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夏目漱石の職業観

私は昔、企業向けの、B2B営業をやっていたんですけど、電話でアポイントをとって、テレアポですね、新規開拓の、アポをもらって訪問してました・・・行くとね、あれっ、電話で話していたときとイメージが違うなあということがよくありました。

電話で話してると低い声で話されていたので、割と体格の言い方なのかなと思っていて、実際会ってみると、すっごい痩せている人だったり。

メラビアンの法則、ご存知でしょうか? 人に対する印象は、見た目6割、声3割、話の中身1割で決まる、そういう法則ですが、声だけとか、メールだけのイメージと実際会った時のイメージには相当なギャップを感じることはよくありますよね。

小林秀雄、昔の評論家ですが、講演したときの音声が残っているんですよね。それを聴くと、このひとの評論を読んで、なんとなくですけど、持っているイメージと全然違う印象を受けることがあります。小林秀雄の話し方は、まさに、落語家。たんかの切り方とか、歯切れのいい、威勢のいい、江戸ことばで話してるんですよね。

だから、こういう音声が残っているというのは、ほんとうに、貴重ですよね。

漱石の講演録を読む

漱石は、何度か講演していて、それが講演録として残っていますが、今回は、「無題」と「私の個人主義」の2つをレビューします。「無題」は東京高等工業学校で、「私の個人主義」は学習院での講演です。どちらも大正3年に、学生に向けた講演で、何度も何度も頼まれて、行きがかり上、断れきれなかったみたいですね。どちらの講演でも、冒頭にそんな話をしています。読んでいると、漱石の言葉遣い、おそらくイントネーションも江戸言葉だったんだろうなというのは感じるんですけど、どんな声でしゃべっていたのかなと気になったりします。肉声が残っていると小林秀雄と同じように、ずいぶん印象は違うのかもしれません。国民作家だし、文豪だし、お札にもなった人ですから、それっぽい、重々しいというか、威厳があるような声とはかけはなれていたんじゃないか、そういうイメージもあながち間違ってない気がするんですけどね。

大正3年というと、漱石48歳。朝日新聞に『こころ』を連載していた時期で、持病の胃潰瘍を繰り返していた時期です。

「無題」、大正3年1月17日東京高等工業学校

「私の個人主義」、大正3年11月25日学習院

大正3年、こころ、朝日新聞に掲載。

漱石、48歳。胃潰瘍を繰り返す。

ScienceとPersonal

「無題」と「私の個人主義」、2つの講演録に共通するテーマは、職業観です。どちらも学生に向けた講演ということもあるでしょうが、何の準備もしてこなかったという割には、漱石は、ここで、職業についての自説を見事に展開しています。そこに、現代のわれわれにもヒントになるようなことを探していきたい。

まず、「無題」という講演ですが、大正3年1月ですね、まず、行きがかり上、仕方なく壇上に立つことになりましたという前向上にはじまって、最初に漱石が文学者になろうと思ったきっかけが語られます。それによると、漱石は高等学校のころは、建築家になろうと思っていたらしいんです。家に財産もなく、働かなくてはいけないけれど、どうも自分は愛想が悪い。愛想が悪くても、技術さえあれば食べてはいけるんじゃないか、そう思って建築家になろうと思っていたらしいんですが、同級生に、おまえ、文学者になれと言われて、文学者になることに決めたと言っています。自分の考えよりも同級生の言ってることのほうが説得力があると。それで東京帝国大学に入ったと。本来、自分は君たちと同じ立場だったかもしれない。しかし、友人の言葉をきっかけに文学へとすすんだため、君たちとは立場が異なってしまった。そういって、漱石は、自分と学生との立場の違いを設定して、職業観を展開していきます。

そこで、キーワードにあがってくるのが、「開化」。文明開化の「開化」ですね。漱石によると開化は、人間が自身のエネルギーを注いでいく2つの要因にわけられる。節約と消費。この2つです。

節約は、飛行機や電車を作ったり、手仕事を機械に置き換えたりすることで、現代の身近な言葉でいえば、効率化、生産性向上のことを言っている。聴いている学生はこちらの立場です。

消費は、文学、美術、音楽、演劇などで、漱石はこちらの立場です。

節約は、science、科学、普遍的な世界、

消費は、personal、個人を中心とした世界。

scienceの世界は、再現性が大事な世界です。工場で、一定の規格にあった製品が製造されるというのは当たり前のことで、これが、どの車も一台、一台、品質のレベルが違うというのはありえない。その意味で、いつでも、誰がやっても、期待どおりのアウトプットが生産されることが大事です。一方、personalな世界では、全く同じことは2度と起こらない。小説を書く時に、一字一句同じ小説を書くというのは、ありえない。scienceの道理は、文学では通用しない。たとえ親であっても、自分の親とそっくり同じ人生を送ることなんかありえない。再現されることはない、それが個人の世界。しかし「personalなものの奥にlawがある」。そのLawがあることによって、小説と読者がつながっていくんだと、漱石は言っています。

