新聞歌壇の採用について #エッセイ
読売新聞の月曜には読者投稿の短歌と俳句のコーナーがあります。
※PやらQやらわけわからん感じになっているのをお許しください……
読売歌壇の4人の選者のうち、Pさんの選にQさんのお名前を久しぶりに見つけました。Pさん選にQさんは数年前はかなり頻繁に登場しておられました。QさんはPさんの所属する短歌結社Zの会員で、結社内で年に一度開催される新人賞を獲られた方。なぜ知っているかというと私もかつてZの会員だったからです。新人賞を獲られた程なので、おそらく現在も在籍しておられるのかな、と思います。
ここで私は「自分の結社の会員を優遇するのはずるい!」と言いたいのではないのです。例えば結社誌に読み応えある論文や歌人論を頻繁に投稿したり、生臭い話ですが笑、寄付金をしたり、そういう方が歌をたくさん採用されたり目立つ巻頭に掲載されるのは「アリ」だと思っています。
近年はネットで手軽に発表できるので結社に所属せず短歌や俳句を詠む方が多くなりました。だからどこの結社も会員不足で運営が厳しいでしょうから、貢献度の高い方を優遇するのはしょうがないかなと。といっても作品の質を無視するわけにはいかない。質と貢献度、結社の運営側にとってはそのバランスが難しいところだと思います。
私も若い頃は「実力で選んでよ!ずるいのは駄目!」と思ってましたが、年をとり大人の事情というものがだいぶ理解できるようになりました笑。
ただ、これは結社内に限っての話。読売歌壇を読まれているZの会員は全国にたくさんいると思われますが、彼らが「Pさんが結社を超えた新聞でもQさんを優遇している。それっていいの?」と思いやしないか?あるいは一般の読者が「Qさんばかり採られててずるい」と思いやしないか?大丈夫か?と、余計なお世話ながら私は勝手に冷や冷やしていたのです。
Qさんの歌は非常に理知的で確かに巧い。もちろんPさんが純粋にQさんの歌を優れているとして採られているなら問題ないのですが、私も一般誌でZの主催者様に割と採用していただいたので(その節はありがとうございました……言っても届かないですが💦)、伝統的にそういう傾向があるのかなあ?と。私自身は、だから採用されても割り引いて考えていた笑。
そういや全国大会で「主催者は若い人ばかり優遇する」とご年配の方に愚痴られた事がありました。確かにそういう傾向はあるかも、と思ったが、若い人の側に相当する私は返す言葉に苦労しました😅
短歌や俳句の世界では自分の結社の会員を若者に限らず優遇するのはよくあること。20年ほど前、私は各短歌雑誌の新人賞に2~3年、毎年応募していた時期がありました。最終に残ると賞によって人数は異なりますが大体4~5名の選者で選考され、〇(推し)や◎(いち推し)がつけられるのですが、自分とこの結社の会員につけておられるパターンの多かったこと笑。
ただ、やはり近年はこの傾向は薄れてきているようです。賞の発表の時期になると癖で雑誌を見るのですが、一次を通った方は最近は「結社無所属」が多いなと思うし、無所属の方が賞を獲られたり。そりゃそうだよな、ひとりでだって歌は詠めるし、発表できるし。ネットで古代~近代・現代歌人の歌が検索できるしネット歌会もあるしで、ひとりでだってどんどん上達する。なにより年間2万近くの会費を払わなくていいもの……。
とは言っても結社所属のメリットはまだ消えてない。教科書や新聞に歌が載っているような、憧れの歌人に会えるのがそのひとつ。そんな彼らに講評してもらいたいって方は入ってみられるのもいいんじゃないかなと思います。歌会や全国大会(どこの結社でも大概年に一度行われる)でお会い出来たりするので。
最近はQさんのお名前をみかけなくなったので投稿を止められたのか、あるいはPさんが自重されたのかと思っていましたが今朝久しぶりにお名前を拝見し、Zにいた頃が懐かしく、書いてみようと思った次第です。
表題はいまぱっと浮かんだ、高野公彦の好きな歌です。