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坂の上の家

私の家の前には坂がある

夏の盛りに歩けと言われたら
苦行でしかないだろう

嫁いだあの日
私は運転免許を持ってなかったから
歩いて上るしかなかった

色々都合が悪かったからか
結婚した後、ほどなくして
私は、運転免許の教習場に通った

免許を取るまでは
この坂の下の県道にあるバス停から
街の中心街まで向かわなければならない

幾度となく不便だと思ってはいたが
愚痴にすることはしなかった

口にするほどのことでもないと
言い聞かせていたのかもしれない

息子や娘が幼かった頃は
よく手をつなぎ、この坂を下って
夏祭りに向かった

うちの向かいの山にある
お稲荷さんはこのあたりの氏神様だ
参道に屋台が並んで、あの当時は
今よりもっと人であふれていた

祭りの活気が、私は好きだった
玉のような汗を額に浮かべて
息子がかた抜きに挑戦している姿は
ここに嫁いで良かった、と思えたものだった

毎日、この坂を上るとしても
毎日、この坂を下るとしても

それがいつしか、歩かなくなって
車のスピードで
景色を眺めるようになっていた

今日も草むしりの合間に腰を上げ
とんとんと尻だか腰だかを叩きながら
この坂を眺めている

この坂に、私の人生の足りなかった何か?
いや、私の人生そのものを
投影させていたのかもしれない

そろそろ、家に入って涼もう
この歳になると、熱中症が怖い
前触れもなく意識を失うというではないか

坂の上にぽつりとある1軒屋
独り身の私がここで倒れたら
それは死を意味する

もっともっと
自分に優しくなければならないと思った



私の名前は木本夏子、歳は78歳
生まれは名古屋で、両親は商人(あきないにん)だった

父の知り合いの縁で
この地域の名士の家の息子である
康夫と見合いで結婚

この知多に嫁いできた

名古屋の街中で育った私が
この何もない田舎町に来た時は
驚きを通り越して、呆然としてしまった

この坂をはじめて上る時
夫は荷物を持ってくれたが
永遠と続くのではないかと思ったほどだ

そんなことを言っても

人とはどうして慣れてしまうもので
ほどなくして息子と娘の子ども2人をもうけると

運転免許をとった私は
地元の老人ホームの調理員として働いた
本心を言えば
結婚したら専業主婦になりたかったが

私は定年まで勤めることになる

子どもたちを、いや
娘はともかく
息子だけは大学まで
入れてやりたかったからだ

夫の康夫は地元企業を定年まで勤め
夫の収入だけでも派手なことをしなければ
毎日を暮らすことはできたが
やはり息子の学費を工面するには
私が働きにでる必要があった

夫は木本家の次男坊だったが
長男を早くに亡くしており
夫が長男として育てられたらしい

夫はまさに昭和の長男坊みたいな性格で
口数が少なく、曲がったことが大嫌いな
ぶっきらぼうな人だった

義理の母の期待を一身に受け
長男としてこの木本の家を守ってきた

そんな坂の上の木本家に嫁いだ私は

概ね、幸せだったと思う

義理の母は口は悪いが
共働きだった私たちの代わりに
家事や育児を担ってくれた

夫も根が真面目なので
面白くはないが、頼りになった

だから、私は概ね幸せだったのだと思う

そうだ、欲をいえば
夫婦で旅行に行きたかった
近くの温泉宿でゆっくりするだけでもいい

共働きで定年退職したころに
義理の母の介護が必要になって
そして、5年前
私たち夫婦で何とか看取ることができた

義母も夫も、介護は嫁が看るものだ
という習わしのもとに生きてきたから
私には、介護をしない、という選択肢はなかった

義母には恩義もあったので
介護自体はそこまで苦ではなかった
いや、そうすることが当たり前なのだから
疑問にも思わなかった

その義母が亡くなり
やっと2人の人生が始まる
とはいえその頃には

夫は78歳、私は73歳
家からでることのなかった老夫婦が
今さらどこに楽しみを求めるだろう

そして運が悪く、その義母が亡くなった2年後
今度は夫がパーキンソン病になる

徐々に表情がなくなってゆく夫を見ていると
もう旅行に行こうなどと切り出せなかった

ふたりの時間は、あの頃はなどと言って
取り返しのつくものではなかった

もしかしたら夫は、旅行なんか
行きたくなかったのかもしれない
いや、私を連れて行ってやりたいとは
思っていたのかもしれない、が、、、

そして先々月、夫は肺炎で死んだ

私の小さな希望は
一度も達成されずに終わってしまった

ひとりで、旅行など行く気にもなれない
そもそも旅行の仕方さえ、分からないのだ


夫は7人兄妹で
弟たちは家を出て独立し
ほぼ疎遠になっているが
岐阜に住んでいる妹はよく遊びにきていた

義妹の名前は、妙(たえ)

妙は、派手な性格で
見た目も持っているものも華やかだった
毎回、仕事の話を聞くのだが
何かのデザイン関連であろう
ということくらいで
何の仕事なのかサッパリ分からない

ただ、そんなに上手くいってないのだけは
知っていた

なぜなら、うちによく来るのは
義母に金をせびりにきていたからだ

娘の大学費用に結婚資金
家のローン、車代

義母は、妙に散々文句を言いながらも
お金を工面していたようだ
義母が認知症になり
家のことを夫の康夫が取り仕切る様になると

今度は、妙は夫に金の無心をはじめる

夫は、長男という期待に応えたかったのか
それとも妙を不憫に思っていたのか
いっさい口にしなかったので
本当のところはどう思っていたのか分からないが
妙にできる限り、金を工面するようになった

その額、分かっているだけで
3000万
義母が残してくれたわずかな財産と
私達の貯金はみるみるうちに減っていった

妙ちゃん、あなた独り身になったんだから
あの大きなおうち、手放してもいいんじゃない?

