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よし!転職しよう②

地方在住の元ソフトウェアエンジニアのAKIRAと申します。前回の記事をまだ、読んでいない方はご興味があれば過去の記事をご参照ください。

この記事は、私の体験を元にした転職に関する様々な出来事を、多少のフィクションを交えつつお届けできればと考えています。お暇潰しになれば幸いです。

【初めての転職】

前回の続きですが、初めての転職のきっかけは結婚でした。私はいわゆる逆格差婚に近い状態で、収入は妻の方が高かったおかげで結婚当初は問題ありませんでした。しかし、妻も結婚を機会に仕事を辞める決断をしたため、私の収入だけでは生活は苦しくなるのが見えていましたので、どうにか収入を増やさなければなりませんでした。

また、仕事はホワイト企業に派遣されていたので充実していたのですが、プロパー社員(派遣先の正社員)との年収格差は大きく、同じ仕事をしていたとしても給与に倍近い差が出るのだと実感した事もありましたので、プロパー社員にならなければ年収は上がらないと確信した時期でもありました。

今は同一労働・同一賃金の考え方が進んでおり、派遣社員との差は少し縮んできたように思います。逆に、正社員の方が責任が重く、会社のルールに縛られている分、派遣社員の方が守られるようになってきたと最近は思います。昔の格差があった事による、逆転現象のような事が起きてきており、この事が若者の離職やフリーランスを選択する理由なのかもしれません。ただ、2000年代初期あたりは派遣社員の給料はかなり安かったと思います。

なので、就職の最優先事項は年収UPでした。この頃から転職サイトが増えてきており、地元を中心に探したものの、地元では選択肢が非常に少なくホワイトな企業はいわゆる一流企業や地場のインフラ系しかありません。

そういった企業の応募要件の多くは四大卒(四年制大学卒業)であり、最終学歴が高卒の私は応募すら出来ませんでした。派遣先2社目のホワイトな会社にダメ元でかけあってみたのですが、可能なのはアルバイトとしての採用しか難しいという結果でした。

この四大卒という条件は、当時も今も足切りとして一般的な要件かと思いますが、世間知らずな学生時代の私は意識できていませんでした。今は面接をする側になって、学生を面接するときに、学歴が重視される理由も良く理解できます。もちろん大学に行っていなくても優秀な人は居ますが、複数の応募者から絞りこむためには一つの重要な指標として学歴は存在します。(この学歴社会についてもどこかで時間があれば記事にしたいと思います。)

こうなると、ホワイト企業は諦めるしかありません。多少ブラックでも年収を上げなければ、生活出来ませんし、そうなってくると当時は話題になったITベンチャー企業関連への就職に方向性を変えるしかありませんでした。ただしかならずしも大手がホワイトで中小・ベンチャーがブラックというわけでも無いというのはどちらも経験した立場としておいおい記事にしていきたいと思います。

そして転職サイトで条件に会う会社を探し、見つけた会社は地元を離れ、いわゆる中核都市への移住を決断させるのでした。

【人生と仕事】

仕事は所詮は飯の種、されど人生の多くを占めるものでもあり、楽しく仕事できればプライベートも充実するのではないかと思います。また、逆にプライベートが充実しないと仕事もうまく行かないのではとも思います。

思えばこのときが人生の最大の岐路に立っていたのだと、過去を振り返ると再認識させられます。結婚して3年目、転職活動中になんと妻の妊娠という大きなイベントが発生し、転職・移住・出産と一気に3つを乗り越えなければならなかったのです。(今回は転職にフォーカスしておりますので、移住・出産は割愛します。移住についてはこれも別で記事にしたいですね。)

仕事をどのようにして選ぶべきかは非常に難しいと思います。当たり前のこととして将来性のある会社を選びたいところです。しかし数ある会社の中でどこが将来性があって伸びるのか予測が立てば苦労はありませんし、自分が入れるか解らないという問題もあります。

私の調べ方はシンプルにまず会社のホームページを細かく見ます。ある程度きちんとしている会社は定期的にメンテナンスされているので作りっぱなしのサイトは危険です。メンテするリソースや暇が無いのかもしれません。そして会社の理念やビジョン、代表のメッセージなどあれば共感できるか確認します。この頃からブログが流行っていたので、開発者ブログなどあればどういった技術にフォーカスしているかなど確認します。あとは【2ちゃんねる】に変なスレッドが立っていないか確認します。今もですが、小さい会社でも多少は中の人の愚痴が見れる事もありました。ただ、悪い事が書いてあっても鵜呑みにしない方が良いと思います。情報が古かったり、その人が間違っている場合もありますからね。最近は【転職会議】といった口コミサイトもありますが、参考程度にしておいた方が良いでしょう。似た会社で比較して点数があまりにも低い場合は注意したほうが良いかと思います。ただある程度の大きさの企業になったらそういうサイトへの対処もしている気がするので真実はどこにあるのかわかりません。

私の選択方法は基本的に時代の流れに乗れる会社かどうかを見て決めてきました。このときのキーワードはデジタル化です。とある業界が大きくアナログからデジタルに切り替わるときでしたので、仕事も増えて儲かるだろうと見ていました。実際その通りになりましたので、この考え方は一つの手法として、ある程度は機能します。ただし、その後に時流に乗るだけでは不十分であることを痛感することになります。

始めての転職で印象深いのは、面接官である会社の役員の方が遅刻して現れた事でした。ネクタイを締めながら「ごめんねー。」と愛想笑いをしながら入ってきたとき、私は内心「この会社大丈夫かな」と心配になりました。

