チョコレートが存在しない街
チョコレートが存在しない街があった。
チョコレートが製造されず、外部から入荷もしない。完全にチョコが文明から切り離されている街だ。
その謎を突き止めるため、一人の探偵が雇われた。彼はとある商人からの依頼で、その街でチョコを売るための調査を命じられたのだ。
スーパーもコンビニも、昔ながらの駄菓子屋もある。しかしどの店舗にもチョコはおろか、チョコ菓子やチョコ味の食べ物も売っていない。
住民にチョコを売っている店は無いか尋ねると、「チョコレート…って?」という風に誰もチョコを知らない。
自分で調べようと携帯を開くも、なんとチョコレートの検索結果がまるでヒットしない。
それだけではない。携帯の中のチョコレートの画像が見当たらないのだ。商人から受け取った紙の資料にも、文字と画像ともにチョコレートの痕跡がない。
探偵は焦った。いずれ自分の脳からも、チョコレートの記憶や概念が消えてしまうのではないか。そうなったら自分の脳にどこまでの影響があるか計り知れない。
調べて回っているうちに日が暮れていた。疲れからか、あるいは恐怖や焦りからか、もはや自分が何を調べにこの町に来たのか分からなくなってきた。このままだとこの街に呑まれてしまう。この異常な街の一部になってしまう。
報酬は要らない。帰ろう。
探偵はそう決めて踵を返した時、その空に絶句した。
「みんなシェルターに逃げろ!奴らが降って来たぞ!」
住人たち叫び、喚きながら最寄りの地下シェルターに逃げ隠れていった。警報機が街中に鳴り響いて、建物が不快に反響させる。取り残された探偵は、夜空から降りてきた”それら”に対峙した。
『 を知っている人間がいるそうな』
『さようか…狩らねば…狩らねば』
姿かたちが見えず、声も聞こえない。しかし何かが眼前に存在し、それが複数立ち並んでいるのが分かる。感じ取れる。
『狩らねば…狩らねば…』
『 はおいしい。ゆえに、食べてはならぬ』
『 はぁぁぁ…、太るぞぉぉぉ…』
何のことを言っているのかまるで分からない。得体のしれない恐怖が皮膚を這う。逃げようか、いや、囲まれた。気配で分かる。自分の頭の中から何か大事なものを消し去ろうとする意志が伝わる。
逃げ場がないまま姿の見えない何かに囲まれた。もう終わりか。しかしその時——。
「チョコレートいかがですか——!!」
静まった夜の空気に、あの男の声が響いた。自分を雇った商人だ。
見えざる奴らのすべての敵意が、そちらに一瞬集まった。その一瞬で、探偵は思い出した。お腹すいたら食べようと思って鞄に忍ばせていた、食べかけの板チョコを。
『貴様!何をしている!』
「うるせえ!おやつ食ってんだよ!」
探偵は板チョコを齧りながら笑みを返した。奴らの正体は、チョコに対する煩悩。
人々は一切の懸念なしにチョコを食べることは無い。肌に悪い、太る、虫歯になる、食いしん坊だと思われる、手や物が汚れる、子供がチョコばかり食べる。チョコは甘美であるがゆえに、幸福感の反動の大きいお菓子でもある。
そういったチョコに関する心配事や悩みが集合体となったのが、今目の前にるやつらだ。やつらは、人が抱くチョコに対する後ろめたさそのものだ。
それにしても、チョコがうまい。夜中に食べるチョコ、一日の最後に食べるチョコ、疲れ切った時に食べるチョコが、世界でもっともうまい。
「食いたいもの食ってなにが後ろめたいんだ。うまいものはシェアするのが人類の道理だ。この街で、流行ってもらうぞ」
姿なき奴らの敵意が二分した。一方は商人へ、もう一方はこちらへ。
来るがいい。人の心に棲まう魔性よ。人生のご褒美を人間から遠ざけようとするなら、相応の報いがあると知れ。
今回の調査結果:むやみに人から幸せを奪うな。
その後その街で、チョコレート事業が大成功するのだが、その裏で何が起きたかを知る者はいない。
完
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