身の丈に合わない生活をしている妙に
夫のいないところを見計らって
私は、言ったことがあった

でも妙は

あの家、すごくこだわって作ったから
気に入ってるの
娘も帰ってくる家がないと悲しいじゃない

そう笑顔で返してきた

2年ほど前、夫が妙にしびれを切らし
返済の話をしたことがあった
私からすると、やっと?な気持ちだったが
いよいよ自分の身体も生活も
マズいなと思ったのだろう

妙は、少々驚いたようだったが
返済の気持ちはあると言い
月に2万、振り込むことを約束した

夫は、妹からないものを搾り取っている
気持ちだったのだろうか
私からすると3000万の返済に
月に2万と言い出す
妙の無神経さに腹が立った

そして、夫が先々月死んで
その振り込みも止まった

まるで夫の死を、待っていたかのようだった
返済は、わずか20万そこそこ
あと2980万円を見事、踏み倒したのだ


坂の方から
聞きなれない車のエンジン音がする
ジャリを踏む音とともに
木本家に誰かが訪ねてきたようだ

夏子さぁぁぁん、いるぅー?
妙ですぅ

玄関先から、聞き覚えのある甲高い声が聞こえた
今日は夫の命日だから
妙が線香をあげにきたのだろう

こういうことには、よく気が付くのが
余計に腹立たしい

妙は、私の返事を待つこともなく
上がりこんできて
直接仏間に向かっていった

わざわざ、命日のたびに
岐阜から来なくてもいいのよ、妙ちゃん
高速使ったんでしょう?

私が後を追って
正座している後姿の妙に言った
聞いているのかいないのか分からないが
返事はない

チーンと鈴の音が仏間に響く
もっともらしいその後ろ姿に
私の心が、ざわめいた

これ、兄さんに花とお菓子

黒と金の立派な包み紙に包装された
和菓子とおぼしき詰め合わせに
大きな百合の花が
4本もあしらったアレンジメント

いくらしたの?

心の中で、私は問うた

兄さんの葬儀、質素で良かったわ
姉さんもすごく喜んでたみたいだし

姉さんとは、妙のひとつ上の姉で
和子という

和子は我々の事情を知っていて
最後の最後まで
康夫のことを不憫だと泣いていた

私は、気持ちをそのままさらけ出す
和子が羨ましかった
私だって和子のように
嘆いて、泣けたなら
どれだけ気が楽になれるか

葬儀の最中、夫の悲しみにふけることなく
私の頭の中ではこのことだけが空回りしていた

お義姉(ねえ)さん

兄さんは人のためばかりに生きたのに
どうしてこんな病気になってしまったのかしら

厚みのある白い布に包まれた骨壺を
和子は、しみじみと眺めながら
私にそう訊ねてきた

私は

それとこれとは、別の話なのよ

とっさのことだったせいか
私は、そう答えるしかできなかった

果たして
それとこれとは、別の話なのだろうか

夫に対する邪な考えが
生まれてきたような気がした

確かに自分からでてきた思いであるはずなのに
頭を必死にふって
頭の外側に、この狂おしい思いをぶん投げた

私は、何を感じているのだろう

そしてその時私は
四十九日で表立った法要はしないと決め
寺の檀家をおりようと決意した

夫は生前、寺の修繕費で
200万ほど都合していたが
地元の名士とは
こんなことまでしなければならないのか
と、驚いたことがある

おそらく、義母の代からそうだったのだろう
住職は悪びれた風もなく
200万を要求してきたのだから

ひとりになった今
名士などという古いしきたりは
私には、無意味でしかない

面倒なだけだ


妙は、5分と経たないうちに
私とのやりとりに飽きて
早々に帰る気配を出してきた

止めもしないし、礼もしなかったが
そんなことを気にする妙ではない

そろそろ帰らなきゃ
またね、姉さん
そう言って、妙は玄関に向かっていった

ガラガラと古い戸の音があたりを響かせる
私はつっかけに足を入れ
玄関先から妙を見送ろうとした

妙と違って、私はそういう人間だ
と、証明するかのように
私は、無意識で木本家の習わしに従った

私の50年、私はどこまで
木本の人間になってしまったのだろう

玄関を出ると

真っ赤でいかにも高そうなセダンが
私の10年以上前の
中古の軽自動車の横に停まっていた

立ち眩みのような感覚を覚えた

すると涼しい顔をした妙が
姉さん、見送りなんていいから
と、見送っている私に言った

私の車のエンジン音と明らかに違う音
こんな田舎では、そうそうお目にかかれない
いや、むしろ浮きまくってる
光沢のある鮮やかな赤

どうして私は
こんなに惨めな気持ちになるのだろうか

こんなに惨めになったことは
この80年近い人生で初めてだった

旅行にも行かず
質素な暮らしを心がけ
家計を助けるために
専業主婦にもなれなかった

妙の生活を支えてきたのは
私でもあると見せつけられたら
私は一体全体なんのために生きてきたのか

3000万があの車になったのかと思うと
自分がどれだけお人よしだったのかと
責めずにはいられなかった

そしてこの気持ちに気づいたとて
夫はもうこの世にいない

話を何となくでも分かってくれるのは
まるで自分のことのように泣き続ける
和子だけだ

妙の真っ赤なセダンが
土煙をあげて左折ウィンカーをあげている

そして、あの坂を下っていった

私が嫁いできた日
やっとのことで上った坂を
あの子は、悠々と下ってゆく

こんな老いぼれた家に
私ひとりを残して

私はあの赤い車が見えなくなるまで

ただただ
見送るしかなかった

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