節約と消費、この構図は面白いなと感じます。対立しあっているんじゃないんですよね。節約というのは、今までよりも少ないエネルギーで、これまで以上のアウトプットが手に入るということですから、そこで使われなかったエネルギーは消費に、つまり文学などに回せられるということなんですね。

scienceの世界で職につくとしても、君たちにも個人としての立場もあるよねと漱石は学生に投げかけています。東京高等工業学校という、将来、工業分野へ就くんだろうと予想される学生であったからこそ、scienceとpersonalといった話をしている。

開化とは人間のenergyの発現の経路で、この活力が二つの異なった方向に延びていって入り乱れてきたので、そのひとつは活力節約の移動といってenergyを節約せんとする吾人の努力、他の一つは消耗せんとする趣向、即ちcomsumotion of energyである。この二つが開化を構成する大いなるfactorsで、これ以外には何もない。

無題、夏目漱石

節約、「距離をつめる、時間を節約する、手でやれば一時間かかる事も、機械で30分でやってしまう、あるいは手でやれば一時間かかって一つできるところを、10も20もつくる」。

消費、「文学、美術、音楽、演劇等」、「なくてすむもの」「しかもありたいもの」。

個性を活かす

「私の個人主義」は、大正3年11月学習院での講演ですが、さきほどの「無題」とは違って、権力と金の話が出てきます。それは、漱石から見て、学習院の学生は、卒業すると、権力と金を手にする可能性が大きいと、華族でしたかね、階層を踏まえた話を漱石はしています。

この講演も例によって、義理を欠いてはなんやらといいながら、断りきれずに壇上に立つことになりましたという前向上ではじまるんですが、この前置きが結構長い。でいつのまにやら、自分の学歴、職歴についての話に入っていきます。

大学在学中から早稲田でも教えていたようですけど、いつのまにか、教師にされてしまっていたと、しかも、教師に何の興味ももてない、そう漱石先生は30ぐらいまでの自分を述懐します。

国から留学にいきなさいといわれて、イギリスにいきます。

そこで、今まで他人本位でやっていたからダメだったんだと気づき、これからは自己本位でいくぞという信念をもつと、非常に自信と安心がでてきたと。

他人本位は、簡単に言えば、人真似、西洋のマネして尻馬に乗って騒ぐ日本人という言い方がされているわけなんですが、たとえば、今、イギリスでは、フランスでは、こういうものが流行っている、そういう話をする日本人の周りに人が集まってくる、あるいは、カタカナ語を使うひとが尊敬されるとか。

漱石は自分もそうだったと認めているんですね。これはすごいと思う。

ヨーロッパって、当時、日本にとっての未来予想図だったはずなんですね。目標というか、欧米列強と同じことをして、肩を並べようとしていたんですから、それではダメなんだってことに気づいたというのは、すごいと思う。その気づきがあっての自己本位ですから。他人を尊敬するのと同じくらい、自分の存在も尊敬するってことなんで、それが個人の幸福の基礎、ベースになると漱石はいう。それが漱石の個人主義です。

この講演で漱石が強調しているのは、今言った、他人を尊敬するのと同じくらい、自分の存在も尊敬するってこと、その他に権力と金についても語っています。要はマウンティングの話をしているんですね。権力には義務が伴う。権力というと、地位や身分、立場をイメージすることが多いですよね。そういうものとして、漱石は権力を考えていません。例えば、講演者としての自分は聴衆に静かに聴いてくれという注文に伴って、聴くに値するだけの話をする義務があるんだと言っています。お金もどう使うかに責任が伴うんだと言っている。金の力でねじ伏せる、とか、であれば、ねじ伏せたことの責任をとれってことですね。最近でこそ、社会責任投資って考え方が出てきていますが、大正時代にそれと近いことを言っているひとがいたんですね。

事実私どもは国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもある。

私の個人主義、夏目漱石

「もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏み潰すまで進まなければだめですよ」
漱石は学習院の学生にそう語りかけています。
自分の個性と自分の仕事があったところに安住の地が見出せるんだといっています。
ただ、これ、自分にあった仕事をさがすってことではないと思います。
むしろ、仕事を通して個性を発展させてく、また、個性を活かした仕事をやっていくってことじゃないかと思うんですよね。

それでは、また、次回、よろしくお願いいたします。




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