するんだ。それで、土日も塾に行かなきゃいけなくて、来週から遊べないんだ。ごめんね」

「いいよ、わかった。廉ちゃんは頭がいいもん、将来は東大生やね!」

「お母さんもそう言うけど、僕、本当はそんなに塾にも東大にも行きたくないんだ。もっと廉人と遊びたい」

「C学園のグラウンドに、一緒に見に行くのはかまへん?」

 廉ちゃんの目が輝いた。

「もちろん! その日は塾、休むから」

 甲子園の常連校であるC学園の練習を見に行く約束をしていたのだ。当日、出かける直前電話が鳴った。廉ちゃんだった。

「ごめん……今日、行けない」

 嗚咽しながら、途切れ途切れに言葉を絞り出す。

「本当にごめん……僕は行きたいんだけど、お母さんがどうしても駄目って……」

 全てを理解した。心を抑え、僕はいいよ、大丈夫、と告げて電話を切った。廉ちゃんとは六年でクラスが離れたし、それっきり会っていない。私立中学の制服を着て駅のホームにいる姿を一度見たきりだ。

 廉ちゃん、あれから何があったんだ。

 僕は取材ノートを用意した。二人も殺したんだ。極刑かもしれない。極悪人を擁護するのかと、知人をネタにするなと、非難されるかもしれない。
 だけど、優しくて気の弱かった君をこんな凶行に走らせた原因を、僕はどうしても突き止めたいし、世間に報せたいんだ。


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