しかし私のスペックは前回の記事に載せた通りで、まだ駆け出しのプログラマーでしかありませんでしたし、設計や管理の経験も無く、情報処理の資格すら持っていませんでしたので、贅沢は言えない立場でした。私が決めていた面接での唯一のポイントは年収UPでしたので、400万以上を目標に希望年収などを伝え、それ以外は会社に従う方針で面接に臨み、転職活動1社目で条件(年収100万UP)をクリアしたためそのまま入社を決めてしまいました。よく考えれば中核都市の平均年収を考えれば普通の年収だったのかもしれません。(底辺から普通になっただけでも良しとしましょう)

本来は数社受けて、一番条件の良いところを見極めて入社を決めるのが良いかと思いますが、転職と同時に移住と妻の出産もあったため、【勢い】が重要な時期ではありました。若かったというのもありますが、大きな筋を外してなければ【勢い】は重要です。そして、複数社の内定をもらって迷ったときに、片方に入社後に断った会社が良かったのではと未練がましい思いをするのも嫌でしたので、自分のスペックで入れそうな会社を見つけ、一点突破で勝負というのも私の中ではアリかなと考えています。ダメだったらまた転職すれば良いのです。

【入社後の落とし穴】

入社後になるほどと感じた事があります。それは、私が代替要員として採用されたということが入社後に分かったのです。これはIT業界のあるあるかもしれませんが、前任者が退職するのでその引継ぎをする事になったのです。(入社を急かされた記憶がありますが、そういう事かと納得した瞬間です。若干の地雷臭がしますね。)

これが入社前には聞かされていないなかなかにでかいシステムの引継ぎだったのですが、運よくこのシステムはその後たいして手を加えず、そっとしておく事になったためここで地獄を見る事はありませんでしたが、その後に本当の地獄が待っていたのでした。(ちょっと大げさかもしれません)

あまり詳細に書いてしまうと身バレしてしまうため、ざっくりとぼやかしながら書いてはいますが、入社後に様々な落とし穴がありました。この落とし穴の詳細はもしかすると参考になることが色々とあるかもしれませんが、長くなると思いますので、興味のある方だけにそのうち限定で公開できればと考えています。落とし穴だけでなく、対処方法も色々とあるので、需要があればとは思います。

【年収UPの勘所】


転職先を中核都市にした事で、物価が上がり年収を上げ易くなりました。地方では平均年収が低く、就職先も少ないので競争が生まれにくく年収を上げにくいと思います。中核都市ですと、平均年収が高いので成果を出せば年収が上がるということを実感でき、年収UPという目的は果たせました。

また、会社が情報処理の資格に手当を出してくれる会社でしたので、基本情報とソフ開(ソフトウェア開発技術者)、今でいう応用技術者を取得したのも年収UPに多少貢献しました。またOSSを調査・実証していた経験もありJava界隈はOSSで溢れていましたので、この経験を元にSEとしての仕事ができるようになったのも大きかったと思います。

そして結婚して子供が居るという事も大きな要因だろうと思います。昭和的な考え方かもしれませんが、一家の大黒柱なわけですから、会社としても配慮や家庭を持って居ることで簡単には辞めないだろうという安心感はあったのかもしれません。(そういえば転職後、マンションも買いましたね35年ロンで…。そりゃ逃げられないわ。)

年収UPの要因をまとめるとこんな感じでしょうか。

  1. 中核都市に住む(大きい都市:東京・大阪・名古屋・福岡など、今はリモートワークもできるので地方に住みながら都会の会社を受けてもいいですね。)

  2. 資格を取る(国家資格が無難、情報処理は受験料が安いかと、ベンダーの資格は総じて高いですが、その会社が必須とするなら頑張って取りましょう。)

  3. 結婚する(昭和的な経営者なら有効かもしれません。今は関係無いかもしれませんが、自分を追い詰める良い材料かもしれません。ローンを背負うとさらに…。)

【転職後5年経過】


そうこうしている間にあっと言う間に転職して数年(5年程度)経過の私のスペックは以下の通りです。

  • 年齢:30歳

  • 年収:500万

  • 家族構成:3人

  • 居住エリア:中核都市

  • 資格:英語(TOEIC600点)、基本情報・ソフ開

  • 経験:PG6年、SE5年

    • 言語:Perl1年、C++2年、Java7年、HTML/CSS10年

    • OS:Windows2000/XP、RHL/CentOS

    • IDE:VisualStudio、Eclipse

    • フレームワーク:Struts、Velocity

    • DB:Oracle、PostgreSQL

    • その他:Photoshop、illustrator

  • 特殊:オブジェクト指向7年、XP/スクラム2年、CMMI2年

転職後の5年間で得た経験は、念願のSEとしての仕事ができるようになった5年間でした。妻に子育てを任せて資格試験の勉強や当時はIT系の勉強会なども盛んに行われていましたので参加していました。家のローンも返さないといけませんでしたので、仕事は積極的に新しい事に挑戦していましたしベンチャー企業というのもあって多くのチャンスをいただけました。ただし、働き方は今を考えれば異常だったかもしれません。朝は9時くらいから仕事を始めて終電の夜12時くらいまで働くというのが普通だった記憶です。(記憶が曖昧ですが、妻も同じ認識でした。)

そして、SEからPMに昇格していくことになるのですが、ビジネスの難しさを痛感する時代に突入していくことになります。

今回はここまで、また次回。

【次回予告】

営業マンとITエンジニアの大きな溝、両者は永遠にわかり会えないのでしょうか・・・。


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