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シマウマ?地球儀?(ちょっとした独り言)

こんばんは。松川です。ギフテッドという表現がやっぱり苦手で「シマウマ」が、今の所最もしっくりきています。が、そうは言ってもギフテッドという単語を使ったほうがわかりやすいハズなので…。そして、このネタに結構こだわるのは、今読んでるのが、その手の本だから。でして。(あと、まぁ、今ちょっと、コミュニケーションに行き詰まっているからかな…)

IQはあんまり関係ないような…。

IQテストでは、もしくは「だけでは」、おそらくギフテッドか否かって判断できないと思うのです。「そういう思考のタイプ」ってことなので。私風に言えば、「普通のシマウマ」もいれば「少々足の遅いシマウマ」もいるだろうし「シマウマ界のレジェンド(書きつつ、なんだ?と思った!)」みたいな、スーパーエリートシマウマさんもいるかもです。が、いずれにせよ、このタイプの人であっても、程度があるわけで…。よって、IQでは、少なくとも「だけでは」測れないと思うのです。まぁ、日本の学校の偏差値よりはマシなのかな?ってぐらい??つまりね、IQが普通のシマウマだっているのですよ。(私本当に子供の頃に1回受けただけでスコア非公開なので、今受けたところで、IQは平均値前後ぐらいだと思う。極めて良くもなければ、極めて悪くもないんじゃないかなぁ…。でも、お馬さんタイプ(つまり、よく言う非ギフテッド)ではないと思う。つまり、特別天才だとは思ったことなどはないけど、比較的多くいるとされている人とは、明らかに思考タイプは違うと、最近認識したかな…。

思考のタイプは、世界地図?地球儀?

なんというか、私の中では、もう少し円環というか、球体的なイメージなんですよね…。ざっくり言うと、2次元の表現はしっくりこない。

世界地図ではなくて、地球儀のようなイメージ。日本を中心にしている世界地図だとロンドンとNYって端っこなので離れていますが、地球儀だとすぐ横。そんな感じというか…。

物事を世界地図で考えるタイプの人なのか、地球儀で考えるタイプの人なのか?みたいな。どっちがいい悪いではなく(世界地図タイプのほうが持ち運び可能だし、容量少なくていいのでいろんなパターンの世界地図持てるだろうし)、単純に「こういうタイプ」って話。常にグーグルアースが使いやすいとは限らないじゃん?そんな感じ。ただ、人とか、なにかの能力を測る時、地図みたいな2次元でマッピングするのって、なんか微妙に違和感があるんだよね(そういう意味だと、◯◯フレームワークが苦手な理由もこれかも)。せめて円環か、球体で表現したほうが近いイメージになるんだが…。これ、なかなか伝わらない。あ、円というと、PDCAサイクル思い浮かべる方いますが、それとは全然ちがいますよ。PDCAサイクルも、おそらく資料の関係上2次元の円にしているんだとは思うけど、螺旋階段的じゃないと意味ないと思うんだ。それぐらい、XY軸だけじゃなくて、「Z軸(もしくは深さ)」に意味があると思うんだよね。

優劣ではないんだけど、世の中たぶん「自国を中心とした世界地図タイプ」の人が多くて、「地球儀タイプ」の人は少ないんだよね。かと言って「地球儀タイプ」が天才とは限らない。地球儀にだって、精度や大きさなどそれぞれ違いがあるから。それに、地球儀だって上下逆さまにして考えない人もいるから。地図の方が、さくっと見方を変えやすいときだってある。だから、どっちが正義という話ではない。ただ、その人が情報を頭の中でどう処理して、どういう視点で見るのか?否か?という話で…。

そして「地球儀タイプ」の人が「自国(仮に日本)を中心とした世界地図だけが正義」という人とはコミュニケーションとるの難しいよね。だって、彼らからすると、どんなことがあっても「ロンドンとNYは遠い」が「正解」だから、そんなこと指摘されるとも思ってないだろうし…。ちょっとでも違う地図を見れば「そんなこと無いかも」と気づいてくれそうなんだけど、複数の地図を持ち合わせている人は少ないのかな?と思ってみたりです。地球儀的に物事を考えたい私としては、どうしても「うーん…まいったなぁ」なんですよね。こういう方々と会話をするのに疲れてしまいました。どうしたらいいんだろう。地球儀でも投げつけとく?

10代の頃、すごくユニークな友人がいました。

すごく素敵な友人なのですが、日本の高校入試の偏差値だけでざっくりわけると、友人の進学先は偏差値40ぐらいの学校。私の進学先は偏差値65ぐらいの学校(この学校にも面白い友人がたくさんいたのですが、それはまた今度で)。つまり、日本における高校の偏差値だけでいうと、20以上の開きがあるんですね。しかし、友人とはすごく楽しい会話ができるのです。例えば「理科」とか「社会」とかは特に。この友人と私の関係においては、世間一般に言われている「偏差値違うと会話できない」というのに、当てはまらないんですよ。私が思うに、友人は本当はすごくいろんなことを理解していたと思うのですが、シンプルに、日本の学校の試験と合わなかっただけなのでは?と…。思うのです。それぐらい会話してて面白い子だった。
(あ、特定されるのさけるためにあえて「友人」とか「この友人」と表記しますね)

私からみて、友人のほうが、圧倒的に疑問点や質問が面白く、一緒に「これ、なんでだろうね?」「何が起きてたんだろうね?」と話してると、楽しく、時間はあっという間。ただ、なかなか疑問点を言ってくれない。これって、おそらくだけど、過去に「あ、変な質問したかも」的な経験があったからなのかな?と推察しています。

映像や写真みたいな感じで、教科書をざーっと覚えちゃう私よりも、本質をずっと考え続ける友人のほうが、ずっと頭いいのでは?と思っています。それでも、おそらくですが、友人と私は同じタイプの人で、ただ、友人のほうが、「思考し続ける」ということにおいては、より深い(より、ギフテッド)タイプなのではないかと思います。

友人も私も偏頭痛持ちで、ド近眼で、アレルギーがあって、妙なところが過敏で、こだわりが強くて、泣き虫で(感情的になりやすくて、涙もろいのです)、繊細で、結構傷つきやすいのに、正義感が強くて、いざとなると「それやめなよ!」と立ち向かっちゃう。上げるときりがないほどの共通点があって、私は大好きな友人でした(もちろん、今でも大好きです!)。ただ、日本の学校の「偏差値」だけで区切ってしまうと、おそらく、友人と私は全然違うタイプに入ってしまいます。そして、おそらくですが、IQテストだけだと、やはり違うタイプに入るのかな?と推察します。(友人は「深く考え込むタイプ」なので)

私達にはすごく共通点が多いのに、それでも、何かの2次元的な試験結果だけでは、おそらく違うタイプとされてしまうのではないかと思います。個人的には、私達は「似たタイプ」だと思っています。

日本における、ギフテッド教育(浮きこぼれさんたちを救済する)が、もう少し前向きに進めばいいのになと思います。多様な考えがある方が、種として強いよ。これほんと。

というわけで、今日のは完全に雑記。なんか考えを吐き出したかったのです。はい。

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