ふたりの廉人 #SS
古橋廉人(三十六)文學界新人賞受賞。目覚めてすぐ僕は濃いめにコーヒーを淹れた。ネットニュースでいち早く知った知人から殺到する祝いに返事していて、ほぼ寝ていないのだ。
芥川賞の登竜門となる幾つかの大きな賞に応募し続けて十八年。やっと……やっと、報われた。さあ、これからだ。どうか芥川賞にノミネートされれば……!
新聞の一面から読んでゆく。昨日起こったJR神戸線の刺殺事件。自身の対応に追われていて、詳細を全く知らなかった。
横峯廉人……頭が混乱し、かすんだ。
まさか、あの廉ちゃん!
氏名も年齢も同じだ、間違いない。
廉ちゃん、君に何があったのか。
横峯廉人は小学校五年の春、僕のクラスに転入してきた。廉人、なんて名前は珍しいから、すぐお互いを意識して仲良くなった。名前が同じだから僕を廉人、彼を廉ちゃんと呼ぶことにした。廉ちゃんの家は町で一番大きな屋敷だった。
横峯化学の社長の孫。関東に嫁いでいた娘が離婚し、一人息子を連れて実家に戻ってきた。これらの内容を僕はおしゃべりな母から知った。
廉ちゃんの屋敷に行く。呼び鈴を押すとお手伝いさんが出る。彼女に連れられて階段を上り、廉ちゃんの部屋へたどり着く。
「はい、今週のジャンプ。お母さんが来たら隠してね」
部屋に入ると廉ちゃんが笑顔でジャンプを渡してくれる。母親に隠れて買った漫画を、廉ちゃんは鍵付きのスーツケースに隠しているのだ。たまに宿題を廉ちゃんに教えてもらう。彼は塾に通っていて、すごく頭がいい。
「ケーキを七等分したら一片の角度は何度でしょうか。ふつうケーキは七等分せえへんやろ」
「まあ、大体六等分とか八等分だよね」
「包丁にべったり付くからぜったい等分になれへんがな。それからなんで国語で同じ話を一ヶ月もやるねん。飽きるわ」
「それは僕も思う」
ふたりで声を上げて笑った。部屋にはたくさんの本があり、僕は漫画だけではなく本も読むようになった。だから小説を好きになり、創作を始めたきっかけは廉ちゃんのおかげとも言える。
ドアがノックされ、僕は急いでジャンプをベッドの下に隠した。廉ちゃんの母親が入ってきた。参観日で一番目立っている、とてもきれいな人だ。手にした盆にはケーキと紅茶が乗っている。
「いらっしゃい」
言葉とは裏腹に僕に向けるまなざしは冷たい。本当は早く帰って欲しいと思っているんだ。僕が貧乏アパートに住む子供だから。大人の思惑を僕は敏感に悟ってしまう。
年が明け、廉ちゃんが言った。
「僕、中学受験するんだ。それで、土日も塾に行かなきゃいけなくて、来週から遊べないんだ。ごめんね」
「いいよ、わかった。廉ちゃんは頭がいいもん、将来は東大生やね!」
「お母さんもそう言うけど、僕、本当はそんなに塾にも東大にも行きたくないんだ。もっと廉人と遊びたい」
「C学園のグラウンドに、一緒に見に行くのはかまへん?」
廉ちゃんの目が輝いた。
「もちろん! その日は塾、休むから」
甲子園の常連校であるC学園の練習を見に行く約束をしていたのだ。当日、出かける直前電話が鳴った。廉ちゃんだった。
「ごめん……今日、行けない」
嗚咽しながら、途切れ途切れに言葉を絞り出す。
「本当にごめん……僕は行きたいんだけど、お母さんがどうしても駄目って……」
全てを理解した。心を抑え、僕はいいよ、大丈夫、と告げて電話を切った。廉ちゃんとは六年でクラスが離れたし、それっきり会っていない。私立中学の制服を着て駅のホームにいる姿を一度見たきりだ。
廉ちゃん、あれから何があったんだ。
僕は取材ノートを用意した。二人も殺したんだ。極刑かもしれない。極悪人を擁護するのかと、知人をネタにするなと、非難されるかもしれない。
だけど、優しくて気の弱かった君をこんな凶行に走らせた原因を、僕はどうしても突き止めたいし、世間に報せたいんだ。